パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

トヨタ・クラブワールドカップ(インテルナシオナル優勝)

2006年12月17日 21時45分31秒 | Weblog
こんなことはあるかもしれないと思っていた
準決勝の戦いぶりを見て
インテルナシオナルは結構強いと感じていたので
今日の結果はあまり意外でなかった

とにかくインテルナシオナルの守りが力強く
いろんな状況についていけて
それでいてプレッシャーのある中でも
あまりあわてず(バルセロナほどではないにせよ)
相手の気持ちを上手く外して
自分たちのペースに持ち込んでいったように思えた

ザンブロッタ、いい選手だったが彼が途中交代したのが
バルセロナにとっては痛いし
インテルナシオナルにとってはラッキーだったようだ

ロナウジーニョ最初はトリッキーなプレーをしていたが
少しこの試合に臨むにしては軽い感じがしていた
後半からの前に向かうプレーのほうが
効果的だったようだ

インテルナシオナルの若いアレシャンドレは
まだまだ筋力、体力が第一線のクラスでは
もうひとつかもしれない

それにしてもワールドカップの出場者のいない
インテルナシオナルだが
8人のワールドカップ出場者を要するチームに
勝つのだからたいしたものだ

チームの結束力、組織力のおかげと言っていたが
それだけではなく前提となる技術がしっかりしているから
このような結果を得ることが出来たのだろう

結局代表でなくても、
みんながこんなに
がんばれて、落ち着けて、勝負に徹することの出来る
ブラジルと言う国の底力は本当に凄い
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岩本輝雄、本当に引退したがってる?

2006年12月16日 07時32分47秒 | Weblog
テレビ的には、有終の美とかプロ生活の集大成などと
言葉を並べて岩本輝雄の引退を演出しているが
彼は本当に引退したいのだろうか

テレビ画面で見る限り彼は
悔しさ、やり切れていない不完全燃焼の
表情でいっぱいだった

彼はやっぱりサッカーが大好きなのだと思える
(中田英寿はサッカーが好きなのだろうか?)
そして才能も時折見せるひらめきやキックの質は
捨てがたいものだ
ただし試合を見る限り筋力が落ちていて
もっとやるには練習で体力、筋力をつける
必要があるだろう

彼は自費であそこまでやったのだから
テレビ的な流れに乗って
無理やり引退しなくてもいいのではないか

いや、むしろテレビを大いに裏切ってほしい
そして本当にサッカーが出来なくなるまで
自分が「もういいや」と思えるまでやってほしい
そうでないといけないのではないか
他人事ながらフト思ってしまった

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お正月は3日まで休みにすればよいのに、、、

2006年12月15日 22時00分56秒 | Weblog
町にイルミネーションがなされ、
ウィンドウもそれらしくディスプレイされ
音楽も流れているというのに
全然年末らしくない感じがするのは何故だろう?

これは自分だけの感覚ではなく
たまたま話した人の多くが感じている気分だ
自分の周りはそんなに若い人がいないので
みんな歳とったせいで感動しなくなったのかもしれないが
昔はもっと町はザワザワしていたし、
訳もなくワクワクした気分でいたものだった

勿論、子供の頃が最高に楽しかっただろう
それはクリスマスプレゼントや
お正月にお年玉をもらえたりするのが
うれしかったからなのだが
それでもクリスマスやお正月自体も
楽しんで待っていたような気がする

今はお正月は12月32日みたいな感じだ

そう、今は今日は昨日と大差のない日に
なってしまっているから
どこかつまらないのかもしれない

昔の正月は店は休み
忙しい大人たちものんびりして家にいて
子供たちとゲームしたり
つまり家族団らんがあった

しかし今はどうだろう
元日から福袋の売り出しがあり
家族は一人ひとりが自分の予定で動いている
それは自由なんだが
なんだか楽しくない気がしてしまう

お正月、いつも思うのだが
商店は3日まで休みにしてしまったらどうなんだろう
休みで困るのは誰たちだろう
困る人より喜ぶ人も多いとは言えないにしても
切に望む人たちのいるのは間違いのない事実だろう

