週刊文春を購入した
森友学園の文書改ざんに携わり自殺した方の手記が
相当なページを費やして掲載されている
読んでいて涙が出て仕方なかった
自ら死を選択しなければならなかった苦悩、愛する人の死を現実として
受け入れざるを得なかった奥さんの気持を思うと
とても普通に読み終えることはできなかった
あったことはなかったことにしてはいけない
この単純な当たり前のことが何故か実現されない現在
このままでは未来の人たちに「あの時、あなた達は何をしていたのだ!」
と批判をされてしまいそうだ
それでなくても、今生きている自分たちはこの問題に対して真摯に向かう責任があると思う
そして、何よりも深く心に残ったのは
自死を選んだ方がこの手記をものすごく詳細に残されていることで
それは何故彼はそこまできちんと残したのだろうか?との連想につながる
でも自分はこの人の気持がわかる気がする
彼は行ったことを詳細に残すことで、社会に対する自分の責任を残そうとしたのではないか
これは先日の我が市の高速バスの事業継続についての
市民側から見た記録を残そうとした気持ち(それが社会に対する責任)につながる
(その前の行政裁判のことや住民投票の記録を残したのも同じ理由だ)
世の中は表に出ている情報だけで本質は判断できない
表に出ているものはむしろ加工されている可能性がある
歴史書は過去の過ちを繰り返さないために必要なものであるとしたら
それは尚のこと実態を多方面から見たものから作成されていなくてはならない
そして現在読む人はあまりいないこのブログも、投稿し続けることで
多少なりとも社会的に意味あることだ!
と勇気づけられたような気分になるのだった