地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ブログ開設9周年記念・富山地鉄14780形

2013-10-28 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび、当ブログは開設から9周年の節目に達しました。これまででしたら、節目の記念更新ごとに「こんな零細ブログが何故凄まじいアクセスに……何故三日坊主で終わらなかったのか」と記してきたものですが、面倒なのでそれはもう止めにします (笑)。ただひたすら、自己満足備忘録ブログとして、今後もなるべく正確を期しつつもひたすら興の趣くままに画像をアップしてダラダラと綴るのみでございます。今後も適宜ご笑覧頂ければ幸いでございます。但し、最近とあるところで発覚したのですが、当ブログの画像を勝手に他所に出すのは、著作権侵害にあたり固くお断りしますので宜しくお願いします。画像にクレジットを入れる対策もありますが、それは画像の雰囲気を損ねますので、出来ればやりたくないのです。そのためには是非ご覧の皆様にもモラルを守って頂きたいということです、はい (汗)。
 それはさておき、今回の記念懐かし画像は何にしようかな……ということで80年代のポジを漁ったものの、とにかく昔は貧乏中高生の悲しさでシャッターを切るのも財布との相談ゆえ、マシなカットは既に使い果たしつつあるような気がして戦慄を覚えた次第です (滝汗)。しかしそういえば、間もなく富山地鉄の17480形(東急8590)が目出度くデビューするということで、数字をひっくり返しただけの14780形の画像を選び、マクロレンズでお手軽スキャンしてみました (^^;)。



 とはいえ……誠に遺憾ながら、約10年間の個人的非鉄期に入る前・80年代の富山地鉄訪問で撮影した14780形の画像は、何と正面から撮ったものしかありません!(超滝汗) 勿論今にして思えば、富山地鉄の日車ロマンスカーシリーズ第二弾として登場した14780形は、第一弾の14790形を片運バージョンにしたうえで相棒としてクハ180形を用意し、正面を今日まで続く伝統の二枚窓としたという点で、富山地鉄の車両史上大きな足跡を残した車両であることは言うまでもありません。しかし……とにもかくにも当時富山を訪れる究極・最大の目的は、運輸省規格型の半鋼製釣掛式電車である14710・14750形を撮影することでしたので、カルダン駆動の日車ロマンスカーは割とどうでも良い存在……。しかも、コダクロームを1日に24枚だけ使って良し!という厳しい予算制約の中、「どうでも良い」車両を激写するわけにも行きません。というわけで、14780形をサイド気味に撮影したカット(当時は既に二段ユニット窓化済)は皆無……(返す返すも大馬鹿者! ^^;)。
 では、これらのカットは何故あるのかと申しますと、交換設備があった当時の本宮駅にて、14783Fがからんだ並びシーンに気合いが入ってしまったからであります (笑)。1枚目は、富山方面行き列車を待避していた立山行き14783Fの車掌が、何とも気の早いことに本宮停車中に宇奈月行き特急板に交換 (笑)、そこで時刻表を見たところ、何と!通過するのはやはり宇奈月行きアルペン特急であることから「宇奈月行きアルペン特急が2本並ぶのはフツーないよな」と思いまして、速攻でセッティングして撮影したもの……であるはずです (勿論当時の記憶はすっ飛んでいますが、状況証拠的に ^^;;)。2枚目は、立山から折り返して来た宇奈月行き14783Fが、本宮始発の14711Fと並んだシーン。こちらは14710形がからむものですので、それなりに気合いを入れて撮影した……はずです。嗚呼それにしても、昼間の上滝線列車が有峰口または本宮まで空気を運びつつ直通していた頃が懐かしい……。
 というわけで、14780形に関しては後悔ばかりですが (14790形に至っては1枚も撮ってない……-_-;)、今後の鉄コレ化ににつきましては強く期待しつつ、80形の名を継ぐ17480形の新たな活躍が間もなく始まるのを心の底から楽しみにしたいと思います♪ しかも、4扉ロングシート車が天険・立山連峰の山懐へと突っ込むという、単にヲタ狙いとしか思えない定期運用が組まれていますので、超楽しみです☆ ロングシート車自体は14710形の一部の編成もそうでしたので、約20年ぶりの復活ということになりますが、2扉と4扉では全然雰囲気が違いますし……(^^;;)。


