パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

弱者をいじめるのは何故か?

2021年05月06日 08時50分40秒 | あれこれ考えること

巣ごもり生活をしていると、話す相手は限られるし生活もパターン化して
どうしても内省的な傾向になりやすい
そこで見聞きするニュースは楽しいものよりは、少しばかり真面目な深刻なものが気になる

先日、アメリカでアジア系の女性がハンマーを持った女性から暴力を受けたとの報道があった
いわゆるヘイトクライムに当たるが、そのシーンの映像を見て奇妙に思えたのが
それを行っていたのが黒人の女性だったことだ
黒人の方々はアメリカでは差別される側で、BLM運動で差別のない世界を望んでいるはずだ
その当事者がよりによってアジア系の人に暴力を奮った
何故なのだろう?
普通は差別される側同士で一体化して社会にあふれる不公平に立ち向かう!
そう考える方が自然なのに、そうはならなかった

そこで思い出したのが、少し前放送されたNHKの「100分de名著」の「黒い皮膚・白い仮面」
著者のファノン氏は、アフリカからこの地に連れて来られた奴隷を祖とする黒人だ
その彼は叶う限り白人のフランス人に同化しようと努力した
その時彼は、いつのまにか自分が黒人に対して白人の視線で見ていることに気づく
白人が感じるような黒人に対して少し引いた感情をもったと告白している

アメリカでアジア系の女性に暴力を奮った黒人たちは、このファノン氏と似たような感覚を持ったではないか
自身をアメリカ人と実感できていない人物が、自分より劣っていると思いこんでいる(思い込みたい)アジア人を
白人が自分たちにするように差別を行う(暴力を奮う)
これは何故?というよりは、心理学的によくありえることかもしれない
自分よりも弱者をいじめる、けなす、バカにする
そうすることによって現在自分が抱えているストレスを少しでも解消する

この傾向はアメリカに限らず日本でも見られるのではないか
日本に生まれただけで特別と思い込み、本来ならば仲良くすべき隣国の人たちに
何かと難癖をつけてバカにしてけなす
だがその人達の立ち位置は、実は不安に満ち満ちているのではないか
社会的に(経済的に)中間層と言われる部分が縮小して、今まではみんなと一緒と感じられていたのが
いつの間にか一人だけ放り出されてしまったかのような思いに至る
その不安な人々は(ハンナ流にいえばアトム化された人々)自分たちの拠り所として
民族とか国籍とか氏素性などに頼るようになる

そして手っ取り早く弱者をいじめる
そういう人たちは、自分たちが弱い立場ではなく強い立場の人間であると思い込む
いや思い込もうとしている
実はいじめている本人たちが不安を抱える弱者なのだが、彼らはそれを認めたくない
彼らは自身を強い立場にいる特別な存在と思いたい
だからこそ彼らは上から目線で断定的な言い方をする

心理学的な問題を経済的な視点から解決しようとするのは、正しい方法ではないかもしれないが
豊かな中間層、格差のない社会をつくるのは自信喪失した人々を救いそうな気がする
(気持ちの余裕も生まれて)
みんなと一緒、頑張った人はもちろん、頑張れなかったひとも、そこそこ暮らせる世の中がいいな
と感傷的に思ったりする(ロマンティストすぎるか)


コメント
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