パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

考えを表に出さない人たち

2020年04月19日 11時17分44秒 | あれこれ考えること

これだけ朝から晩まで新型コロナウィルスの報道が多いと
いくらのんびり屋の自分でも、この件に関しては少なからず
何らかの意見を持つようになるし、気分的にも少し落ち組む

といっても具体的に出された方針への賛意とか反対に過ぎず
それをツイッターにつぶやく程度なのだが、少し考えてみると
大半の人は何らかの考えを表に出すのはごく自然のことと思われる

ところが、影響力とか発信力があるにもかかわらず
普段と変わりなく自分の身の回りのことだけを情報発信している人たちがいる

こんな事態でも普段の生活は大事なことはわかる
また非日常的な世界(芸術とか芸能)の重要性は
こうしたときでも変わることがないだろうし
今こそ注目しなければならないかもしれない
だが、それ故にこの問題から目をそむけているとしたら
それは少し不自然だ

ここで影響力とか発信力があるというのは、芸能人
あるいはその周辺の人物のことで、彼らの中には
だんまりを決めている人がいる
そして日本の社会は、下手に意見を言わないほうが
仕事に悪影響がない、、と考えられている節がある

でもそれは不自然だ
むしろ自分はこう考える!と考えを表に出したほうが
人間らしい行いのように思える

話は変わって、指揮者フルトヴェングラーが世界大戦時にドイツに残り
芸術至上主義を貫いていたのを見て、トーマス・マンなどは
現実認識の無さ、一種の社会的な無責任さを批判している

だがフルトヴェングラーは戦い続けていた
ユダヤ人のベルリン・フィルの奏者を守り、芸術至上主義(理想家)を
全うするために、ユダヤ人作曲家の曲をプログラムにあげて
ヒトラーに対しても彼なりに抵抗はしていた
それがあったから、戦後の裁判でも彼は戦犯にはならなかったのだが
真面目な人たちのフルトヴェングラーの選択(ドイツに残り指揮したこと)
は間違いだったと言いたい気持ちもわかる

ただ戦時中のフルトヴェングラーの精神がどんなであったかを想像できる音楽がある
出てくる音はきっと精神状態を反映しているのだろうと思う
戦時中の録音でベートーヴェンのコリオラン序曲を聴いたときのこと
冒頭の和音で、聴いてるだけの自分の精神がいきなり緊張感に襲われた
その音の痛切なこと、ものすごい迫力で迫ってくる
結局その曲はその後どんな演奏だったか詳しく覚えていないが
冒頭の痛切感だけは今でも強烈に残っており、
辛いので、もう二度と聴きたくない、、と思えるくらいと思えるくらいだった

他人から見れば社会的な現実認識ができていないと思われても
毎日の生活の中で人の心は傷ついていく、それが普通の人だ
そんな中、「下手なことを言わないほうが仕事に影響が出ない」
と判断する人たちは、果たして人としての生き方をしてるのだろうか

もちろんその立場に立ってみないとわからないことだ
しかし、あまり微妙なことは言わないほうが良い、、とする社会は
どこか間違っている気がしてならない
ものごとは言うべき時に言わないと
あとで取り返しのつかない状況になってしまう
何よりも自然発生的に自分のうちに湧き上がってきた思いを抑えておくというのは
もうひとりの自分との折り合いをつけていられないような気がして
それも苦痛だと思ってしまうのだが、、、

※自分がツイッターでフォローしている著名な人が、この段階になっても
 少しも政治的な内容のツイートをしていないので気になって
 何故なんだろう
 それは良いことか、、、と考えてみた

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今日聴いた曲(ブルックナー8番・ヴァント・ベルリン・フィル)

2020年04月18日 19時21分17秒 | 音楽

体調も天気も冴えないので家に引きこもっている
気晴らしは音楽となるが、車以外では音楽を聞き流すのは
もったいないと思っている
音楽を聞く時はスピーカーに向かって集中して聴くほうが
得られるものが多くて好ましく思っている(どんなジャンルの音楽も)

でもスピーカーに向かって難しい顔をしてる光景は
他人が見たら、ちょいと奇妙に感じるかもしれない

さて何を聴こうか?
とその日の気分で選ぶ
今日は先日購入したヴァント指揮のベルリン・フィルのブルックナーの8番
を引っ張り出した
大好きなブルックナーの8番だが、それだけに聴いてて気分的に外した!
とは思いたくない
だから気分がのるまで待ったいた
今まで4番.5番.7番.と聴いてきてが、ようやく今日その気になった