店が休みなら次の開店の日まで
待てばよいだけのことだ
そうすることによってサービス業に従事する人たちの
家族の人たちとの時間を増やすことが出来
メリハリのない日常も気分が変わって
昔のように待ちどうしいお正月に
なりそうな気がするのだがどうなんだろう
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クラブW杯準決勝

2006年12月14日 22時00分39秒 | Weblog
明石家さんまがテレビ観戦で口にしたように、
「今日のバルサは真剣でなかった」
とは言わないが少なくともムキになってはいなかった

対戦チームは、バルサの顔に飲まれ過ぎて
闘志が全然感じられなかった
それを出させないバルサが凄いというより
なんだか自滅してたような気がしてならなかった
だから最後まで見なかった

準決勝は昨日のゲームの方が面白かった
インテルナシオナルは、なるほど勝負強い南米のチームだった
とにかく骨格がしっかりしているというか
肝心なところで強いな、と感じた
経験値が高いのかアルアハリがいろんな事をしてきても
全て織り込み済みに対応できていた
それに確かに守りは、人との距離が近くボールを取りにくる
守りでむやみに脚を出さない守りとは違っていた
ちょっと眼には何もしてないようだがこのチームは
存外しぶとい気がする

バルサは余裕あり過ぎだ

テレビだから正確な事は分らないが
パススピードは早すぎる事はなかったようだ
当たり前の事だが近くの選手には、やさしく
味方が次のプレイしやすい強さだった
(日本でも時に柔らかなパス交換は行われるが長続きしない)
勿論縦のパスは強く、スピードの変化があっていろいろ参考になった

しかし、本当に無理してボールを前に蹴らないし
難しいところをきれいに通してパスしてしまったりで
才能のある連中との戦いは、対戦相手としては
自己嫌悪に陥ってしまう瞬間があったかもしれない等と
思ってしまった

やはり順当な決勝戦になるが一発勝負なので
ムキになったバルサが見られるのは楽しみだ
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マリア・カラスとフィリッパ・ジョルダーノ

2006年12月12日 20時55分50秒 | Weblog
途中から見たから確かではないかもしれないが、
先日の女子フィギアスケートの誰か、音楽にハバネラを使っていて
それがフィリッパ・ジョルダーノの歌ったものだった(と思う)

フィリッパ・ジョルダーノの名前知ったのはNHK FMの「おしゃべりクラシック」で
ハバネラとノルマからの1曲が流れた時、とても新鮮に聞こえて
CDショップでさっそく購入したのだった

感情表現としての音楽は、ある面、ポップスや流行歌の歌手が
歌った方が一般には伝わりやすいかもしれない

実は、中学の時習ったマダムバタフライの「ある晴れた日に」は
ソプラノの有名な歌手の歌ったものよりは
森進一が、お正月隠し芸大会で歌ったそれの方が
ずっと自然に心に響いてきた
それで、「いい曲じゃん」と思い直して再度聞いてみると
ソプラノの歌も「こんなのもありだな」と
聞けるようになった

さてフィリッパ・ジョルダーノ
1枚目のCDには
1. 歌劇「ノルマ」 ~清らかな女神
2. 歌劇「サムソンとデリラ」 ~あなたの声に心が開く
3. 歌劇「トスカ」 ~歌に生き,恋に生き
4. 歌劇「カルメン」 ~ハバネラ
5. 歌劇「ジャンニ・スキッキ」 ~私のお父さん
6. アヴェ・マリア
7. 歌劇「椿姫」 ~さようなら過ぎ去った日よ
 等のクラシックの名曲が入っていて
 初めのうちは本当に楽しめた
そう、初めのうちは、、、

ある時気ままに「トスカ」 ~歌に生き,恋に生き、を
フィリッパ・ジョルダーノで聞いて、その後マリア・カラスで聞いてみた

物事は比較によってよく分る、という事がここでも明らかになった

カラスの声は、強靭な楽器みたいで、マイクを使わないでも遠くに響く
よく訓練された感じがして、音色も深々していて個性的で
フィリッパ・ジョルダーノのほうはポップス風で聞きやすく
その分感情も分りやすい表現だった