 嗚呼、上横江!! 80年代でもほとんどの列車が通過した不遇な駅!!
 凄まじいほどの天気の悪さが不気味な寂寥感を大いに盛り上げ……。
 しかし、そんな雰囲気に憧れて敢えて訪れたのです。(アホな高校生!)
 確か乗るか降りるかしましたが、車掌からヘンな目で見られ……(笑)。
 (勿論、片道は横江との間を道路歩き……)
 それにしても、10020形の最後の1本となったこの編成、今後は如何に?


400万アクセス御礼・池上目蒲7200系

2013-08-30 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをご覧頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは400万アクセスの大台に達しました。元々あくまでごく狭い範囲の知り合いに楽しんで頂くため、そして個人的な鉄活動の備忘録として始めたに過ぎないこのブログが、厳格なアクセス数カウントの茶碗ブログにおいて400万アクセスに達したとは……今以て信じられない気分です (汗)。
 とはいえ、これだけ凄まじいカウント数になったからといって、鉄道趣味界の発展のために有益で客観的な内容に変えて行かなければならないという崇高な責任を感じるということは一切ございません。あくまでこれまで通り、鉄道趣味界の辺縁でひっそり細々と活動する私自身の忙中の閑として、気に入った鉄道車両への思い入れや、ヘタクソな模型の製作記録をダラダラと記して参ります。もっぱら自分のための備忘録、そしてお世話になっている方々に楽しんで頂くための自由放送ブログであることに変わりありません。
 というわけで、「キーワード検索にひっかかったこのブログ……何なのだ!この個人的で主観的すぎる内容は! 写真はありきたりな編成写真ばかりで芸術性がなくダメダメ! 模型も自己満足のみでヘタクソ!」と思われる方には、大事なお時間を有益に活かして頂くため、他の優れた内容のサイト様をお薦め致します。閲覧は無料ですので、有料サイトのような内容責任を負う必要は感じませんし、さりとて全く面識のない方の満足のために無報酬の献身をしなければならないという博愛精神も欠けた人間でございます……。一方、このような内容であってもお楽しみ頂いている方、あるいは幾許でも参考にして頂いている方には引き続きご笑覧頂ければ、庵主=管理人として心より幸甚に存じます m(_ _)m