ベルリン・フィルは昨年の11月に初めて生で聴いたが
その合奏能力、余裕のある名人芸、精緻な音楽に驚いた
ヴァントは10年以上も前にNDRでのブルックナーの8番で今も記憶に残っている
そのベルリン・フィルとヴァントの組み合わせで悪かろうはずがない

やっぱりベルリン・フィルの音色は凄い
余裕綽々、そして艶っぽい(最近のCDの音は良くなっている?)
ヴァントは感情移入はしないで、とても丁寧に音楽を作り出していく
オーケストラの能力が高いので、自分のイメージを伝えるだけで
彼独自の音楽が展開される
(チェリビダッケよりもヴァントは自然な流れ)

ブルックナーの音楽は不思議だ
この一曲で1時間以上かかり、一般的には長い曲だ
しかし、気がついてみると、もう終わるのか?
と思うことがある
ブルックナーの音楽はベートーヴェンやブラームスのように人間的な何か
を感じさせるものではなくて、自然と対峙してるような
あるいは純粋に音響を楽しんでいるような気にさせる

もちろん個人的な癖はある
2.3のリズム、反進行、最終的には神の栄光を称えるような大音響でのファンファーレ
またやってる、、、と
でもこれは仕方ないなあ、、、と肯定してしまう

この曲のフルスコアを購入していた
スコアリーディングができるわけではないので
楽譜だけで音を理解するのは難しい
(モーツァルトやブラームスはヴァイオリンをメインに追っていけば何となく分かる)
楽譜を見ると、作曲という行為がとても緻密な作業のように思えてくる
だが、スコアを見ながら聴くのは今日はやめにした

心地よい満足感で聴き終えられたが、ふいに思い出したのが
ハイティンクとコンセルトヘボウのブルックナーの8番と
響きは似ていなかったかな、、ということ
これはいつか確かめなくては
こうして次に聴く音楽のリレーはできていく

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新型コロナウィルスめ!

2020年04月16日 17時07分41秒 | 徒然なるままに

いつもなら春と秋に帰省する埼玉の妹
今回のコロナ騒動で自粛している
久しぶりに電話をしてみると心配なことが耳に入った

東京に住む姪っ子(妹の娘)のパートナーが勤務する会社の一人が
陽性になったとのこと
今は在宅ワークで、その人とは接することなく過ごせているらしい
知り合いの周りで発生した事実は、否応なしに緊張感を覚えさせる

妹のパートナーも持病があり定期的に医者に行って、薬をもらわねばならない
しかしその医者は御茶ノ水あたりだとか
電車に乗るのが怖い、、と電話口でこぼす

我市では一人の罹患者が発生したが、最近は当然とはいえ神経質な
対応がいろんなところで見られる様になってきた
近くのAコープのレジはいつの間にかビニールカーテンが設置されている
今日行った調剤薬局もやはりビニールカーテンがあった
市の施設の図書館、設楽原歴史資料館、道の駅等もお休みになった

近所の子たちとの校門までのウォーキング(あいさつ推進運動)は
夏休み明けまで休止と連絡があった
このあいさつ推進運動が関連している地域自治区の活動交付金事業の募集は
今回はしない、、と回覧で回ってきた

基本的に横着者だから家に出ないでグータラするのは苦手ではないが
ヒタヒタ通し寄せてくるような怖さは、、、勘弁願いたい

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西鎌尾根の思い出

2020年04月14日 18時20分36秒 | 徒然なるままに

風景を見て涙したのは多分あれが初めてだ
予想したよりもずっと良かったノイ・シュヴァン・シュタイン城にも
絵葉書通りだと驚いた上高地にも心震えたが、あの時ように
自然とじんわりと涙が滲むことはなかった

ちょっとしたきっかけで急に登るようになった山
誰もが挑戦するように槍ヶ岳にトライした
夜行で上高地に着き、槍沢ロッジに泊まり槍ヶ岳小屋で一泊して
下山は穂高温泉の方に向かった
そのコースは裏銀座と言われ、部分的には西鎌尾根ともいわれる

