緊急事態宣言が延長される事態になり、それどころか対象地区も増えている
そんな中オリンピックが粛々と準備されている
医療体制はもちろんのこと、インドの悲惨な状態を見れば人道的な観点から
無神経に開催して良いものだろうか、、との思いは誰しもが持つ
(しかも準備は万全なのかと不安もある)
世論調査では中止、延長が7割を超えている
問題は、誰が大きな声で「中止・延期」を言い始めるかという点
何でも反対ばかり!と思われそうな人ではなくて、常識的な判断力をもった人物
しかも発信力のある立場の人が、覚悟を決めて言い出せば良いのに、、と期待したいのだが
言い出しっぺになる、、というのは意外と難しいようだ
「傍観者効果」という言葉がある
他者に対して援助すべき状況にあるのにも関わらず、周囲に多くの人がいることによって
援助行為が抑制されてしまう集団心理のことで、その場にいるのが自分だけだったら
援助行動する確率は高いが、周囲に人が多ければ多いほど援助行為は抑制されてしまうという傾向ことだ
それは、自分がしなくても誰かが行うだろうと思いこんでしまう傾向(責任の分散)
行動を起こして失敗した時の他者のネガティブな評価に対する不安から行動を抑制する(聴衆抑制)
周囲の人が何もしないのだから、援助や介護に緊急性はないのだろうと誤って判断すること(多元的無知)
が原因と分析されている
つまり、ひとが目の前の困っている人を救わないのは、冷たいからではなくて
「多くの人が気づいていたために行動しない」という心理的的傾向があるためしている
(他に、日本人の心理的傾向が気になるが)
オリンピックの中止を声を大にして訴える
それを行う個人の社会的な(評価の)危険性や不安は、上記の3つの要素をクリアしないとできない
これなどは、何も知らないパルジファルや恐れを知らないジークフリートなら難なくできるかもしれない
でも社会で他人との関係で生きている人は、その関係性故に行動は窮屈になる
でも、そんなことを小難しく考えるよりは、直感的に変だなと思えることは
ストレートのNO!と宣言すべきだと思う
現在の自分の中にあるモヤモヤは、これが大きな要因だ
心理的な傾向はわかった、、でも、その上で、覚悟を決めて声を大にして言う
だが、誰かがやってくれないかな、、と思っているだけなのは、ちょいと情けないか
自分にできることして、オリンピック中止の署名活動にサインした
この署名は短期間に10万集めたらしい