どちらがよいというのではない
いろんな表現の仕方があるものだと思うだけだが
改めて感じたのはクラシック畑の人の職人的な凄さだ
もっとも、その分聞き手の方にも、それなりの準備がいるかもしれない

残念ながら今はフィリッパ・ジョルダーノの方は
あまり聞かなくなってしまった
聞いても聞き流してしまっている
一方、カラスの方は、滅多に聞かないのはやはり同じでも
聞くときは不思議と毎回真剣に聞いてしまう(気がする)

何故かな?
単に好みの問題?
それとも一般化できるような
ちゃんとした理由があるのだろうか?


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ベートーヴェンのアダージョ

2006年12月11日 21時18分37秒 | Weblog
アダージョの作曲家と言えばブルックナーだが
ベートーヴェンのアダージョあるいは緩やかな曲も
印象に残る曲が多い

交響曲では3番エロイカの第2楽章
6番の第2楽章
7番の第2楽章
そして第9の第3楽章

ピアノソナタでは
月光ソナタの第1楽章
ビリージョエルが使った悲愴の第2楽章
ハンマークラヴィーアの長大な第3楽章
そして30番から32番までの変奏曲の楽章

弦楽四重奏では
ラズモフスキーの3番の第2楽章
セリオーソの第2楽章
12番の第2楽章
14番の第4楽章
15番の第3楽章

協奏曲でも
バイオリン協奏曲の第2楽章
ピアノでは4番、5番の中間楽章が心を癒してくれる

そのほかピアノ3重奏では
幽霊の第2楽章
荘厳ミサ曲ではベネディクトスとアニュスデイ

ゆったりした曲はベートヴェンの特徴がでているとは
いえないかもしれないが
自分はこれらの「考えるアダージョ」は
ベートーヴェンの変遷、進化がみえて
興味深く思える

特に後期の作品のアダージョの
メロディーは一般的には美しいというより
渋いというか、なんといっていいかわからないが
それでも深い精神性(あまりこの言葉を使うのは好きではないが
それでもこの言葉が一番適切な気がする)を感じてしまう

当たり前のことだがベートーヴェンはやっぱりいいな!





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もったいないキャベツ!

2006年12月09日 22時03分21秒 | Weblog
解決法を述べないので、毎度ながらの言いっぱなしなのだが
豊作すぎて市場価格が下がるので、
キャベツをトラクターで踏みつぶしているニュースを見たが
「もったいない」の一言だった

作ってくれた農家の人にも、
また、キャベツにもかわいそうに
思えてならない

何とかならないのだろうか
まるっきり破棄するだけではなく、
なんとか利用方法はないのだろうか

そういえば同じようにコンビニでも、
賞味期限を僅かに過ぎた弁当類が
大量に破棄されてるという

もったいないなあ!
北朝鮮や開発途上国では餓死する人たちが
馬鹿にならない程いるというのに

話は変わって
先だって、新聞の記事に
世界の2%の人間が世界の半分以上の資産を
所有しているとあった

勝ち組になるというのは
そのような資産家の仲間になる事?
なんだか違う気がする

勝ち組といわれる人には
こうした「もったいないもの」を
もったいないと感じて
もっと有効に活用する方法や
これ以上無駄なものを作ったりしないでほしいものだ

しかし、現実的ではないかもしれないが
最も、もったいないものは
戦争のための兵器だな、
莫大な費用を要するが誰も幸せにしない

また話は元に戻って、
贅沢というのは旬のものを食べる事とすれば
今キャベツをたっぷり食べるのは
贅沢な事と考えるようにしてみたらどうだろう

とにかく、キャベツの破棄はもったいなくて仕方ない話だ
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居候、3杯目にはそっと出し?

