音楽は歌詞があっても基本的には抽象的なものだ
食べた人にしかわからない味を人に聞くのと同じで
人によって良し悪しも感じ方も違う
(でも何故か同じように感じる人が多い)
音楽はどこにあるか?
と問えば、楽譜の中ではなく流れているその時にしか存在しない
再現芸術としての音楽は、言葉では現しきれないものをダイレクトに
感情を通じて心のなかに入ってくる
今まで知っていた歌詞と違っていても心震えることってあるものだ
それがYoutubeで見つけた「100万本のバラ」の原曲
この歌はバルト3国のうちのラトビアの歌であることは知っていた
(大相撲の把瑠都はエストニア出身)
ネットサーフィンをしていた時に不意に目に入った「100万本のバラ」原曲の文字
聞いてみると素朴で良い(加藤登紀子さんのより良いかも)
それでSNSで動画を拡散してみると、それを見た人から
「朝からこの歌で泣けてしまいました。こんな歌だったんだね」
とのコメントがあった
この曲の印象を左右するのが歌詞であることは否定できないが
歌で泣く、、
現代人がしばらく経験していないと思われるこういう体験を多くの人ができたなら
きっと世の中はもう少し住みやすいものになりそうな気がする
「百万本のバラ」の原曲 Dāvāja Māriņa(マリーニャの贈り物)歌詞つき
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