「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!」
徳島の阿波おどりの馴染みのフレーズ
参加したほうが何かと得だと行動を促している
これは抵抗感なく納得する人が多いだろうが、似たような行動で
なかなか参加できない事柄がある
それはデモだ
昨日、電車賃を使って名古屋に出かけ「安倍政権抗議デモ」と銘打たれたデモに参加した
デモはSNSでその存在を知った
集合場所は中区栄、大須近くの若宮広場、
コースは高架下の広場から矢場町の交差点をパルコに向かって歩き
そこを左折して三越まで行進、そこで左折して少しだけ歩きすぐに左折して大津通を
歩いて、パルコの裏側辺りまで歩いてそこで流れ解散となっている
デモは時々参加している
特に政治信条があるからではなくて、どちらかと言えばデモの現場を知りたい欲求の方が大きい
安保関連法案のときの国会前のデモも参加したが、これはメディアの報道が主催者発表の数字と
警察発表(?)の数が随分違うので、どちらが正しい数字なのかを自分自身で確かめたかった
他にもデモに参加している人々が一般の人たちなのか、それとも動員されたある組織のひとたちなのか
肌感覚で感じ取りたかった
デモは4列を作って車道を行進し、若い警察官が見守る形で行われた
デモを実際に経験するといろんな発見がある
まずは警官がとても若い人たちだったのが印象に残った
彼らはコースが乱れないように気を配るが、当たり前といえば当たり前かもしれないが
デモ参加者に対する態度は香港における警察の嫌悪感を持つようなそれではなかった
それは「デモする権利があるのでルール内で行動してほしい」と客観的な様子で
若い人はまだ染まっていない、彼らの仕事を抜きにした感情はどんなものだろうと
不意に思うのだった
デモ参加者には何も持ってこなかった人用に印刷物が準備されており、自分はその中から
「ねつ造 改ざん 隠ぺい 私物化、もう辞めろ」
と書かれたもの選び、道路側の人に見えるようにして歩いた
この印刷物の裏側は「反社会的政権を止める 肉球で止める」肉球新党 猫の生活が第一
とあり、こちら側は内側とした
デモは「安倍辞めろ」と声を上げていたが、これは個人攻撃のようでなかなか照れくさい
それよりは印刷物にあるような「ねつ造 改ざん 隠ぺい 私物化、もう辞めろ」
のほうが訴えやすいし、自分の気持ちに近い
だから行進が止まってこちら側を見ている人たちには、このメッセージが見えるようにして訴えた
踊る阿呆に見る阿呆
見る阿呆の方々は、このデモをどのように感じているのか気になった
見てる人の中には写真を撮ったり手を振る人もいたが、
大半は自分のこの日の生活(予定)以外は目に入らないような気がした
何故、こんなことをしているのだろう、、物好きな人たちだ、、、
というような冷めた目ではなかったが、それ以上に無関心の様子が見える
こちらは「いつか気づくことがある たまたま気がついてしまったので
気づいたものはその責任がある」と思い込み込むことにして、いま自分たちが
何に対して怒りを持っているのかを切実に知ってもらいたいと思う
三越前でレインボーの旗が目に入った
LGBTの運動をしている数人がデモに向かって手を振った
その少し先では、動物愛護団体(?)による「革製品の使用を止めよう」と訴える
人たちがやはり手を振った
なにか行動を起こすことに対する人たちは、どこかしら似た感覚・感じ方をするのかもしれない
いろんな人が自分の関心の範囲内で人々に何かを訴えている
不意に自分自身の思いを、こうして行動に現すことが特別な(人のする)ことではなく
ごく当たり前のことのようになったならば世の中は少しづつい変わるだろうと思った
デモをする人が特別の人ではなく、当たり前の日常になる
フランスの社会では、ダラダラと好き勝手に歩き、好き勝手に離脱するデモがよく行われるとも聞いている
このようなヒステリックにならず、しかしどうあるべきかの意思表示はしている緩いデモが
