ブラジルにいる子どもたちと週イチでzoomを使っての日本語の勉強をしている
(勉強というより忘れないようにしているだけなのかもしれない)
以前、地元新城市の小学校に通っていた子どもでたちで
木曜日の授業後宿題を見たり、日本語の勉強の手伝いをしていた
彼らはブラジルに帰ってしまったので
せっかく覚えた日本語を忘れてしまうのはもったいない!
ということで、継続してzoomで勉強を続けるか、、
と聞いたところ、親御さんも協力的で続けることになっている
勉強と言っても今の彼らには必然性がないので
どんな内容にしたらいいか少し考える
特に中学一年に相当するお姉ちゃんのほうは
つまらないこと(?)よりは興味深そうなことを伝えるようにしている
中学一年の国語の教科書に「竹取物語」があった
日本人なら誰でも知っている竹から生まれて月に帰るかぐや姫の物語だ
それを勉強の素材とした(日本語文を読ませて)
この物語は日本最古の物語だけでなく、改めて考えてみると内容も奇抜で
竹から生まれる、、月に帰る、、とまるでSFを彷彿とさせる
ずっと昔に、こんなSF的な発想があったなんてすごいね
と、画面のむこうのうなずきを求めながら話す
そこで日本のSFチックな昔話をもう一つを思いだして伝えた
浦島太郎がそれで、助けた亀に連れられていった龍宮城で
数日の楽しい時間を過したが、それを満喫したあと
以前いた場所に戻るとあたりはすっかり変わっていた
土産にもらった玉手箱を開けてはいけないと言われたが、開けてみると
白い煙が出ておじいさんになってしまった、、というおなじみの話だ
これは、まるで時間経過が運動の系の違いで異なるとする相対性理論のような話だ
それは一種のタイムマシンのようでもある
この発想を昔の人がしたという事実は、昔の人は何と柔らかな発想をしたのだろうと思う
最近流行りの人格が入れ替わる話より、面白いと思う
日本人の多くが当たり前のように知っているこれらの話を知ることになって
彼女は日本にたいするどんな興味を覚えるようになったか気になる
この話の続きとして、日本人の月見の楽しみ方をちょいと伝えた
彼女が修学旅行にいった銀閣寺には向月台と銀砂灘があって、
東山に登る月を反射して少し明るくなった庭の風情を楽しむ様子を
イメージしてもらうようにした
また月は直接見て楽しむのではなくて、大覚寺では池に写る月を見て楽しむんだよ
とグーグルで調べた画像を見せながら伝えたりした
浦島太郎絡みでは「寝覚の床」という場所で、玉手箱を開けたという言い伝えが有る
ことを伝えた
今の彼女(弟も)は日本語を覚えなくてはならないという気持ちはない
ただ忘れないようにしてるだけだったり、
近くにいる仲間が知らないことを自分は知っているちょっとした優越感を
味わえるために続けられているのかもしれない
多分勉強というものは、自発的なものが一番身につくと思う
その自発的に行動できるような対象物を見つける手伝いをすることが
日本語の自発的な勉強につながると思う
ところで弟は、ルービック・キューブが得意で
お姉ちゃんはアニメキャラクターの絵が半端なくうまい
そのあたりのほうが自発的な勉強につながるかもしれないが
何れにせよ、せっかく日本に来た意味を失わないようにさせてあげたいと思う