山は登るより下るほうが緊張感が増す
槍ヶ岳からの物騒な道を終えて双六岳までの縦走路を歩き始めた時
風の音しか聞こえず何も主張しない風景
ずっと前から、そしてこれからもただそこにあるだけの風景が
次々と目に映ると、知らず知らず目に涙が浮かんできた
嗚咽さえ出てきそうだった
そして、自分が死んだら絶対ここに散骨して欲しい、、と
思い浮かぶのだった

だがその風景は記憶の中では何故か具体的ではない
情けないことに、静かで自己主張しない風景だったことと
あの時にどうしようもなく流れてしまった涙のことしか覚えていない

後ろ髪を引かれる、、という言葉がある
一休みして、その風景の中に同一化してボーッとして
フト気がついて、歩き始めなければ!と意識が回復した時
歩き始めるということは、まさに「後ろ髪を引かれる」思いだった

もう絶対いけないだろうあの場所
確かに純粋な神々しい場所があそこにある、、
でも、今は記憶の中にしか無い
「一期一会」とはこういうことかもしれない


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子どもたちの思いと情報について(動画を見て)

2020年04月13日 09時24分43秒 | あれこれ考えること

昨日Youtubeの生配信で「佐藤慧、安田菜津紀取材報告会」D4P Report Vol.1 イラク・シリアを見た
宗教と民族と石油等が複雑に絡み合って、なかなか理解しにくい中東だが、遠い他所の国のことではなくて
同じ人間として今何ができて、どう考えていったら良いのかとの参考になった

「おっきい人たちは、よく考えて欲しい」
現地にいる子どもの言葉が痛切に響く
子どもたちは大人の都合(宗教・民族・利権)などは頭にない
ただ子供同士は普通に暮らしたいだけと思う(何故、それができないか)

以前、難しい判断に困るときは
「それは子どもたちにとって良いことか?」
との問が有効だと考えたことがあったが、それは今でも思う

中東の難民は個人的に厳しい経済環境の中でもスマホを所有している
それは「情報はライフライン」だからだ
水とか食料とかと同じ生きるのに必要なモノなのだ
多くの溢れる情報の中から自分たちに有効な情報を選択し
それをベースに次の行動に移す
そうした行為がなければ彼らの生存は保証されない

これはウンもスンもなく理解できる
だが、その時に思い浮かべたのは日本のこと
果たして今の日本は本当に情報(正しい)に接触できているのだろうか

疑い出すとキリがないが、今回のコロナウィルスについても、勤労統計についても
景気判断においても、その他公的にリリースされる各種情報をメディアが
発表報道だけをしている様子は、実は報道されていないのと同じではないか
と不安を覚えてしまう

そこでフト思い出したのが、以前読んだ「太平洋戦争と新聞」(前坂俊之著)の中にあったこの部分
戦前の新聞の敗北は
1.新聞人の勇気の欠如
2.言論に対する抑圧
3.新聞の大衆的転化

これが今の時代は「ソフトに」起きていないか、、少し心配

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コロナの影響と裁判の話

2020年04月11日 08時23分28秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日(4月10日)愛知県は独自の緊急事態宣言を発出した
小学校は19日まで休校になっていたが、これが5月6日まで延長される
朝の校門までの付き添いや、午後の外国にルーツのある子どもたちの
勉強の手伝いも一旦お休みとなる
思い通りにならないことが多いが、彼らとの時間がとれないことは
物足りなく感じてしまう

飲食店は影響を受けているので、少しでも足しになればと
ウォーキングをかねてSちゃんのお父さんがやってるカレー屋さんに出かけた
少し早い時間だったが、客は見えず心配になった
店員さんと少し話をしたが、彼の話によるとネパール国内は5.6人が陽性だとか(?)
毎日営業のこの店も、月曜日に休む様にしたとの張り紙があった
Sちゃんはこの日はお父さんと別の地区の店に車ででかけているとのこと

コロナウィルスはこんな小さな町にもジワジワと影響が出ている
コロナの影響といえば、裁判も少しばかりいつもと違う手段を取らざるを得ないようだ
知り合いが原告となっている市議会議員の「政務活動費」についての裁判は
4月の中旬に裁判所で公判が行われることになっていたが、この状況下を鑑み
電話会議で行うようになったとの連絡が入ったとのこと
原告・被告・弁護士がそれぞれの弁護士事務所で裁判官と電話で意見交換をするので
傍聴は無しということになったらしい