日本でも行わるようになれば、踊る阿呆の人も増えそうな気が、、、、
徳島の阿波おどりの馴染みのフレーズ
参加したほうが何かと得だと行動を促している
これは抵抗感なく納得する人が多いだろうが、似たような行動で
なかなか参加できない事柄がある
それはデモだ
昨日、電車賃を使って名古屋に出かけ「安倍政権抗議デモ」と銘打たれたデモに参加した
デモはSNSでその存在を知った
集合場所は中区栄、大須近くの若宮広場、
コースは高架下の広場から矢場町の交差点をパルコに向かって歩き
そこを左折して三越まで行進、そこで左折して少しだけ歩きすぐに左折して大津通を
歩いて、パルコの裏側辺りまで歩いてそこで流れ解散となっている
デモは時々参加している
特に政治信条があるからではなくて、どちらかと言えばデモの現場を知りたい欲求の方が大きい
安保関連法案のときの国会前のデモも参加したが、これはメディアの報道が主催者発表の数字と
警察発表(?)の数が随分違うので、どちらが正しい数字なのかを自分自身で確かめたかった
他にもデモに参加している人々が一般の人たちなのか、それとも動員されたある組織のひとたちなのか
肌感覚で感じ取りたかった
デモは4列を作って車道を行進し、若い警察官が見守る形で行われた
デモを実際に経験するといろんな発見がある
まずは警官がとても若い人たちだったのが印象に残った
彼らはコースが乱れないように気を配るが、当たり前といえば当たり前かもしれないが
デモ参加者に対する態度は香港における警察の嫌悪感を持つようなそれではなかった
それは「デモする権利があるのでルール内で行動してほしい」と客観的な様子で
若い人はまだ染まっていない、彼らの仕事を抜きにした感情はどんなものだろうと
不意に思うのだった
デモ参加者には何も持ってこなかった人用に印刷物が準備されており、自分はその中から
「ねつ造 改ざん 隠ぺい 私物化、もう辞めろ」
と書かれたもの選び、道路側の人に見えるようにして歩いた
この印刷物の裏側は「反社会的政権を止める 肉球で止める」肉球新党 猫の生活が第一
とあり、こちら側は内側とした
デモは「安倍辞めろ」と声を上げていたが、これは個人攻撃のようでなかなか照れくさい
それよりは印刷物にあるような「ねつ造 改ざん 隠ぺい 私物化、もう辞めろ」
のほうが訴えやすいし、自分の気持ちに近い
だから行進が止まってこちら側を見ている人たちには、このメッセージが見えるようにして訴えた
踊る阿呆に見る阿呆
見る阿呆の方々は、このデモをどのように感じているのか気になった
見てる人の中には写真を撮ったり手を振る人もいたが、
大半は自分のこの日の生活(予定)以外は目に入らないような気がした
何故、こんなことをしているのだろう、、物好きな人たちだ、、、
というような冷めた目ではなかったが、それ以上に無関心の様子が見える
こちらは「いつか気づくことがある たまたま気がついてしまったので
気づいたものはその責任がある」と思い込み込むことにして、いま自分たちが
何に対して怒りを持っているのかを切実に知ってもらいたいと思う
三越前でレインボーの旗が目に入った
LGBTの運動をしている数人がデモに向かって手を振った
その少し先では、動物愛護団体(?)による「革製品の使用を止めよう」と訴える
人たちがやはり手を振った
なにか行動を起こすことに対する人たちは、どこかしら似た感覚・感じ方をするのかもしれない
いろんな人が自分の関心の範囲内で人々に何かを訴えている
不意に自分自身の思いを、こうして行動に現すことが特別な(人のする)ことではなく
ごく当たり前のことのようになったならば世の中は少しづつい変わるだろうと思った
デモをする人が特別の人ではなく、当たり前の日常になる
フランスの社会では、ダラダラと好き勝手に歩き、好き勝手に離脱するデモがよく行われるとも聞いている
このようなヒステリックにならず、しかしどうあるべきかの意思表示はしている緩いデモが
日本でも行わるようになれば、踊る阿呆の人も増えそうな気が、、、、