パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

大坂なおみの五輪に対する2つの記事

2021年05月12日 15時17分24秒 | あれこれ考えること

オリンピックについてはアスリートの方々にはいろんな考え方がある
おおっぴらに意見表明をできない状況が少なからずあるようだが
(オリンピック代表になった時点で、公人として発言に気をつけるように宣誓書を書かされるとか)
日本人は一人の人間として、自分の意見を言い切るだけの覚悟とか
世間の反発に対する訓練ができていない(アスリートに限らず世間一般も)国民性とは思うが
この雰囲気を醸し出している原因にメディアの報道があるのではないか

メディアの影響力は空気を作ってしまうだけの力がある
それ故に報道は正確に伝えられなければならないが
最近大坂なおみさんのオリンピックに関する発言に、全く反対の印象を与える記事があった

一つは報知スポーツの報道で、オリンピックの開催に関して
「五輪は待ち焦がれていたものなので、開催してほしい」賛否両論に私見

もう片方はロイターの報道で
「五輪開催は危険あるなら議論すべき」
との発言を伝えている

同じ話を聞いて、話のどの部分を切り取るかの違いに過ぎない!
としてしまうには、両者の与えるものは違いすぎる

それらの報道には、伝える側の意図、あるいは精神が見えるのではないか
親会社が五輪スポンサーの報知スポーツは開催の空気を盛り上げねばならない
一方でロイターは原則論を(批判精神を持って)伝えられる環境にある

日本のように他人の意見、声に大きく影響される社会はメディア報道の方向性で
結果的にいろいろ知らないうちにコントロールされてしまわないだろうか
(だからこそ憲法変更についてのCMの量の規制は必要)

メディアは第4の権力と言われたことがあった
今は情けないくらいに(批判精神に欠け」腰砕けになっている気がするが
それでも広く一気に伝えたり、ある空気を作り出す力は
これだけ細分化した社会故に更に力を保持しているように見える

メディアリテラシー(教育)が大事と叫ばれて久しい
しかしそれは、これなら大丈夫!と感じられるまでのレベルに達しているだろうか
ちょいと心配な気分

コメント
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