地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

上田交通の平面ガエル・クハ292 (86年3月)

2012-09-02 00:00:00 | 懐かし画像


 9月の声を聞いても相変わらず暑いですね……。今日は気休め程度に雨が降って多少気温が下がるようですが、週明けはまた一気に気温が上がるようで、焼け石に水の感があります。皆様くれぐれもご体調にはお気をつけて……。
 というわけで涼める画像を (笑)。先日ある必要が生じて、むかし撮影した非鉄写真をデジタル化したのですが、その際に用いた「ライトボックスにポジフィルムを置いてマクロレンズで撮影」という方法が非常にラクであることに気づきまして (12年前に買ったフィルムスキャナの低性能ぶりは、約10万円も出したというのに一体何だったのだろうかと……。→既に廃棄済み -_-;)、ついでにほんの少々、未公開の懐かし画像をデジタル化してみました。上田交通のクハ290です!!



 クハ290といえば、ご覧の通り東急5000系の中間車を平面顔クハに改造した珍車として、1980年代の上田交通 (現・上田電鉄) に興味をお持ちの方でしたら知らぬ者はない珍車。半鋼製車ばかりで、しかも付随車はサハの占める比重が高かった上田交通において、乗客サービスの改善を図るとともに、上田&別所温泉でのモハ頭出し入換 (とくに別所温泉での入換は超!珍品モノで、RP誌の1984年4月「甲信越・東海のローカル私鉄」増刊号で詳しい手順が紹介されています) をなるべく省略するべく、1983年に登場したのがこの車両でありますが……中学・高校時代の私にとっては超ハズレな車両であったのを思い出します (爆)。何故ってそりゃあ……丸窓5250形をはじめ、骨董品クラスの半鋼製(車内ニス塗り)釣掛式電車を熱く追い求めて、僅かな小遣いをはたいて上田を訪れるというのに、クハ290が登場してしまったためにサハ41 (もと飯山鉄道DC) やサハ62 (もと東急サハ3350)、そしてクハ273 (もと東横ガソリンカー→神中クハ) の出番がなくなりましたので……。
 というわけで、貧乏中学生が初めての一眼レフとして高校入学祝いでキヤノンA-1を手にし、エクタクロームを詰めて撮影に臨んでも、クハ290をまともに撮影したのはこの程度 (超滝汗)。形式写真を撮っていないという最悪の愚かさ……(穴があったら入りたい!)。貧乏中学生が遠征する際にあたり、「1日24枚」という縛りの範囲で撮影したものですから……。
 しかしそれだけに、今であれば超!垂涎モノのクハ290を大して撮影していなかったことを心から悔やみ、自らの青二才ぶりを恥ずかしく思うものです (笑)。いやはや、こんな記録であっても当時の感情を生々しく思い出させてくれ、冷や汗でヒンヤリさせてくれるとは……(^^;;;)。

300万アクセス御礼・秩父500系

2012-03-12 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは300万アクセスの大台に達しました。当ブログは鉄道趣味界のトレンドなどは一切お構いなく、あくまで個人的な撮り鉄&模型いじりの記録、ならびにお気に入り車両への思い入れの自由放送に徹しているのみの内容でございますので、一体何がどうなってこのようなアクセス数になるのか未だに理解を超えるところです。とはいえ、表の社会では根暗でモテず甲斐性無しな管理人としましても、これだけご覧頂いているとなると奇妙に舞い上がってしまうようなところがございまして、ならば期待に応えなければ……ということで「豚もおだてりゃ樹に登る」かの如く日々更新に努めた結果、いつの間にかこうなったのかも知れないと解釈しなくもありません (笑)。
 こんな感じで更新を続けて参りました当ブログですが……ついに多忙続きのためネタ切れが近づいております (滝汗)。正直申しまして、最近は記事を書く時間も減り、何処かへぶらりと出かけるという時間も少なく……。いやそもそもここのところ、何とかアップするネタを補充し続けるために何処かで撮影し、あるいは模型をいじり続けていたのかも知れず、純粋に楽しむべきものであるはずの趣味がどこか義務めいていなかったか?という矛盾を薄々感じている今日この頃です。



