パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「自発的隷従論」からの抜き出し

2020年04月04日 18時20分22秒 | あれこれ考えること

本を読んで印象に残ったところには、付箋をつけるだけでなく
文字として残しておくことがある
今年読んだ本にエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従論」がある

分量はそれほど多くないが、なかなか印象的な記述がある
その中の最後に近いところに、現在の官僚さんに(あるいは市の職員に)
読んでもらいたい箇所があった

それを抜き出すと

 農民や職人は、隷従はしても、言いつけられたことをすればそれで済む。
だが、圧制者の周りにいるのは、こびへつらい、気を引こうとする連中である。
この者たちは、圧制者の言いつけを守るだけでなく、彼の望む通りのものを考えなければならないし、
さらには、彼を満足させるために、その意向をあらかじめ汲み取らなければならない。
連中は、圧制者に服従するだけでは充分ではなく、彼に気に入られなければならない。
彼の命に従って働くためには、自分の意志を捨て、自分をいじめ、自分を殺さねばならない。
彼の快楽を自分の快楽とし、彼の好みのために自分の好みを犠牲にし、自分の性質をむりやり変え、
自分の本性を捨て去らなければならない。
彼のことば、声、合図、視線に絶えず注意をはらい、望みを忖度し、考えを知るために、
自分の目、足、手をいつでも動かせるように整えておかねばならない。

はたしてこれが、幸せに生きることだろうか。これを生きていると言えるだろうか。
この世に、これ以上に耐え難いことがあるだろうか。
私は勇壮な人に語っているのでも、高貴な生まれの人に語っているのでもない。
普通の常識ある人、さもなくばただ人間の顔をもつ人に対して語っているのだ。
こんなふうに生きるよりも悲惨な状態があるだろうか。
自分ではなにももたず、自分の幸福も自由も、からだも命も他人に委ねるとは。

その立場に立ってみないとわからないことは確かにある
でも、自分の幸福も自由も他人任せは、、、自分は嫌だな
自分との折り合いをつけられずにずっと生きていくのはしんどそう(と思ってしまう)

 

コメント
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