地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ懐旧鉄散歩 (2) 王道楽土の夢ここに

2012-03-21 00:03:00 | ベトナムの鉄道


 夕闇迫る頃、列車を見守る鉄道員の動作も頼もしく……。
 そして、メーターゲージDLに比べやけに大きい隣の客車列車の正体は一体?



 ふとデッキを見やるとオレンジの光。そして堅牢で凝った車端部と深い丸屋根。
 嗚呼!かつて王道楽土を謳い走った満鉄客車が,はるか南に流れているのです!
 これから、時空を数十年さかのぼる夜汽車の旅が始まる……。

ハノイ懐旧鉄散歩 (1) 深緑に恋して

2012-03-20 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 東アジアと東南アジアの橋渡し的な位置にある、南北に細長い国・ベトナム。その歴史は周囲の強大な国家に挟まれた曲折の歴史であり、前近代には中国に負けないために中国の真似をした国家をつくったかと思えば、近代においてはフランスの植民地となってその影響を強く受け、さらに第二次大戦後は米国・中国・ソ連の争いにもまれる中で何とか独立を達成しようとしてきたという周知の事情があります。
 そんな国の鉄道であれば、その雰囲気も自ずと支配を受けた国や頼った国の影響を強く反映したものにならざるを得ません。フランス植民地政府が建設したメーターゲージの鉄道網が国土の南北を貫いているかと思えば、「社会主義の友好」の名の下に北の中国から延びてきた標準軌もあり。そして客車はソ連・中国国鉄のメーターゲージ版を思わせるかと思えば、どう見ても第二次大戦前からずっと現役と思われる骨董品あり。機関車も東欧製っぽいDLがあるかと思えば、中国製と思われる罐や中国からもらった罐、そして奇想天外な風貌の罐もあり……。



 しかし、これまでのベトナムの鉄道は、近年の猛烈な経済発展に対して全く適応し切れていない過去の遺物であるのも否めない事実です。首都ハノイのお膝元ですら自動化とはほど遠い単線・ガタガタの線路であり、旅客列車はせいぜい毎日数往復、貨物列車もたまに来る程度……。その一方で鉄道が到底吸収しきれない巨大な需要がバスとクルマ、そしてバイクに向かい、毎日繰り広げられる交通大戦争は最早末期的……。それはジャカルタも然り、近年の東南アジアらしい一幕と言ってしまえばそれまでかも知れませんが、とにかくヤバいことはヤバく、下手をすると経済発展の巨大な制約条件となりかねません。
 そこで最近は、日本の円借款で既存のハノイ近郊の鉄道を複線高架化・電化のうえ、通勤電車を頻繁運転する計画が進められているとかいないとか (今日さっそくウロウロした体験から言えば……これは一刻も早く必要!)。さらには京阪がハノイ西側の新市街において都市開発と電鉄運営のコンビネーションを手がけるとか。まさに、日本の官民挙げた後押しによって、ハノイの鉄道シーンはこれから著しい変貌を遂げるかも知れないという状況となっています。
 そんな展開を日本人のはしくれとして喜ばしく思いつつも、一方で古き良き (とゆーか、ボロい ^^;) 鉄道風情を求めて止まない立場からみますと、これは20世紀の歴史を引きずってきたベトナムの鉄道シーン、とくにハノイの鉄道シーンにとって激変を意味することは言うまでもないでしょう。とくに、往年の社会主義計画経済的な雰囲気を露骨に反映したダークグリーンの客車や、恐らく「麗しの」コメコン経済があった頃に東欧で製造されたっぽい機関車などは、余り先行きが長くないような気がしています。既に北の中国で猛スピードで非冷房の「緑皮車」が消えつつある以上、車両数が少なく稠密なバス網におされまくりのベトナム国鉄でも今後の経済発展の如何によってあっという間に「緑皮車」が消えないとは断言出来ません。
 というわけで、ダークグリーンのボロい車両が今でも辛うじてそれなりに多数走っている今こそ旬!と思い立ちまして、ベトナム航空の直行便に乗ってハノイに到着! さっそく観光は後回しのうえ (笑)、押さえるべきシーンを片っ端から記録しまくっている次第です (笑)。その具体的で濃厚過ぎる中味を今後連載して参りますが、インドネシアでの撮影と同様、線路内に入りまくっているカットが多数あることをお断りしておきます。総じて、国鉄関係者の皆様は線路内撮影に寛容ですが(詰め所に案内してくれた方も!)、カーキ色の制服を着た公安が現れると即座に「No!」と言われて追い払われます。ここらへんは中国の撮影環境と似ている……というのが正直な印象です。あと、改札を厳格に行っている関係で、列車が来ない間の駅構内はそもそも一般人がウロウロしていませんので (インドネシアとの大きな違い ^^;)、そういう雰囲気のところにはズカズカ入らない方が良いかな?という印象です。