パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

主権者のいない国

2021年05月20日 10時11分33秒 | 

図書館から借りて一気読みした「主権者のいない国」白井聡著

どの立場から書かれた本かといえば、SNSで「反日!」とあの界隈の人々から
猛烈な批判の嵐が起きそうな内容の本だ
一方、この方と立場を同じくする自分にとっては、怒り、焦燥、不安、絶望感
そうしたものが我がことのようにリアリティーを持って感じられる本だった

本の最後に日本の特殊性を現したエピソードが書かれている
政府のコロナ対策に対する評価は、先進国の中では最低となっている
このような緊急事態には、普通はどの国も政府の支持率は上昇する
それは現実的な対処は政府に任せるしかないし、それを信用せざるを得ないからだと思われる
しかし、日本はそうはならなかった
このような一般人の政府の信頼度の低さは、平時においても各種アンケートにも見られる
つまり日本は国家権力に対して不満を持っており懐疑的に見ている人が多い
ところが、「政権も政府もダメだ」と思っているにもかかわらず、選挙になるとその反対の投票行動が明らかになる
著者は、それを2009年の政権交代の失望からと理由づけするにはあまりにも表面的すぎるとし
この問題を根本から考えなければならないとする

安倍さんが神妙な顔をして辞意を表明した頃は世間の風当たりは強く「もう引っ込め、このバカ野郎」
という雰囲気になっていたが、会見の後になると「難病に耐えながら長い間激務を務めてくれてありがとう」
と雰囲気は一気に変わった
それは安倍さん側の、ものすごくうまい対処方法(参謀は誰だったか?)のおかげで、退陣が決まったあとの
政権支持率上昇を果たしている
だが、それは戦略の旨さ、空気のコントロールの技術で説明できてしまうことなのか
もしかしたら、日本人は自身を主権者と考えることができていないのでないか?
と著者は考える

ここからの考察は社会的な観点からだけでなく、個人の内的体験、意識に深く関わる事柄となり
最近軽視されがちな教養とかリベラルアーツの分野の関係してくる
人は社会との関係、人との関係において様々な経験をして、より良い人間性を完成していくと
された理想主義が、たとえ建前主義であったとしても、かつてはそれで通用していたものが
いつの間にか、本音(自制することのない)の大きな力に振り回されているとしている

いくつかの章にわかれたこの本で強く興味を持ったのが、「反知性主義」を扱った部分だ
最近よく聞く、反知性主義だがその定義は
知的な生き方およびそれを代表されるという人々に対する憤りと疑惑
とされている
ここで問題は、
反知性主義とは積極的に攻撃的な原理であるということだ
それは知的な事柄に対して無関心であったり、知性が不在であったりするということ、言いかえれば、非知性的であることとは異なるのである
知的な事柄に対して単に無関心なのではなく、知性の本質的な意味での働きに対して侮蔑的で攻撃的な態度を取ることに反知性主義の核心は見出される。

つまりは一部の人の間には、知識人と見える人(エリート、学者など)に対しての嫌悪感がそこにあり
それを言葉に出したり、行動することで(多分)自己を守る、あるいは仕返し(ルサンチマン)の気持ちになれるとしている
その心理は

「〇〇が私より知的に見えるのは、知的な振りをしているからである」という思考において、
「〇〇が私より優れているから」という可能性があらかじめ排除する。
そして客観的事実促されて「〇〇」の知的優位を「私」が認めざるを得なくなったとき、
それでもなお「平等」を維持するためには「知的な事柄全体が本当は役に立たない余計なものに過ぎない」
という発想が出てくる。これはまさに、反知性主義のテーゼである。

つまりは全否定からスタートする
ここでは全否定と言うより否認という言葉を用い、その存在(価値)すら認めないメンタリティになっているとする

こうした考えは、最近のSNS(ツイッター)の奇妙な投稿を見たりすると、まさにその通りだと思う

この本は借りた本だが、購入して手元において何度も読み返した方が良いかもしれない
いろいろ教えられたり、考えたりする部分が多い

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする