パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ダニング=クルーガー効果(新しく知った言葉)

2021年10月06日 17時16分00秒 | あれこれ考えること

都会の人が夜に投稿するツイッターは、人を幸せにしないかもしれない
社会の分断はここで強く感じる
同じような精神的傾向を持つものは、その反対の人々に対しては容赦ない批判を下す
それは時に正当なものであったとしても気分を落ち込ませる
平穏に暮らしたいならツイッターなどはしないほうが多分、気楽でいられる

ところが、時にとても参考になる情報を得ることができる
先日の「親ガチャ」もそうだが、最近「ダニング=クルーガー効果」なる言葉を知った
世の中にはいろんな概念があるものだ

この「ダニング=クルーガー効果」とは
自分の能力が低い人ほど自己を過大評価してしまう傾向があり、
能力が高い人ほど、自分を過小評価してしまいがちとする心理的傾向のこと
能力が低いとか高いとの言葉を使うと、少しばかりいい気分はしないが
これは次のような例で素直に納得できる

勉強でもスポーツ(例えばゴルフ)でも習い始めは高揚感があって
他人が知らないことを知っているという気分になって自己評価は高くなる
(他人に教えたくなったりする)
ところが少し経つと、自分が実は何も知らない井の中の蛙だと思うようになる
この状態では自己評価は低くなる(能力の高い人の自己評価の低くなる傾向はこれ)
この段階を時間と共に越えると、人は浮ついた知識とか表面的な技術ではなく
他人から見ても評価されるものを身につける事ができ、自分自身の評価も正当なものとなる

なるほど、なんとなくわかった気になれる
一時期、市政に関心を持った頃はまさにこれだった
市議会などの傍聴に行き始めた頃、人の知らないことを自分は知っていると
気分的にはちょいと天狗になっていた
ところが、徐々に法的な概念や手続きの理解の欠如、
検討資料のある無しを目の当たりにすると、
自分は何も知っていないことに否応なしに気付かされた
だが、何も知らない人たちと比べると、まだ知っていることは多い
だから少しづつ理解をして、自己評価と他人の評価が一致するようにしようとしている
というのが現在の状況

この心理的傾向の理解はこれでいいのだが、この言葉ができてきたきっかけが少し情けない
それは菅さんと河野さんの記者会見における自画自賛の話っぷりで
自己評価が高すぎるのは、、、単なる個人的な錯覚に過ぎない、、というのだ

それに納得するか、それは違うとするかは、、これまた同質的な傾向を持つ人達の間で
まるっきり違ってしまうが、今回は個人的には残念ながら納得してしまった

というわけで、最近の政府は自画自賛が多すぎて辟易するという話


コメント
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