 さて、区切り目ごとの堅苦しいご挨拶と、目立とうという意図はそもそも全くないにもかかわらず異常なアクセス数に至ったことへの当惑はこの程度にしまして、恒例のキリ番記念懐かし画像をどうするか……ですが、とにかく80年代の中学・高校時代に撮ったカットそのものが、フィルム代にも事欠く貧乏中坊・高坊であったために僅少であり、数多くのシャッターを切れない=ちっとも上達できないという問題もございますので、だんだんネタ切れになりつつあります……(滝汗)。しかし、それでも今回何とか、1984年の初秋に撮影した東急7200系の画像を発掘してレタッチを加えてみました。中坊だった当時は基本的にカラーネガで撮っていたのですが、このときに限ってふと「モノクロフィルムで東急を撮ってみたい」という気分になり、中学・高校時代を通じて唯一モノクロフィルム (ネオパンSS) を使ったのがこの東急撮り鉄でありました。とはいえ今から考えてみますと、カラーフィルムの劣化は目を覆うばかりである一方、モノクロフィルムはビクともせずスキャンとレタッチもラクラク♪ うーん、常にモノクロフィルムを使うべきでした……。
 それはさておき、神奈川県央在住の半鋼製釣掛式電車小僧であった当時の私にとって、東急撮影の最大のお目当てはそれまで全く乗って撮る機会がなかった (泣) 3450形など戦前製電車であり、例えばこんな写真あんな写真を撮ってはしゃいでおりましたので、正直なところ東横線で8090系が増えたあおりで目蒲線や池上線に進出したばかりの7200系は「別に来なくていい……」という存在でした (爆汗)。うーむ、生まれたときから幼稚園の頃までは、毎日目を皿のようにして7200系の8連急行を眺めていたはずなのですが……。しかし中坊時代の私は誠に根暗で、性格も容姿もブス揃いな超底辺中学校の女子には「ケッ」としか思わず、聖○チャンカットや「おニャ○子」などのアイドルの氾濫にも「キモッ」と一瞥もくれず (○まちゃんブームで再び80年代アイドル文化が注目されており、今改めて見るとそれなりに後の芸能界人材の発掘機能を果たしていたことが分かりますし、小○○日子の独特の哀感ある歌も魅力的なわけですが、当時のああいう髪型だけはどうしてもコテコテ過ぎてイヤだ……)、ただひたすら「釣掛式電車最高っ!」と念じていたものですので、折角のギンギラコルゲート車体にも愛を注ぐ余裕はない視野狭窄に陥っていたのであります……。とはいえ、やはりナマで目蒲池上に転じた7200系を目にしますと、にわかに幼い頃の誼を感じまして、こんな感じで (1) 御嶽山での並び (2) 地上時代の大岡山……といった懐かしく貴重な (?) カットを撮っておりまして、今さらながら「でかした俺!」という気分です (^^;)。
 以来早いもので……あっという間に29年の歳月が流れた今、私自身は釣掛式電車しか眼中になかった中坊高坊時代を心から反省し、昭和のカルダン駆動電車についても大いに愛でているわけですが、とりわけ東急7200系は今改めて旬であるように感じられます。本家東急では歌舞伎VVVF7600系が何時まで走るか分からず、十和田の両運化7200系や恩田の旧デヤがどうなるか宙に浮き、上田の7200系はまるまどラッピング2編成のみとなる中 (2枚目のデハ7253が全く同じ車番でまるまど編成として現役!)、豊橋鉄道に転じたグループはまさに百花繚乱のカラーバリエーションとなってますます長寿の気配が感じられ (1枚目の画像の2編成は、いま豊鉄で「菜の花」「桜」編成となっています)、兄弟車の静鉄1000系のカラバリもなかなか興味深いという……。一方模型でも、今年に入り本家7200系・豊鉄1800系赤・上田まるまど・静鉄1000現行標準色が鉄コレとなり、今後ますますカラバリ攻勢で財布がすっからかんになりそうな……(^^;)。というわけで、先日ジャカルタで東急8000系列にどっぷりハマったのも良いのですが、一方で今年に入ってから静鉄と豊鉄を再訪して短時間ながらも結構楽しめまくりでしたので、ここらで久しぶりにじっくりと、本家池多摩線の7600系をはじめ、各地の東急7200系軍団を撮り貯めてみたいものです♪ まぁ、時間が足りない……というジレンマがますます強まるばかりですが (汗)。

謹賀新年・1984年夏の上田交通上田駅

2013-01-01 00:00:00 | 懐かし画像


 皆様あけましておめでとうございます m(_ _)m 当ブログはあくまで管理人の個人的な鉄道趣味をめぐる思い入れや備忘録をダラダラと綴るのみの、何一つ生産的でも建設的でもない内容でお送りしており、鉄道界や鉄道趣味界の動向など何処吹く風というスタンスでございますが、新年もあくまで息抜きとして個人的な内容を貫いて参りますので、そこのところ誤解なきよう御諒解頂きました上でお楽しみ頂ければ幸いです m(_ _)m
 さて、今年はいよいよ東横線と副都心線との直通運転が開始されるほか、昨年末に発表された毎年春の恒例・JRダイヤ改正による車両の動向もかなり大きなものがある等、引き続き全国的に眼が離せない情勢が続くことでしょう。年始にあたり、そんな話題を綴ってみるのも良いのかも知れませんが……それは他の数多のサイト様やブログ様でなさることでしょうから、当ブログは敢えて実車の最新の話題には注目せず、あくまで今年個人的に超!期待している模型ネタに注目してみたく存じます。祝!鉄コレ17弾・上田交通5250形発売!!\(^O^)/



