昨日の続きで議会改革に関すること
市議会の中継、議事録の公開などは議員などの当事者の内側からの視点
それはそれなりにやってもらいたいものだが
問題はそうした中継やら記事録を見聞きしたいと思う市民がどれだけいるか?
という点ではないだろうか
我が市では一般質問は、ケーブルテレビ中継とネット中継が行われているが
その視聴者はどのくらいが想像されるだろうか
これは我が市に限らずどこでも似たような傾向が見られるかもしれない
直近の例では、新城市の道の駅には100平米のドッグランが設置されたが
その現場を見ると大半の人が感じるのは、その狭さの異様さとか
600万円かかっているとされる費用への不信感だ
現実的には素人は工事費を正確に予想することはできないから
直感的にそう思うことは少しばかり無責任かもしれないが
ただそう思ってしまうのも事実だ
この違和感を個人的にクリアする方法は
議会で行われた計画と費用についての説明を確かめることで
ネットに保存されている中継のアーカイブを見るとか
記事録をチェックすることになる
ここで先程の問題に移るが、このような行動をする人はどのくらい存在するだろうか
そもそもドッグランのことを知らない人が多くいる中で疑問を感じ
さらに調べるまでの行動を起こす人は現実に存在するのだろうか
(ほとんどいないのではないか)
良い悪いは別として、現実的には誰かにこうした事業計画の精緻な審査とか
工事費のチェックをしてもらって、市民はその結果だけを知るということが
効率的な方法と考えられ、間接民主主義として議員さんにその役割を任す
そこで今度はその重要な役目を果たす人たち(市会議員や国会議員)を一般人は
ちゃんと選ぶことができるのだろうか?との問題がでてくる
選挙の時は候補者は耳に心地よいスローガンやら約束事を訴える
みんないいことを言う
でも当選後、一般市民は彼らの言ったことをどれだけ覚えているだろう
また彼らの日々の行動や選択や判断をどれだけ知っているだろう
選ばれた議員さんが、ちゃんとした仕事をしてるかどうかは結局は彼らの行動を
チェックすることが必要で、それが中継なり記事録のチェックということになる
でもそれをする人は少ない
意識高い系の人は、このような状況を問題と考える
一般人ももっと社会の出来事に関心をもって、出来事を我がことのように感じて
怒りを覚えるときには声をあげるべきだと訴える
それは正論だが、何故かそれは多くの支持を得ない
その言い方が多少上から目線のトーンに感じられるからかもしれない
それよりはむしろ面倒くさい!の一言で片付けられてしまうかもしれない
自分たちで自分たちの暮らしを良くしていく(それをシティズンシップというらしいが)
これは案外難しいことのようだ