パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

子どもたちの思いと情報について(動画を見て)

2020年04月13日 09時24分43秒 | あれこれ考えること

昨日Youtubeの生配信で「佐藤慧、安田菜津紀取材報告会」D4P Report Vol.1 イラク・シリアを見た
宗教と民族と石油等が複雑に絡み合って、なかなか理解しにくい中東だが、遠い他所の国のことではなくて
同じ人間として今何ができて、どう考えていったら良いのかとの参考になった

「おっきい人たちは、よく考えて欲しい」
現地にいる子どもの言葉が痛切に響く
子どもたちは大人の都合(宗教・民族・利権)などは頭にない
ただ子供同士は普通に暮らしたいだけと思う(何故、それができないか)

以前、難しい判断に困るときは
「それは子どもたちにとって良いことか?」
との問が有効だと考えたことがあったが、それは今でも思う

中東の難民は個人的に厳しい経済環境の中でもスマホを所有している
それは「情報はライフライン」だからだ
水とか食料とかと同じ生きるのに必要なモノなのだ
多くの溢れる情報の中から自分たちに有効な情報を選択し
それをベースに次の行動に移す
そうした行為がなければ彼らの生存は保証されない

これはウンもスンもなく理解できる
だが、その時に思い浮かべたのは日本のこと
果たして今の日本は本当に情報(正しい)に接触できているのだろうか

疑い出すとキリがないが、今回のコロナウィルスについても、勤労統計についても
景気判断においても、その他公的にリリースされる各種情報をメディアが
発表報道だけをしている様子は、実は報道されていないのと同じではないか
と不安を覚えてしまう

そこでフト思い出したのが、以前読んだ「太平洋戦争と新聞」(前坂俊之著)の中にあったこの部分
戦前の新聞の敗北は
1.新聞人の勇気の欠如
2.言論に対する抑圧
3.新聞の大衆的転化

これが今の時代は「ソフトに」起きていないか、、少し心配

コメント
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