 う~む、何と申しますか、最近はなかなか遠出するヒマがない分、自分自身の趣味生活も鉄コレを中心に回るようになりつつありますな……(滝汗)。たまに朝の一番電車に乗って出掛けるところといえば、鉄コレ事業者限定品の即売会場であったりしますし (^^;)。つい3日前もカモになったばかり……(爆)。まぁこれこそが、ヲッサンホイホイたる鉄コレの真骨頂なのかも知れませんが、鉄コレの発売予告に合わせてこうして昔撮ったネタをいそいそとPCに取り込み、いじらしくレタッチに没頭する自分自身を発見するのです (笑)。
 というわけで、今回アップしてみましたのは、1984年7月・まさに中二病、もとい中学2年の夏休みに初めて上田交通を訪れた際の上田駅の画像です。最近お手軽スキャンとしてポジフィルムで試した方法 (ライトボックスにフィルムを置いてマクロレンズで撮影) は、ネガフィルムでもやはり容易く実践可能であることが分かりまして (レタッチソフトで陰陽反転)、年賀状などそっちのけで (爆) 作業を推進♪ 以前所有していたフィルムスキャナで古いネガを取り込んでも画面ザラザラ・色調メチャクチャで全然うまく行かず、最早劣化しまくってしまったのか!と諦めておりましたので、ここまでキレイに (?) 画像を取り込むことができ感無量です♪ 
 とくに1枚目の画像は、国鉄信越線上田駅の跨線橋におまけの如く接続する上田交通の木製跨線橋を渡り、生まれて初めて上田交通の何たるかをナマで見届けた瞬間の感動・感激が、約29年の歳月を経て鮮やかに蘇るかのようです……(*^^*)。いっぽう2枚目は、信越線上田駅のホームから、奥の方の留置線に放置されたクハ2両を撮影したものですが、手前の車両は長電600形を電装解除したクハ271。同じく長電600形であったモハ5271の相棒役でしたが、私が訪れた際に動いているのを見たことはなかったです (汗)。奥のクハ273は、かの伝説の東横線ガソリンカー・キハ1の貴重な残党ですが、1枚目に移っているサハ41 (もと飯山鉄道DC) と同様、クハ290と入れ替わりで離脱して久しく……当時はつくづく「あと2~3年早く生まれていれば!」と嘆いたものでした。それでも、こうして撮影しているのですから、今思えばやはり貴重な機会だったのだろうと思います (しみじみ遠い目……)。
 とまぁこんな感じで、今春の鉄コレ5250発売に寄せた画像をアップしてみましたが、思うに……こうして5250形や7200系が鉄コレになるのは誠に目出度いとしても、やはり750V時代の上田交通の真髄は、とにかく様々な車種が短い路線にひしめく点にありましたので、4250、5250……と小出しにではなく、「上田交通セットA・B・C……」という感じで、1セットあたり2~3種の車両が入っているセットをリリースして欲しいものです。そうなったらそうなったで、眼を血走らせてゲットに走ることになりそうな……新年早々煩悩まみれで恐縮です (^^;;)。