この政務活動費の裁判は少しばかり頭の痛いことがある
それは裁判費用のこと
原告側の裁判費用(実質的には弁護士費用)は有志による募金で賄っているので問題はないが
被告の弁護士費用は、被告が支出責任者である首長(市長)になっているので弁護士費用は
市から出ることになっている
実質的に訴えられているのは、不正な政務活動費の使い方をしたと思われる市議会議員数人だが
手続き上の(書類上の)被告は市長になっている
実質的な被告である議員に弁護士費用の負担がなく、単に支出行為をしただけの市に弁護士費用が
発生するのは心情的に納得できないが、これは市議会でも山田議員の一般質問でも追求された
流石に市長もゲンナリする案件で
「支出責任は自分にあるが本質的には議員の問題なので、そちらで解決して欲しい」
との本音がこぼれた(しかし手続き上は、、、)

今回の市側の弁護は前回と同様に市の顧問弁護士が担うことになった
この顧問弁護士には市は年間で90万円以上の年間委託費を支払っている
だが突発的なこうした案件には、年間委託費の他に費用が発生する
前回の「庁舎用地以外の物件に対する移転保証費の返還」訴訟では
手付金が確か69万円、裁判が実質的に終了した時点でさらに
138万円くらいが支払われた
今回の手付金は、前回ほど複雑な問題ではないので10万円くらい(?)
だったように記憶している

ついで費用のことを記しておくと、
前回の裁判は市長は125万円を市に支払うことになったが
支払われたうち25万円は原告側の弁護士費用にあてるため
原告の口座ではなく弁護士の口座に市から振り込まれることになった
あとの100万円が市に臨時の入金(?)という形で処理された

一部の人(議員)が気楽に発言した「原告は儲けたな」
というのは全く当てはまらない
原告側にはいったお金はほどんどないのが実態だ
得したのは臨時収入のはいった市側となる
(だが弁護士費用がそれ以上にかかってしまったという問題がある)

こうした現実を見ていくと、もう少し実態を反映した手続きとか
責任追求の仕方はないものか、、と思ってしまう

ところで、このような行政相手の民事裁判をするには
いきなり裁判に持っていくことはできず、その前に「住民監査請求」という
手続きが必要になってくる
この「住民監査請求」の結果に納得出来ない場合に裁判で訴えることになる
「住民監査請求」という言葉自体が、一般人には馴染みがないが
ここで気をつけないといけないのは「住民監査請求」は(不正な?)支払いが行われた
一年以内に起こさないといけないということ(あるいは気づいたときから1年以内?)

これを読んでる方で住民監査請求を考えることがあったら
なるべく早く行動に移したほうが良い
でないと「時効」で切り捨てられてしまう
しかもその「住民監査請求」の文章(訴状の文)も突っ込まれれないように気を配って書いたほうが良い
(気持ちだけ先走って書いていくと全然関係ないところで本質と関係ない話にされてしまう)
要は、住民監査請求の時点でも弁護士に何らかの相談をしておいたほうが良さそうだ
ということ

ところで「政務活動費」については日本国中で度々出てくる案件で
裁判所も珍しくもなんともない問題となっているらしい
このなかで「住民監査請求」では時効とされた今回の件は
裁判所では「真正を怠る事実」というネットで調べてもよくわからない概念で
「政務活動費は時効に関わる案件には当たらない」というのが定説なのだそうだ

この裁判、先日の新聞で対象議員は急遽お金を市に返却したと報道されていたが
これは裁判の結果にどう影響するのだろうか
(当初は返却すれば良いと思っていたが、それだけでは済まないような気分になってしまった)

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あるコメント!

