若い時に、もっとやっておけばよかった!と思うのが登山だ
秋の涸沢の紅葉を新聞記事で見ると、心はまるで羽ばたくように
その場所に移動する
だが、その場所から錦繍を楽しんでいるのではない
心はむしろ、そこに行くまでの道のりを楽しんでいる
眼鏡から、帽子から汗が滴り落ちて、呼吸がハアハアとずっと続く
何故か頭の中は小屋についたらビールを飲むぞ!
とそんなことばかり考えている
そんな余裕のない長い時間が懐かしいと感じている
今も覚えているのがダケカンバ、、と何度も言いながら登っていた時のことだ
この少しつらいような時間は、余裕がない分、自分自身と向かい合える気がしている
(遅くなって登山を始めた自分は、慣れた山屋のように余裕をもって登ることはできなかった)
自分と向かい合う時間は、今思うと好きな時間だった
そしてそれはもしかしたら頂上での景色とか達成感よりも好きだったように思う
紅葉を見に行っても、その中を歩いていると意外にそのすごい風景は実感しない
上から見て初めて歩いてきた場所が、素晴らしいものだったと気づく
今は残念ながらYoutubeで見るしかできない
穂高、槍ヶ岳、蝶ヶ岳、常念岳、燕岳、白馬岳、爺ヶ岳、
夏と秋の一時期しか行けなかった山、
Youtubeを見るたびにもっと行っておけばよかったと思う
その気になれば今でも山にトライできるかといえば
今の腰の状態からするとそれは夢物語だ
少し苦労をして歩いた先には、自分の足で来た人にしかわからない純粋な世界がある
間違いなくその世界はあるのだが、そこには行けない、、ということが
とても残念に思えて仕方ない
やれる時にやっておかないと、あとでは追いつかないことはあるものだ
登山の他にもいろいろありそうだが、
それはあえて思い出さないようにするのも、今を生きるコツかも知れない