350万アクセス御礼・北陸鉄道3770形

2012-12-18 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは350万アクセスの大台に達しました。アクセス解析を眺めてみるにつけ、最近は鉄コレ・模型関連で検索のうえ当ブログをご覧になられる方が多いようで、その結果アクセス数も「このような、鉄道趣味界の如何なる利権や声誉とも結びついておらずマイナーなはずの個人的ブログが何故……」としか思えないほどのものとなっておりますが、こうしてアクセスされたところで載っているのは自己流の車両画像とヘタクソな模型いじりの結果に過ぎず、検索で期待された方には大変申し訳ございません (^^;)。ともあれ、今後もあくまで個人的な鉄道趣味活動&偏屈な思い入れの備忘録として淡々と綴って行くのみですが、不正確や偏見をも笑い飛ばしてお楽しみ頂ければ幸いでございます m(_ _)m
 というわけで、今回の記念画像は……鉄コレ16弾の北陸鉄道6000・6010形が素晴らしい出来だったのを記念しまして、石川線の3770形をアップしてみましょう。



 この3770形は以前にもアップしましたが、当時使っていたフィルムスキャナはキヤノン製で結構高かったにもかかわらず、所詮フィルムスキャナ黎明期のボロ。青息吐息の動作で、しかもジャジャ馬な画像しか取り出せず、結局1枚スキャンしてレタッチするにも疲れ果てるという……(-_-;)。というわけで、最近巷で流行 (?) の、ポジフィルムをライトボックスに乗せてマクロレンズで接写するというお手軽スキャンは本当に便利ですし、これまで未スキャンだった画像をこうして紹介しようという気分にもなるものです。
 それはさておき、3770形は元はといえば1928年に愛知電鉄 (現・名鉄名古屋本線の三河ゾーン) のデハ3300形として登場し、一時は特急「あさひ」として日本一の俊足を誇った伝説の大型車。ただ、HL制御であったために3700系列に下回りを譲って廃車となり、近似の車体ながら7年後に登場した名岐800系 (AL車の元祖) とは対照的な運命をたどっています。そして車体は北鉄石川線・豊橋鉄道・大井川鉄道に流れ、北鉄石川線ではモハ3770形2両 (当初3両ながら1両は早い段階で事故廃車)・クハ1720形4両が7000系導入まで活躍したという経緯があります。
 というわけで高校時代の私は、まさにこの3770・1720形目当てで2度石川線を訪ねているのですが、いや~、3770形のこの車体!ニス塗り白熱灯車内!……本当に至福のひとときだったのを思い出します (*^^*)。準急サボ・行先サボともども、毛筆体なのがさらにグッと古豪の魅力を引き立てていますね……☆ そして1720形は、窓の上段がHゴム支持に改造され、車内はペンキ塗りとなっていましたが、これはこれで「窓が小田急1800っぽい (?)」という悦楽がありましたし、何と言ってもラッシュアワー用に仕立てられた2M1T編成も、石川線が「石川総線」と呼ばれていた頃の威厳を雄弁に物語って余りあるものがあります♪
 というわけで、「しらさぎ」「くたに」に引き続く北陸鉄道車両の鉄コレ化推進を夙に願っている私としましては、何よりもまずこの3770・1720形の鉄コレ化を切望しているのです……! 名鉄3300 (初代)・豊橋モ1800 (初代)・大井川モハ309というバリエーション展開もバッチリですし♪ しかし……鉄コレ第14弾で名鉄3800系出自車両が余り人気ないらしい様子を眺めるにつけ、その機会もかなり遠い先になってしまうのではないかと危惧しております。ト○ーテック様、何卒製品化を宜しくお願い申し上げます……m(_ _)m 

ブログ開設8周年記念・上田交通クハ252

2012-10-28 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは開設から8周年の節目を迎えました。2000年前後に約10年の非鉄時代から目覚め、撮り貯める中で腕もぼちぼち申し訳程度に向上し、さらにデジ一眼の普及と購入によって撮る枚数も増える中、ネット上で知り合ったごく限られた方々にまったりと自分の撮り鉄画像をお楽しみ頂くために(要は自己満足のために)深いことは考えず始めたのが当ブログの縁起でございます。しかし100万アクセスを機にブログ名を改め、小まめにネタを仕込んでアップする日々を続けているあいだにいつの間にか8年という時間が過ぎ、記事の数も約2400に達しているとは! (@o@) 飽きっぽく目移りばかりの自分 (だからこそ撮る対象は絞られずあちこち浮気……^^;)にしては信じがたい話です (笑)。今後も、アクセス数云々には一切関係なく、単純に個人的に気に入った鉄道車両の画像や気になる鉄道事情をめぐる駄文、そしてシコシコ作った鉄道模型 (←8年間における最大の変化は、模型にハマって自分で組むようになったことでしょうなぁ)の製作過程を備忘録的に綴って行くのみですが、そんな箸にも棒にもかからないような落書きを自己責任でご覧頂く皆様に多少なりともお楽しみ頂ければ幸いです m(_ _)m



 というわけで今回は、去る9月2日にアップした上田の平面ガエル・クハ290画像と同じ日に撮影した、上田の古典的秘宝たるクハ252をアップしてみましょう~。
 1986年秋に昇圧するまでの上田交通は、手持ちの電動車の制御方式が統一されていなかったことから、2連を走らせる際にはそれぞれの制御方式に対応するクハを用意するか、ぶら下がりサハを連結するかの選択を強いられておりました。大別するとHL車 (4桁車番の百の位が2)、AL車 (4桁車番の百の位が3) に分けられますが、かといってHL車の制御装置が琴電のように揃えられているということはなく、5250・5260・5270・5370形は結果としてそれぞれ相棒クハが存在し、運用上の都合で相棒クハを動員できない場合は、他の形式に対応するクハもしくは純粋なサハをぶら下げる……という、今日からみれば実に悠長な運用が展開されていたものです。勿論、制御装置が統一されず、それだけ様々なクハを用意しなければならないこと自体、お世辞にも効率的であるとは言えず、車両が老朽化を極める中では部品の融通も利かなかったわけで、それが結局86年秋の昇圧とクリームガエル化につながったものと思われますが、そんなローカル私鉄らしさ全開の風景が消えて行ったことは、当然の成り行きとはいえ返す返すも残念なことであります……(遠い目)。
 そんな状況が展開していた上田交通別所線750V時代末期にあって、クハの主力は電動車最大勢力たる丸窓5250形に対応するクハ290となっていましたが、電動車の第二勢力である5370形に対応するクハ252も非常によく活躍する一両であったと言えましょう。信濃鉄道 (現・大糸線) の木造車をAL化し、さらに小田急クハ1650の車体を大改造のうえ載せたモハ5370が、神中鉄道DC→相鉄クハ1501を譲り受けたクハ252を牽引してガタガタと走る姿は、神奈川県央からやって来た半鋼製釣掛マニアな少年の心を鷲づかみにして離さなかったことは言うまでもありません……(*^^*)。しかもこのクハ252、半室運転台が温存され、ロングシートが最前部まで残っていましたので、前面展望は極上級! 別所温泉で最前部に陣取れば、クハ252・モハ5370の趣深いニス塗り車内や、モハ5370の野太い釣掛サウンドを楽しむ暇はなくなりますので、ある意味で究極の選択でしたね……。そこで私は、5370の車内とモーターを選択し、クハ252は別所温泉で車内の写真を撮るのみだったのですが、ちょっと勿体なかったですね (^^;)。
 ちなみに、元長電の5261・5271には、それぞれに対応するクハ261・271という車両がありましたが、261・271は私の訪問時(といっても中2夏・中3卒業時・高1夏の計3回ですが……)には決まって上田か上田原に放置され、5261がクハ252を代用ぶら下がりサハとして従えているシーンも撮影したものです (汗)。モハもクハも1形式1両という状態では、上田や別所温泉での臨機応変な増解結に261・271を用いるのは面倒だという判断があったのでしょうか……。そんなレア (?) シーンは、また機会がありましたらアップしてみたく存じます。