 そこで、300万アクセスという節目にこんなことを申し上げるのも恐縮ですが、今後は「基本的に毎日更新」を保証できないことをおことわりさせて頂きます。更新の義務感から自分自身を解き放って、あくまでマイペースで趣味活動したいということでして……(これから陽気の良い季節、足のリハビリを兼ねて久しぶりに山屋に復帰したいという願望もあります)。また、既にそうなっているのですが、コメントへのレスが大幅に遅れることも多々生じる可能性がございます。つぶやき的短文コメントは今後基本的に一切表示しない方針です(僅かな情報しかない文章に「そうですね」以上の気の利いたレスを考えるのはとても面倒なことですので)。さらに、余程忙しくなった場合にはコメントの受付をすべて停止させて頂く可能性もあります。しかし、表示したコメントにつきましてはレスさせて頂きますので、気長にお待ち頂ければ幸いです。これまでお楽しみ頂いている皆様には大変申し訳ありませんが、所詮商業コンテンツではなく自由放送に過ぎないということもございますので、ご理解賜りたく存じます。m(_ _)m

 景気の悪い話ばかりでも何ですので、アクセス数の切れ目における定番として、懐かし画像をちょこっとアップしてみましょう。数年前にスキャンしたきり寝かせたままであった秩父500系の画像です……。私が中学~高校時代に秩父に通った頃、車内に入ると長~いロングシートがあるだけの500系は、半鋼製100系や元小田急の800系と比べ、趣味的にみて圧倒的に華のない車両でしたが、湘南顔と小窓ズラリな側面の組み合わせは今となっては最高に懐かしく……もし今でも現役でしたら間違いなく人気爆発となっていたことでしょう。世代的には国鉄101系→1000系とほとんど変わらないはずで、ちゃんと平行カルダン駆動を装備していたことから、明らかに100・800系とは一線を画し、長電2000系などと同じ日車湘南顔を持つ新性能電車として堂々たる素質を持っていたはずですが、長電2000系や富山地鉄20系列などの長寿ぶりとは裏腹に、冷房化もされず今からちょうど20年前に東急7000系→2000系と入れ替わるかたちで全廃されたのは、2扉車ゆえのラッシュ対応能力の低さによるのでしょうか……?
 そんな、とにかく地味でやや不運な(?)気配が漂う500系ではありますが、いずれ鉄コレで出ることを心から期待せずにはいられません (*^^*)。確かあまぎかどこかからガレージキットが発売されているはずですので、それを買ってくればという気もするのですが……半田鏝コワイ (^^;)。
 ともあれ、こんな電車は二度と現れないと思うにつけ、シブい電車たちが至るところで活躍していた時代が遠くに去ったことの寂しさを痛感する今日この頃です。

富山地鉄14750形 (祝・鉄コレ第14弾!)

2011-04-22 00:00:00 | 懐かし画像


 鉄コレ第13弾・20m級キハコレクションの熱い余韻が容易に冷めやらない今日この頃ではありますが、昨日帰宅してネットをウロウロしていたところ、思わず「ぬをををっ!」と雄叫びが……。ななんと何と!鉄コレ第14弾として、戦後運輸省規格型・私鉄中型車シリーズが登場するではありませんか!! 具体的には、大井川3800+2800の2連、大井川クハ2800を展望電車に改造したクハ861、豊橋鉄道1721+1771、富山地鉄14710+クハ10 (以上名鉄3800形由来)、富山地鉄14750形、長電1000形、京福1000形といった顔触れですが、いや~何を隠そう、私は中学・高校生の頃、この手の車両が大好きだったのです。というわけで、心の底から万歳万歳万々歳!!! \(^O^)/ まぁ如何せん貧乏中学・高校生だったもので、これらの車両の全てを巡り歩くことは到底叶わなかったのですが (京福1000形に至っては、乗って撮りたいと思った時には既に阪神車体の1101形に更新済み。長電1000形も長野口地下化で消滅し、屋代線で1500形が僅かに残るのみ)、とくに富山地鉄14710・14750形につきましては、豊かな緑や深い雪に包まれた風景の中、キュッと引き締まったイケメンボディ (?) の釣掛電車が力強く急勾配に挑む光景に魅せられ、高校時代に2度訪れたものです……(遠い目)。



