パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ハードな登山に似ていた「監獄の誕生」の読書

2020年03月07日 09時56分43秒 | 

読書と山登りは似ている
どちらとも自発的に行動しないと楽しめない
でもその他の点で似ていると思ったのがこの本を読んでいた時のこと

最後のページまでいったが、果たして読んだと言えるかは大いに疑問
概要はぼんやりとわかった気がしても実態は全く頭の中が把握できていない感じ

この本を読んでいて不意に感じたのが山登りの時の感覚
山登りは目に入る周りの草花や自然、フッと吹いてくる風で、その瞬間瞬間を楽しむことができる
ところが少しばかりハードな山だとそんな余裕はなくなって、ひたすら自分の呼吸、流れる汗を自覚するばかり
そして目的地についたらビールを飲むぞ!とか、先程のところからの歩数は〇〇くらいだとか、、
つまりは関係の無いことしか頭に浮かばないし、自分以外のものに対する関心を向ける余裕がない

このフーコーの「監獄の誕生」を読んでいる時もホンのわずかだが
山登りの際に感じる自然とか草花とか景色を楽しむのと同じ感覚をもてた
しかし、大半は字を追っているばかりで、その様子は必死になって汗を流して
急登に対している感じに似ていた(自分以外のことに気を回すほどの余裕のない状態ということ)
こうした山登りは、結局は山の頂上に着いたという事実と、その過程は苦しかったとか
時折目に入った何かの印象しか残っていない(自分は)
しかしそれにもかかわらずもう一度登りに来たいとか、その苦しかった瞬間さえも
いい思い出(苦しかったことが)だったと時間が経過するうちに思うようになる

ものごとは時間がある程度経過しないと頭の中は整理されないのだろう
ということで、最後まで行ったが内容把握については全く自信のない
この厄介な「監獄の誕生」も、もう少し時間が経てば何となく解った気分に
なれるかもしれない

ところで何故この本にそれほど苦労したのか、、
まずはページ全体が文字で隙間なく埋まり、読むには集中を要すること
普段お目にかかることのない用語が出てその意味をすんなりと実感できないこと
そして、自説を説得力のあるものにするために引用する歴史上のエピソードが登場するが
日本人の自分にはそれが当たり前の知識として無いために
意図するものがわからなかった、、という点が挙げられる

こうしてみると知らず知らずのうちに頭の中に入っている歴史上の出来事の
共通の認識は、他人同士が理解しあうためには必要なんだろうなと実感する
(多くの日本人に身についている忠臣蔵のエピソードは
 外国人には知っている前提で話されると難しいだろうな)

例のごとく本筋とは違う方向に流れてしまったが
本を読んで何かを感じるのはいいことだ!と、とりあえず自己弁解をしておこう
でも「とても内容の濃い本を読んだ」実感は残っている
あとは時間の経過で何が残っているか、、ということだが、さて!

コメント (2)
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