2006年12月08日 21時54分07秒 | Weblog
知り合いの店での話。

売り出しのイベントでコーラの飲み放題の
サービスを行った時
客の数人(?)が平気で5本ほど飲んだり
家に持っていくから2本ほど欲しい
と言われたのだそうだ

確かに飲み放題とは言っているが
常識的な範囲では
少しは遠慮する、のが暗黙の了解だったり
前提になっているのではないだろうか

少なくとも昔は、言葉通り受け取って
バカバカ飲んだり、図々しく家に持って帰るなどとは
言わなかった

このことで、悪いのは数字の制限を設けなかった
店側だろうか?
現実的対処方法は、飲み放題の言葉を使わなかったり
数の制限をすればよいのだろう

しかしだ、そんなことをしなくても
ちゃんと店側のサービスの心を理解したり
あまり飲んでは悪いな、と遠慮するのが
美しい姿ではないのかな

「居候3杯目にはそっと出し」
の諺には、悪いなとか、恥ずかしい気持ちがあふれているが
その諺が「そうそう」と受け入れられていた社会のほうが、
今の、言葉を正確に使用しないからいけないのだ、
と言う社会よりずっと大人だったり
好ましい社会と思われるのだが
もうこんな社会には戻らないのだろうか?

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ベートーヴェンの第7交響曲

2006年12月07日 20時48分06秒 | Weblog
年末といえば第9交響曲だが、
今年は同じベートーヴェンでも
「のだめカンタービレ」のおかげで第7番が人気らしい

確かにいい曲で「田園」くらいは評価されてもいいのに
今までは名前がついていなかった分だけ損していたかもしれない

その後の8番もこじんまりしているが、すっきりしたフォルムで
自分は結構好きだな

7番は実演では、ショルティとシノーポリの指揮したものを聞いた
オケは何だったか忘れてしまったが
ショルティは第4楽章でもっと煽ればいいのに、最後まで職人風の
きっちりした仕事ぶりが、ライブにしては不満だったし
シノーポリは何故だか曲の途中で腹が立ってきて仕方なかった
(ホント何故だか分らないが腹を立てた事だけは覚えている)

この曲を聞くときのベースになっているのはフルトヴェングラーと
ウィーンフィルの演奏で、3、4楽章がとんでもなくエキサイティングなやつだ
(第2楽章の深さもまた特筆に値するが)
それにしても、あだ名のないこうした曲が一般に知られるのはいいことだろう

そういえば第9、以前FMで弦楽4重奏だったか6重奏だったかに
編曲されたのを聞いたが、これが意外によかった
確かに後期のベートーヴェンの音で
細かい音まで聞こえて、
勢いや音色で聞いてしまう傾向のあるフルオーケストラよりも
理解しやすいかも、と思ったりした

それにしても最近コンサートに行ってないな
普通の日にコンサートがあっても仕事の後には
なかなか間に合いそうにないし
行きたいようなプログラムはないし
それもこれも、結局は気力がなくなってきているのだろうか?
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ウルトラマンのモデルは弥勒菩薩

2006年12月06日 20時34分08秒 | Weblog
最近のマイブーム「和」
今日も書店を覗くとありました「和」を特集した雑誌
『日経 おとなのOFF 「和」の基礎知識必修講座』
さっそく買ってページをパラパラすると、面白い話を発見!
仏像の見方等を書いたページで、話は本筋から逸れていたけれど
初代ウルトラマンのモデルは京都 太秦 広隆寺の弥勒菩薩だそうだ、とか
そういえば何となくにてるような、、、?

この弥勒菩薩の本物を見たときは
「きれい」と感動したのだった
安心して子供が眠っているような
それでいて笑っているような
その像の廻り一帯の空気が澄んでいるように思えたのだった

しかし全体に比較して顔が大きすぎたり、腕が細すぎたりも
あら探しをすれば変(?)なところもないではなかった

この弥勒菩薩がウルトラマンなら
奈良の阿修羅像(教科書にも出てくるやつ)は、
昔テレビでやっていた西遊記の玄奘の役をした
「夏目雅子」と似てるような気がしてならない
それは思い込みに過ぎないかもしれないが
ずっと今までそんな風に思っていた

悲しいような
どこか遠くを見つめているような、、、

そういえばスケートの浅田真央
観音菩薩に似ていないだろうか
(単に顔の輪郭とか人相が、の範囲内だが)





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