 というわけで今日は、約10年前にスキャンしたきり放置していた富山地鉄14750形の3重連をアップしてみましょう。富山地鉄14750形は両運転台車4両が在籍し、釣掛ながらもカルダン駆動車と混結可能であったことから、冬期の上滝~立山線単行から標準2連、夏期の増結車などなど八面六臂の活躍を続け、遅くとも1995年までに廃車となったセミクロスシートの車両です。そこで長らく、富山地鉄の優等車標準塗装である朱色+赤みの強いクリームを纏っていましたが、私が訪れた80年代半ばにはグレーと赤帯の現行塗装に姿を改め、二つ目玉も凛々しく前パンを振りかざしておりました。そんな14750形が、夏のアルペンルート最繁忙期に合わせて3重連でやって来たものですから、相対式ホームの交換駅であった当時の本宮駅で撮り鉄していた私は思わず鼻血が吹き出そうなほど狂喜乱舞して激写したのを覚えています……(遠い目。あ、もちろん当時はモードラやワインダーを使ってコダクロームを湯水のように消費するなどという真似は間違っても出来ず、あくまで1枚1枚ピントと露出にシビアになりながら1カットに集中したものです)。
 いっぽう、立山線運用が多かった14710形も勿論撮影していますが、とにかく撮りたかったブルトレ塗装 (今回鉄コレで再現されます) は初訪問の時点で消滅間際……。上滝線の朝の4連・岩峅寺方に連結されていたところに乗ってしまい、日中は稲荷町の奥深くに引っ込んでしまったため、結局お見せできるようなカットは残っていません (トホホ)。現行塗装バージョンはまた機会があればアップしようと思います。一方「嗚呼……14710形の現行塗装バージョン、出ないかなぁ……」と思っておられる方も多いことでしょう (私も激しく希望!……どちらの塗装も超お気に入りですので♪)。オープンパッケージで売って頂けると有り難いのですが。
 そんな魅惑の顔触れを盛り込んだ鉄コレ14弾ですが、果たしてシークレットは如何に?! 個人的な予想では、富山地鉄14750形のうち前パン側が非貫通のバージョン (1枚目の画像。あ、14754は忌み番につき欠番) となるのか、それとも14710形の正面貫通時代 (名鉄原形のまま) となるのか、長電1000形のうち両側貫通の1004となるのか、はたまたクハニ改造のクハ1060形となるのか……。
 そういえば、運輸省規格型中型車シリーズの一翼として、秩父100系の存在を忘れるわけには行かないのではないか?!と思うのですが、是非これはオープンパッケージで、デハ100 (KS33E)+クハ60+デハ100 (FS44)+クハニ20というフルコースでお願いしたいものです (秩父車の鉄コレ化には熱心なトミーテック様のことですし、当然のように期待しても良いですよね……と ^^;)。あと、名鉄3800の譲受車がこれだけ販売されるということは、本家バージョンもダークグリーン・アイボリー赤帯・スカーレットとバージョンを変えつつリリースされることが予想されるわけで……。そして運輸省規格型といえば、東急3700→名鉄3880も鉄コレ化候補として考えられ……いやはやスゴい世の中となったものです。

