今日は何曜日か?
現役の仕事を離れて曜日感覚が薄れてしまっている
だが月曜日と木曜日は生ゴミを出す日で
それは自分の役割となっており、週のリズムは
だいぶ自分の体に刻み込まれている
月曜日と木曜日は生ゴミの他に、近所の小学生と校門まで歩いていく
あいさつ推進運動の楽しい時間がある
ハッピーマンデイや代休日せいで、月曜日にこのおしゃべりタイムができなくなる
ことが多いが、その時は少し残念な物足りない気分になる
この他に火曜日と木曜日は、例の外国人を親に持つ子たちの勉強の手伝いがある
つまり月・火・木は何やかや予定があって、少しはストレスを感じながら
何もしないでぼーっとしてるよりは良いかな、、と思うことにしている
昨日の火曜日は低学年の子の勉強の手伝い
「もと にほんごが じょうずになりたい」
と七夕の短冊に書いた子と、料理の好きな、直ぐに黄色い大きな声をだす子を
いつものように見た
「今日は宿題がない」
日本語が上手になりたい子が言った
彼は会うといつも決まって「今日ぼくを教えて」
と言う
「良いよ、今日頑張ろうね!」
でもその言葉通りにならないのが、これまたいつものこと
宿題や課題に集中できないで、直ぐに無駄話をしたりする
宿題が無いなら九九のチェックをするようにと
このボランティアの主催者の方がプリントを手渡した
段ごとのきれいに並んだ九九ではなくて、適当に選別された九九が
問題として約50個ほど並んでいる
気が乗らないが見てるので仕方なく行う
どうも彼は六の段が苦手なようで、ちょっと間違った答えを書く
消しゴムで消しながら正解を書いて、それを終えると今度は九九を
反対から(大きな数字の方から)言うようにする
それが済むころ別の大人が見ていた男の子(料理好きな)も終わった
「さあ今からは、一年生で習った漢字の復習!」
彼を見ていた女性が言った
そして漢字が書かれたトランプのようなカードを畳の上にバラバラに置いた
「さあ、じゃんけんして」
「次は交互に読める字のカードを取って声に出して、答えがあってるかチェックしてもらって!」
「最後に手元に残った数の多いほうが勝ち」
「もと にほんごが じょうずになりたい」」
と話した自分が面倒を見ていた子のほうが少し勝ち目は無いかな、、と思っていた
最初はふたりとも間違いなく取っていく
だが少なくなっていくと手に取るスピードが落ちる
残り10枚ほどになると、心配した子の方はバタッと止まってしまった
本来は交互に行うのだがそれを無視して、料理好きな一年のときから日本語が
まずまず話せる子が少し考えては答えを声に出してドンドン取っていく
もう一人の子はただただ眺めているだけになった
最後までカードを取り続けた子は勝ち誇るように自分が手にしたカードの数を数え始めた
その刹那、心配した子は顔を畳に伏せて、そのうち体の向きを変えて顔を覆った
少しして顔を挙げた彼の目は赤くなっていた
「悔しいよね!でも大丈夫、君は一年のときよりずっと良くなったよ!
それとね、今日の悔しいと思ったこと忘れちゃダメだよ。今度勝とうね」
そんなことで悔し涙を流すなんて、、と思いながらも、こちらも少し切ない気分になった
正直なところ、一年とか夏の時点では彼は大丈夫か?と思ったことがあった
こんなことで間に合うのだろうか
他にすべき教育があるのではないか、、、
授業はちゃんと受けられているのだろうか
ボランティアの立場で現在の教育現場のことが気になって仕方なかった
でも最近は、大丈夫かもしれない と思えるようになってきた
話が筋道だっていてわかるようになってきている
まだ肝心なところが怪しい面はあるが、会話が成立しないということはない
そしてこの日本語が通じるという感覚は、子供同士でも感じているようで
日本語が上手なのは一番がぼくで、二番がRくん(面倒を見た子)次がEくん
と無邪気にランク付けをしていたりする
子どもたちは何でも競いたがる
単純に勝ち負けを競う
そこには大人のような(?)後に残る卑しさはない
悔し涙を流したRくん、次は勝てるようになれると良いのだが