ある書物に以下のような著述がある(現代語訳)
人に意見して、その欠点を改めさせるということは大切なことで、大慈悲心のあらわれであり、ご奉公の第一である。しかし意見の仕方はたいへんむつかしい。他人の善悪を見いだすことはやさしい。それを批判するのもたやすい。たいていの人は人の嫌がる言いにくいことをいうのが親切だと思い、それを受け入れなければ仕方がないという。それは何の益にもならないし、人に恥をかかせ悪口をいうのと同じであり、自分のうさばらしに言うにすぎない。
人に意見をするには、人が受け入れるか受け入れないか、その気質をよく見極めねばならない。親しくなって、こちらの言葉を信頼するようにするような状態にしてから、趣味などの話で心をひいて、言い方にもいろいろ工夫し、時期を選び、あるときは手紙で、あるときはしばしば別れるような折だとか、自分の欠点や失敗談を聞かせて、意見を言わないでそれとなく思い当たるようにするのがよい。また相手の長所をほめて、気分を引き立てるように工夫して、のどが渇いたとき水を飲むように受け入れさせて欠点をなおすのが意見というものだ。このように意見ははなはだむつかしく、しにくいものである。欠点は長い年月、しみついているのだからなかなか直せるものではない。自分にも覚えがある。
しかし、同輩同僚、たがいに親しくなって、欠点をただしあい、1つの心になって殿のお役に立つようになることこそ、家来としてのつとめであるし、大慈悲というものだ。いたずらに辱めて、どうして欠点をなおしてやることができようか。
ここまで、、
ご奉公とか、殿とか家来の言葉が出てくるからむかしの話のことは想像がつく
しかし、内容はまるで現実的な処世術のようで、ビジネス社会でも使えそうな内容だ
さてこの書物とは何か、、
答えは「葉隠」
この部分は有名な「武士道とは死ぬことと見つけたり」の 記述があるところの
少し後ろに書いてある(もっとも、自分はまだ初めの方しか見ていないが)
「葉隠」はイメージ的には勇ましい内容で、戦前のお国のためにとか、死を美化するような内容と
勝手に思っていたのだが、どうも違うようだ
もっと現実的な、あくびの止め方や、褒め方なども書いてある
むかし購入したこの「葉隠」
わざわざ今になって引っ張り出して読もうとしたのは、ずっと気になっている公務員の方々の
仕事ぶりというものが頭にあるからだ
武士の時代のように身分制度が確立していて、お上大事というときでも
現実的な対処の仕方があるのだから、いくら制度が変わっているとは言え
人としての共感できる部分は多いはずで、下の人たちはどう考えるべきかも
参考になりと思ったからだ
(現在何の命令系統にも属していない自分が知ったとことでどんな意味があるかは
はなはだ疑問で、単なる知りたいという欲求だけかもしれない)
ところで、「葉隠」と同時に思い出した本がある
これもむかし購入した本で、購入後一気に読んだ
そして、とても恐ろしい本だという印象をもった
その本とは「韓非子」
管理の仕方等が、恐ろしく現実的にリアリティをもって著述されている
西欧の支配の考え方が理屈、法によって組み立てられているとするなら
中国のそれは痛いほどの経験に基づくものといえる
ここには、現在の政権が行っている(と思われる)様々な手段が暗示されている
そしてそれらは西欧の思考の仕方からすればハンナ・アーレントが言う
「全体主義」の方向に進む傾向が見えるかもしれない
歴史を学ぶことは、歴史の経緯を知るだけでなく
人が過去にどんなことを考えてきたか、ということも含めて
学ばなければならないのではないか
「葉隠」は、その内容とは異なるイメージで広く紹介された
そしてその結果導かれたのもは、、、
「韓非子」は恐ろしいまでの冷徹な支配の仕方を明らかにしているという事実
(その内容は下には秘密にしておきたい、、と皇帝は考えたらしい)
直接的に役立つかどうかは分からないが、正しい判断を
いや判断を間違えないためには、いろんなことを知っておいたほうが良い
(多分、それを広い意味で教養と言うのだろう)
上の立場の人間だけでなく、個々の人間が個々の考えと判断力を持つ
そして言葉にする そのような癖をつけること
それが試行錯誤を繰り返す人間の知恵と思うが
果たして現在それが実現されているか、、、
考えることは無駄、思考停止で、ただ命令に従うだけを求められているような、、
それが垣間見られる現在の(政治的)状況
イメージではない現場の知恵としての「葉隠」
人を支配するために上はどう考えるかという「韓非子」
それから、ちょっと頭に入れておくと、きっと役に立つと思う
(ある種の人には、個人個人があまり賢くなってほしくない、、と思っているかも)
しかし、イメージ操作というのには、気をつけなければ、、
またもや話があちこち飛んでまとまらなかった
まるでブルックナーのまとまりのない交響曲のようだ
それだから、自分はブルックナーに共感を覚えるのだろうか、、