200万アクセス御礼・大雄山線新旧交代

2010-08-29 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 当ブログはこのたび、200万アクセスの大台に到達しました。
 当ブログは、モテ度ゼロで根暗な管理人がシブい鉄道車両を撮り歩いた記録を、とにもかくにも主観的に綴っているだけのブログでありまして、まず何よりも管理人自身の備忘録として、そしてごく僅かな懇意の方々に楽しんで頂くために始めたものです。したがいまして、始めた当初しばらくの間は毎日数アクセスという状態が当たり前で、それ以上増やそうという意図も皆無でした (今もありません。笑)。しかしその後徐々にアクセス数が増え、最近では不特定多数の方が連日千数百名もアクセスされるという展開は、そんな当初を思い出すにつけ驚愕に値するものであり、意外ですらあります。加えて、アクセス数が増えれば「こんな御仁と同じ趣味を共有しているとは……(-_-;)」と思わされる事態や、当ブログで記事にしたためにむしろ自分自身の首を絞めているのではないかと思わされる事態が増えることも避けられません。このため、「一体誰のために記事を作っているのか。もう止めようか」と思ったことも数知れず……。
 しかし一方、当ブログの内容に共感して下さる方々から懇切なコメントを頂くのは本当に有り難く、そのような方々にはいっそう楽しんで頂きたいという強い思いもあります。というわけで、結局どっちつかずでダラダラとアップを続けていたところ、ついにこんな数字となってしまったという次第です (^^;)。
 最近はますますややこしい仕事の依頼が重なり、脳味噌がオーバーヒート気味の管理人でございますので、今後このブログをどうするのかは「一寸先は闇」状態ですが、とりあえずお気に入りなカットが撮り貯まるあいだは引き続き備忘録として綴って行こうかと思っております。これまでお世話になってきた皆様のご厚情に厚く御礼申し上げますとともに、引き続き稚拙な内容ながらも笑って温かく見守って下さいますよう宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m 



 それはさておき、キリの良い数字の際に恒例となっております (?) 懐かし画像、今回は1984年3月の伊豆箱根大雄山線を掘り起こしてみました。今ではすっかりオリジナルの高性能車・5000系の天下となり、たまに大場工場との間で車両を回送する際やレールチキを授受する際のみ釣掛車コデ165が走るというのが大雄山線の日常ですが、1980年代前半は国鉄17m旧国 (一部西武経由) と元相鉄2000系 (まぁこれも国鉄17mの系譜に属します) という二大陣営からなり、小田原駅の片隅で何とも言えず地味で鈍重なオーラを放ちまくっていたものです……(*^^*)。
 その中でも特に個人的に超!お気に入りだったのは、モハ154+モハ155+クハ183の3両編成♪ 前面窓のHゴム化改造を受けた車両や、電装時に後パンとされた車両が多かった中、とくにモハ154は前パンと木製窓枠の凛とした表情を備えており、中1となってから撮影旅行を許されて初めて撮影に訪れた私は超メロメロとなったものです……(*^^*)。また、何故か3列ガラベンという特異でゴツい姿を備えた中間電動車モハ155のマニアックな存在感もグッと来るものがありましたし、クハニ19を譲受したクハ183もゴツゴツなリベットや木製窓枠を維持した格調高き存在でした……。そしてこの編成の最も偉大な点は……オール・ニス塗り車内!! v(^^)v 小学校卒業記念旅行として上諏訪から豊橋まで通し乗った飯田線旧国が1983年初夏に総崩れとなり、これから付き合おうとしていた存在と一度きりの別れをせざるを得なかった中1の私にとりましては、東武73・78系と並んで大雄山線のこの編成が燦然と光り輝いて見えたのです……。
 しかし、半鋼製釣掛式電車が加速度的に消えて行ったこの時代にようやく中学生となり、趣味活動を本格化させたことの悲哀は、今思い出しても例えようもなく胸が張り裂けるほど。蜜月は早くも幕を閉じ、愛しの154+155+183編成は1984年3月に登場した5001Fと入れ替わりに廃車となったのでした……。鉄道雑誌で5000系の完成を知った私の脳裏を真っ先によぎったのは、大雄山線旧型車のうち一般客から見て格別にボロいこの編成が真っ先に廃車になるだろう、ということ。この編成との最後の語らいは、確か3月の学年末試験が終わったあとの土曜日の放課後だったでしょうか……「新型車近日デヴュー」という『神奈川新聞』の報道にいてもたってもいられず小田急線に乗り、早春の陽光の中で最期の雄叫びを上げるモハ154の雄姿にシビれ、心の中で咽び泣いたのでした……。
 もっとも、いま改めて冷静に眺め返してみますと、登場記念HM付き5000系とモハ154が並んだ貴重なシーンもしっかりと撮っており、「よくやった、中1のオレ」という気分です (笑。但し、超逆光という悪条件に加えて、フルマニュアル状態のコンパクトカメラでヤマカン露出ですので、スキャンしても暗部をうまく再現できないのが残念)。そして……モハ154の最期を追っかけ回してこんなシーンを撮っているのは自分一人だけだったこと (他の撮り鉄を見かけず) を思い出すにつけ、心の底から「昔は良かった……」と痛感します。それほど、ローカル私鉄趣味というのはマイナーで流行らない地味な世界だったのです。世間一般の鉄道趣味エネルギーのほとんどが、国鉄・JRのネームド・トレインや機関車に注がれていた時代よカムバァァァック!! (空しく超爆)