2020年04月09日 18時14分06秒 | あれこれ考えること

先日、この自分のブログにコメントが書き込まれた
コメントは自動的に公開されるようにはなっておらず
管理者である自分が許可したものだけ公開される設定になっている

その時のブログは市議会に関することだったが、コメントの中身はこうだった

市議会だろうと憲法の下にある。
人様に手間かけさせたのだから憲法くらい読んどけよ。
学も能もなさそうだから無理かな(笑)。

初めは市内の自分らの立場の反対側にいる人からの書き込みか思ったが
市議会の内容とはつながっておらずイマイチ意味がわからない
(以前、悪口っぽいのコメントには「プロ市民が、、、、」などというのがあったが)
最近は市内の一部の人には投稿者としての自分がバレているので、あまり露骨な
批判じみたものはなくなっているので、何故なんだろう、、と不思議に思った

しばらくすると、急に思い浮かぶことがあった
この日、ツイッターである傾向を持つ人達と少しやりあった
やりあったと言ってもそれ程のことではなく
原則的な手続きのルールではそうなっていても
実態は疑われて仕方のないようなことになっているので
上に立つ人は李下に冠を正さずの姿勢でいたほうが良い、、、
といったニュアンスのことをツイートしたのだが、
どうやらこれにカチンと来たらしい(と想像した)
自分のツイッターには、このブログのリンクがアップされているから
そこからアクセスしたのではないか、、と想像した

管理者である自分はこれを無視することはできた
しかし「敢えて公開」することにした
それは、このコメントを読んだ人が(いるとすれば)どう思うだろう
と考えたからだ

おそらく、このコメントを読んだ人はあまりいい気分はしないと思われる
赤の他人に、「学も能もなさそうだから無理かな(笑)」
と無神経に投げつける方こそ学も能もない、、と感じるのではないか

それにしても、まさか自分が絡まれるとは思っていなかった
一応気をつけていたつもりだったが、気の短い人はいるもので
少し気をつけねば、、と思った次第

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レントゲン写真

2020年04月08日 08時13分24秒 | 徒然なるままに

 「水を1日、1.5リットルから2リットル飲んでください」
と言われたものの、流石にそれ程は飲めないでいた「尿路結石」の対応
それでも処方された痛み止めの薬は、何錠か使わずに済んでいる

昨日、近くの泌尿科にその後の経過を検査するために出かけた
当然の如く採尿が行われた
前回は少し血尿が確認されたが、今回は大したことはない
「自然に排出されたか、それとも傷つけていないので確認されていないのかもしれない
 とりあえずレントゲン撮影をしてみましょう」

少し待ち時間があってレントゲン撮影が行われた
「今のところ、前回のような影は無いようですね、ほら」
確かに数日前はぼんやりとあった影のようなものはない
そういえば左の腰の痛みも最近はない
だがレントゲン写真で気になるのは別のところにある白い影
これは尿管にあったものよりはっきりわかる

「とりあえず今回は収まったようですが、問題はここに写っているこれ!
 これがいつ落ちてくるかわからないので、またいつか同じようなことが
 起こるかもしれません。定期的に検査しましょう」

この厄介な腎結石は以前も指摘された、いつか落ちてくる可能性があると!
これだけはっきりと身体の中に爆弾を抱えているような写真を見せられると
少し落ち込みそうになる
仕方ない、祈るしか無いか、、、
(医療が進歩して解決策が見つかるかもしれない?)

話は変わって
「水をしっかり飲んで、運動もしておいてください」
と言われているので、汗にならないようなスピードで昼からウォーキングをした
田舎の道は、のどかでいいが退屈で妙に長く感じる

ぐるっと回って家まであと少し、、というところで、
あるところから真っ黒い煙が立ち上っているのが見えた
火事のようだ、早く消火できればいいが、、
見た感じは先程歩いてきたところ(富永)のように見える

消防車が何台も出動する
今日は休みだった知り合いの消防隊員(?)も自転車で消防署に向かう
「頑張って!」と声を掛ける
家から出て煙の方を見ようとする人を何人か見かける

あとでわかったことだが(防災無線とかニュース)現場は浅谷地区だった
浅谷地区、、ですぐに思い出したのが例の養鶏場のことだった
市が4億なんぼで買い上げることになって、現在は鶏糞処理と鶏舎の解体が
行われているはずの場所だ
よりにもよって、あの場所か、、、、、






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頭が固くならないようにするには!

