それは無観客で行われた
オリンピックでもパラリンピックでもなく、新城市民にとってはそれら以上に
重要な事かもしれない出来事の一つ
今月末に投票を控えた新城市の市長選に関するイベントだ
立候補予定者による公開政策討論会がそれで、直接意見の交換を見聞きできる行事だ
このイベントは、市民自らの立候補者の人柄やら政策を知りたいとか比較したい
との熱い思いから開催されるものではなく、条例化され制度として行われる事になったものだ
そもそも制度として存在することと、市民自身が必要性を感じてその行事を独自に行うようにする
ことの良し悪しは、どちらがふさわしいいかわからないが
とりあえず、昨日は制度の一つとして実行された
と言っても、珍しいものではなく各地でも開かれるもので
その多くはJCが中心になって行われているようだ
(今回は実行委員会によって運営された)
前回の市長選は4年前、このときもこのイベントは行われた
これは内的必然性のような成り行きで開催の運びとなった
そしてそれは新城市内の3箇所の会場で観客を集めて行われた
ところが今年は、新型コロナ感染対策のため無観客で
ケーブルテレビとYoutubeでの中継で行われることになった
観客の反応も感じることができず、カメラに向かって話す行為は
タレントでもない二人は、慣れるまでは大変だったろうな
と少しばかり同情した
進め方の大半は4年前の方法を踏襲したものだった
それは一部では評価の高かった方法で(リンカーンフォーラムからはそうではなかった?)
討論会の名にふさわしい意見交換が十分になされるものだった
昨日の勝者はどちらだったか、、は、ここでは評価しない
気になるのはこの行事の成果のことだ
自分はケーブルテレビと契約していないのでYoutubeのほうで視聴することになったが、
リアルタイムの視聴者数は最大で63人、減ったり増えたりしていて50人ほどが
ずっと見聞きしていたようだ
この数は多いのか少ないのかは、わからない
ケーブルテレビでの視聴者がどれだけいたのかも、わからない
ただこのイベントの評価については、評価基準は参加した(見聞きした)数ではなくて
見聞きした人たちが自分の考え(思い込み)を変えたかどうか?
にあるのではないのかと思ってしまった
会場が有観客であれば、いろんな人が集まる
純粋にニュートラルな人や、ただ人柄を知りたかったり考え方の比較したい人たちもいるが
それぞれの応援団も入場する
そしてその数は、もしかしたらどちらでもない人の数より多いのではないか(と思う)
その人達は自分たちが応援する人物を当然評価して、相手の言論を評価しない
今回の場合では画面を見て、それぞれを応援しながら見ているひとも少なくないだろう
だがこのような人の中で、討論を終えた段階で、自分の考え方なり評価を変えた人が
どのくらいいたのかが気になる
もしかしたら、このイベントの評価基準はこの点に有るのではないか
最初から否定的に捉えるのではなくて、相手の言い分も一旦は受け入れて、
部分によっては相手の考えを評価する、、、そうしたことが、どのくらいなされたのだろう
討論は、相手に説得されることを受け入れる覚悟で臨むのが正しいとされる
ところが最近はまるで裁判のように勝ち負け、論破などの言葉に表されるように進められていく
この相手に説得される覚悟をもって臨むというのは、現実にはかなり難しい事のようだ
だが、4年前のある会場である陣営の応援団のメンバーが、討論会を終えた時点で
「政策は3人の言ったことを、みんな上手くまとめてやればいい」
と感想を漏らしたことがあった
これなどは、先入観やら思い込みが払拭された証拠かもしれない
(依然として応援する人物は変わらないとしても)
人はどうしても思い入れのある人物やら考え方に固執する
素直に見聞きすることは難しい
ということで、そもそも相手に説得されるかもしれないという覚悟で討論に向かう癖
というのは、これからも大事なことのように感じたということ
新城市の公開政策討論会は、このあと10月7日、14日に、午後7時から無観客で行われる
候補者は長い時間自分を晒すことになるので、思わぬ本性が見抜かれてしまうかもしれない