先日、喫茶店で4人が打ち合わせをするとがあった
ミルクコーヒ、カフェオレ、ウィンナコーヒー、普通のホットコーヒー
4人が頼んだ飲み物は全て違った
一般的な日本人の集まりでは、こういうことは少ないのではないか
多くは誰かの注文に合わせて、自分も、、、となることが多い気がする
もっとも飲み物の選択などは大して気にしていないだけの事かもしれないが
不意に、人に合わせることの多い日本の社会のことを考えた
自らの考えではなく他人の(しかも多そうな)意見に合わせ
それで安心するだけでなく、多いゆえにそれが正しいかのように
思い込んでしまう日本人
(だがこういう人々は、オルテガの定義する「大衆」であって
日本社会に限ったものではなく、どこにでも一定数はいるのかもしれない)
話は変わって、自分で自由に判断しているようでも、実は何かに影響を受けていることはある
「アンカリング効果」と言われるもので、事前に与えられた情報がその後の意思決定に
影響を与えるというものだが、気になるのは選挙を間近に控えて当落の予想を伝える報道が
増えてきて、それがマイナスに働かないかと思えることだ
自分の投票の選択が報道に左右されるか否か?
アンカリング効果のように、事前にこのような当落の報道があることは個人の自由な選択を
制限してしまうのではないか、、と気になって仕方ない
人は多くの人の意見に左右される(同調圧力に屈する)という心理学的な実験がある
ソロモン・アッシュの同調圧力実験と名付けられたもので
与えられた課題は誰でも簡単にわかるもので、被験者は容易に正解を選択できる
ところが被験者に「多くの人は別の答えが正解だと思っている」と伝えると
何%かの被験者は自分の考えを変えてしまうというのだ
つまり自分の選択に自信を失い世間の同調圧力に屈することになるというのだ
一人一票は当たり前のように自己判断で行えることになっているとしても
人間の心理的な傾向を熟知した者たちが、アンカリング効果や同調圧力の効果を
フルに活用しようとしているとするならば、これは少しばかり怖いことのような気がする
そして無邪気なメディアがその怖さも理解せずに情報の垂れ流しをする
(勘ぐってしまうとメディアは既に何らかの方向性を持って伝えているのかもしれない)
事前の当落報道、現状分析の報道は、こうした意味合いから本当に必要不可欠なのだろうか
と思えて仕方ない