2020年04月07日 08時17分33秒 | あれこれ考えること

 外出が自粛要請されるこの時期、家にいてできることは限られてくる
テレビやDVDを見るタイプではないので、読書とか今あるレコードを
くり返し聴くことになる

最近ちょいと真面目な本が多かったが、急に思い立って
購入して放ったらかしになっていた「西脇順三郎」の全集を引っ張り出した

高校時代に「アンバルバリア」を授業で習って、その中の「天気」が
とても乾いた異国の感じがして気に入っていた

さて読み始めると、どうも調子が出ない
高校時代のような連想が、イメージが浮かんでこない
こうなると少し焦る
こんなはずはない、、感性がに鈍ってきたのか、、、
もう感じられなくなってきたのか、、、

でもすぐに言い訳を見つけた
心がこのようなジャンルのモードになっていないからだ
しばらく理屈っぽい世界にどっぷりと浸かっていたから
自由な連想が羽ばたく世界に馴染むには少し時間がいるのだ、、と

そう思い込むことにすると少し安心する
西脇順三郎の詩は短いものから段々長くなっていくので
今度はこれまた放ったらかしの「新古今和歌集」を適当なところを開いた

和歌は短いので味わうには苦労しない
もちろん現代語訳を中心に理解するのだが、古文の言い回しは
現代文よりも趣がある
これもそのモードになるまでは少し時間がかかったが、割と早く
この世界を味わえるようになった気がした

そうか、人はバランスを取らないといけないかもしれない
真面目一本ばかりでは、頭が固いと言われることになってしまう
本人は頭が固いと思っていなくても、こうして急に別のジャンルに順応できない
ことを実感すると、やっぱり頭が固くなっているのかも、、と思う

ということで、学校の授業は多方面に渡っているのは
人がバランスをとるためには良いことなのかもしれない、、と思ったりする

専門分野の深い知識や考察は大事だが、非日常の空想を喚起するこうしたものも
人がおかしくなってしまわないためには必要なのかもしれない

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またもや休校

2020年04月06日 18時08分36秒 | 子どもたちのこと

今朝は久しぶりに子どもたちとの対面だった
(月木はあいさつ推進運動で小学校の校門まで一緒に歩いていく)
家の玄関には生ゴミを置いて、自分の来るのを待っている子がいる
「おじさん、測って!」
いつものように上着を脱いで、戦闘態勢に入る
「いいよ、目標タイムは22秒ね」
「えっ、前は20秒だったよ」
「よし、わかった。それじゃ20秒ね。よーいドン!」

彼女は生ゴミを抱えて生ゴミ収集場所まで走り出す
彼女の弟が車が来ないか監視している
そのうち必死な顔をして返ってくる
スマホのストップウォッチは、情け容赦なく動き続ける18.19.20、、、
「20.11秒ね!」
今度は弟が走ろうとするが、そのうちにみんなが集まってきて
それはできずに終わってしまった

校門までは10分もかからない
その途中いろんな話をする
「この間、マスクを買いに新しいドラッグストアに並んだんだよ」
「9時オープンだったので8時半に行ったら、もう列ができていて真ん中くらいになっちゃった」
「マスクは全然買えなかった。レジでも時間がかかって待ってる時間が長かった」
「マスクはコンビニで買えたよ」
「ドラッグストアのマスクのほうが良いみたい、、、」
6年にもなると実生活ぽい話が聞ける

二年生になったKくんに
「入学したばかりの頃は学校まで遠く感じた?」
「ううん」(彼は必要な言葉しか発しない)
今年はTくんの弟が入学するので、少し気になったが体力的には問題ないらしい
「Tくん、弟にお手本見せられるかな?」
「多分、ダメ」(彼らしい)

こんな風に時間が過ぎていく
校門で彼らと別れると、今度はそこで登校している子たちと大きな声であいさつをする
気のせいか、子どもたちの表情はどこか嬉しそう
いつもはハイタッチをする子がいるが、この時期それはやめて声を掛ける
「久しぶりだね」
「久しぶり、、、」(嬉しそうな表情)

校長先生も校門で子供を待っている
今日は始業式と入学式、始業式は教室で放送で行い
入学式は親と子供だけで行うとのこと
大変なことになったと実感する
(昨日、新城市にも陽性が一人確認の報道があった)

これで次は木曜日か、、、と思っていたら
どうやら県立高校は明日から19日まで休校で、
小中学校もそれに合わせるらしいとの連絡がきた

また休校か、、
これでは、火木の外国にルーツのある子どもたちの勉強の手伝いも
予定通りに始められない

田舎はどこかのんびりしているが
教育機関は慎重には慎重を重ねて対応している
これは仕方ないか



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