池江璃花子のツイッターに匿名人物からオリンピック辞退するようにとか
開催の反対をすべきだとの声が届き、彼女が苦しんでいるとの報道が話題になっている
一部にはその同情的な報道自体が彼女の政治的利用ではないか、、との声もある
確かに選手個人にあれこれ言うはお門違いと思われるし、
彼女自身もオリンピック反対の声があるのを承知し、それも仕方ないこととも考えている
また、開催されないとしてもそれは受け入れるとも考えを現している
しかし、報道は彼女を政治利用しているとの疑いは、彼女のツイッターのタイミングと
匿名からの批判に対し困っているとするニュースのタイミングが微妙に疑わしいからだ
池江さんは4つのツイートで自己の考え方を述べた
最初と最後の間には少し時間が経っている
それは文字入力にかかる時間のためと思われるが、
奇妙なのは一番目の投稿の直後に、4番目の投稿までの内容を踏まえた内容の報道記事があったことだ
全部読まないと彼女の真意はわからない
最初のツイートだけでは選手個人に心痛める要求は控えて欲しいとの意図はわからない
しかし、一番目のツイートがあった直後に、彼女のすべてのツイートを理解しているような
そして、頑張っているアスリート個人を批判するのはやめようとするトーンの記事が
報道されていることは、少し違和感を感じる
(メディアは事前の内容を知っていた?)
オリンピックについては先日短時間で中止要望の署名が集まった報道があった
そういう声に対しては、推進派は選手個人の物語を感情的、情緒的に訴えて
報道の絶対量で(反対意見の)阻止しようとしているように思えないこともない
中止要望者の中には焦りのために、何も言葉を発しないアスリートに対し
批判がましいことをつい言ってしまいそうなことはありそうなことだ
選手個人にあれこれ言うのはお門違いと思うものの
そうしてしまう気持ちも理解できない訳ではない
話は変わるが、お気に入りのタレントさんが自分の嫌いな商品のCMに登場したら
ファンはどのような気持ちになるかを調べたものを以前見かけた
好きでも嫌いでもない商品ならお気に入りのタレントさんの薦める商品にいいイメージをもつ
しかし、相性の悪い(嫌いな)商品をタレントが薦めていたら、今度はそのタレントさんを嫌うようになってしまう
とその調査は伝えていた
この例が池江さん個人にも及ぶことはないか、、と想像すると、それはありうるのではないか
今回のことだけなく、日本のあの暑い夏にオリンピックを行うという時点で
一体オリンピックは何だろうと?疑問を覚えずにはいられなかったし
少なくとも選手や観客のことを考えているようには思えなかった
オリンピックは商業主義、、これが今回は極限まで明らかにされたのではないか
強いものが勝つ、はっきり結果が出る、時に運が勝負を分ける、4年に一度しかない残酷さ
無駄終わる努力、、報われる努力、、
こうした誰もが心動かされることは、オリンピックという形でしか表現できないのだろうか
仮にそうだとしても、このようなシステムで行い続けることは大いに疑問だ