少し面倒くさい新城市の例の話題
国会をネットで見てたら予算委員会に公聴会というのがあり、興味を持った
公聴会とはウキペディアによると
国会法51条1項において、委員会は、一般的関心及び目的を有する重要な案件について、
公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識経験者等から意見を聴くことができると定め、
2項において総予算及び重要な歳入法案においては、開催義務があることを規定している。
加えて、衆議院憲法審査会規程及び参議院憲法審査会規程により、
衆議院憲法審査会・参議院憲法審査委員会において憲法改正原案についても公聴会の開催が義務づけられている。
とある
たまたま見た2月21日の衆議院予算委員会で行われた公聴会
印象に残ったのは、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏と弁護士の新里宏二氏
前者は情報公開請求を頻繁に行っている方で、文書管理の法について実践のうえで
法的にもかなり詳しい方で、20分の所要時間はよどみなく、しかも話がダブることもなく
理路整然と話されてて世の中には頭のいい人がいるものだと感じた次第
後者の弁護士はパチンコ等のギャンブルで生活が成り立たなくなった人を多く見ている方で
両者とも野党側から要請されて出席したものと思われる
予想されるように三木氏は、海苔弁で出たり、速やかに破棄されたり、
改ざんされたりの問題が多い現政府の公文書についての第三者からの意見
新里氏はIR(統合型リゾート)に関してギャンブル依存の実態とその弊害について現役の弁護士からの意見
ここで地元の話とは関係なさそうな国会のことを取り上げたのには理由がある
それはいわゆる第三者という立場の人が、議決権をもつ議員を前に、客観的な(あるいは野党よりの?)
話をしたということが、市議会議員の議決行為に対して参考になりそうと思えたことだ
現在個人的に気になっていることといえば高速バス「山の湊号」のこと
先月行政から市議会議員にいろんな資料が渡されて、その中には専門家(第三者?)の意見もあったようだ
ところが、それらは基本的には行政(の理屈)に都合の良い話だ
沢山のページの資料を渡されて、それを読んで議員が是か非かを判断することにしてほしいというものだが
その資料だけで判断することが果たして良いことなのだろうか と疑問が浮かぶ
なぜならそこにあるアンケートは利用者に対して行われたもので、利用していないひとの声は反映されていない
議員みんながその資料だけを当てにせず、個人レベルで市民の声を聞く行動をしていれば良いのだが
残念ながらそれだけフットワークの軽い人物はそれほど見当たらない(と思う)
ならば、国会のような反対立場のひと(専門家・第三者)の「公聴会」を開けないものか、、
と思う次第だ
現在、議員間に高速バスの評価の違いがあるのも事実
存続を求める専門家、第三者の声(?)はとりあえず提出された(行政側から)
ところが別の認識とか意見をもつ専門家(第三者)もいるはずなので
その人たちの声を、とりあえず議員はそれも聞く行為(公聴会)
それがシステム的に必要なのではないかと思えてならない
(でないと情報の不平等性が生じてしまわないか)
現在は行政に質疑(質問)して、答えを待つだけで議決判断する様になっていて
議決前の賛成討論は、議員個人の言葉ではなく行政の言い分を
そのまま繰り返し話していることが多い(そう感じてしまうことが多い)
実際のところ、質疑とか質問の場で議員と行政の方とバトルを繰り広げると
その問題に携わっている時間の長さの違いが、そのまま勝負に出ることが多い
結果的に理屈では(あるいは口頭では)議員はなかなか行政を上回ることは難しい
しかし、議員には「常識」とか「市民の声」という強力な価値判断のバックボーンを
もてば怖いものは無い、、と話した方がいたし、そのとおりだと思う(思いたい)
ということで、少しばかり小難しい話になったが、
要は議員さんには「情報の不平等」に留意して欲しいということ