150万アクセス記念・冬枯れ色の秩父'80s

2009-11-16 10:31:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂きましてありがとうございます。
 このたび当ブログは150万アクセスを数えるに至りました。100万アクセスを数えてからは約11ヶ月……う~ん、ウケ狙いをせず自己満足に徹するはずのブログであるにもかかわらず、このペースは一体……。このままで行きますと、6周年と200万アクセスが重なりそうですが、その前に私自身が多忙過ぎますので、果たしてネタが続くのかどうか分かりません(と申しますか、ここしばらく休みらしい休みがなく、全くカメラに触っておりませんので、遅かれ早かれ放置ブログとなることでしょう……?!)。まぁそうなったらそうなったで、元の通り知る人ぞ知る超マイナーな存在に戻るということで……。当ブログに「ネタ」を求めている方がおられるとすれば、アクセスする分だけ時間と電気代の無駄になりますので、他のところへどうぞ……と (^^;)。ともあれ私自身は、ごく僅かな余暇を使って人知れずひっそりと自己満足的趣味活動を続けることには変わりなかったりします(笑)。
 それはさておき、とりあえずアクセス数の節目には懐かし画像をアップするのが恒例となっておりますので、ガサゴソと以前スキャンした画像を漁ってみたところ……丁度良いものがありました。100万アクセス・5周年に引き続いて秩父ネタですが、やはり秩父鉄道創立110周年を記念して是非!ということで……(^_^)。



 詳しい説明は基本的に不要かと存じますが、1枚目は三峰口に佇む301F「急行秩父路」でありまして、2枚目は偉大なる半鋼製車100系の一角を占めるクハニ20でございます。高校時代、真冬の秩父を撮ろうとして、ひときわシブい発色をするコダクロームを選んでみたのですが、とくに1枚目の301F留置シーンはその狙いがドンピシャで当たりました……。冬の日だまりにまどろむ301Fの美しいフォルムが立体的に表現され、バックの冬枯れの光景も豊かな陰影を描いています……。コダクロームの立体的な描写は、いま改めて見ても驚異的のひとことでありまして、つくづくデジタル化に伴う外式ポジフィルムの需要激減→生産中止という展開は残念!としか言いようがありません。もっとも、その前に「ではお前はどれだけ需要を下支えしたのか?」と問われれば、まことに返す言葉もないのですが……(^^;)。
 そんなコダクロームも、天気が悪いとマゼンタが強く浮いたパッとしない描写……(クハニ20)。まぁデジタル化の恩恵で補正できるようになりましたので、今更とやかく言わないことにしましょう (笑)。それよりもこのシーン、樋口駅で下車後撮影スポットに歩いて行く途中でもう野上で交換した100系が来てしまい、踏切で慌てて後追い撮影したため、ピントが後ピンになってしまったことが悔やまれます(これも小さめな画素数であれば、PCでシャープネスをいじって何とかお見せできるレベルとなりますので、技術の進歩は偉大ですね……)。何せ当時はα7000が出現したばかり。キヤノンA-1を使っていた私は当然全て手動でピント合わせしていたものです。ありがたや、オートフォーカス……(でも個人的にはAIサーボは一切使わず、全て置きピンだったりします)。
 こんな感じで昔の秩父の車両と旧塗装を眺め、当時の撮影技術などを振り返ってみるのも、鉄道趣味の奥深いところだと言えましょう。さてそろそろまた……秩父リバイバル旧塗装を撮りたくなって来ました。考えてもみれば、小豆ベージュは御披露目運転以来1回も撮っていない……(-_-;;;;)。