目覚めの頃、窓から差し込む日差しを感じて不意に
「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらん」
が頭に浮かんだ
最近は晴れると光の色が違う
コロナウィルス騒動で世間は落ち着かないが
自然はいつものようにやってきて、庭の木瓜の花も
ユキノシタもトサミズキもヒュウガミズキも
何事もなかったかのように咲いている
のどかだな、、
この歌ののどかな感じはどこからきてるんだろう、、
それは「ひさかたの」から来てるのかな、、
ひさかたのはどんな意味かな
久しぶりとの意味なのかな、、
そんなことをつらつらと思い浮かべた
それでネットで調べてみると「ひさかたの」は
日、月、空にかかる枕詞だそうだ
なんだ全然違う
「ひさかたの」が「久しぶりの」などと勝手に思い込んでいたので
人に言いふらしていなくてホッとしたところ
そういえば、のどかなのは他にもあったぞ!と連想気味に思いだしたのが
「ひねもす」の言葉が使われている俳句
だが「ひねもすのたりのたりかな」は思いついたが、
最初は何だったかな!と出てこない
またもやネットの力を借りてみると
「春の海ひねもすのたりのたりかな」だった
小林一茶の俳句で、この柔らかい音が穏やかな海の様子を連想させ
のんびりした感じを醸し出している
最近は余裕のない社会になってきている
潤滑油が欠けた余裕のないギスギスした雰囲気に満ちている
だが、それ故に現実世界には全然役に立ちそうにない
このようなのんびりした感じを連想させるなにか、、は必要だと感じる
それは非日常、、というのか、それとも真の日常なのかわからない
世の中は生活に必要なもの(経済活動)だけでは、つまらない、、
勉強ではなくて心が楽しむための、こうした一見無駄なもの、、
こうしたものが好きだな、、、とつくづく自覚する
※「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらん」
百人一首にも収められているこの歌は紀友則の作で
この人は紀貫之のいとこだとか