地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ懐旧鉄散歩 (8) ハロン駅入換シーン

2012-04-08 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ハロン(下龍)駅までたどり着くためにハイフォン(海防)にて列車からバスに乗り換えるという、如何にも「鉄」で面倒な手段をとった私が、ハイフォンのラックロンBTにてバスに乗り込んだのは9時15分頃、そしてバスが本格的に走り始めたのは10時過ぎ……(-_-;)。まぁ、走り始めればそれなりに早く、如何にも桂林から陸続きの石灰岩地らしい緑の田園風景を楽しむひとときあり、クアンニン(広寧)省に入って最初の大きな街であるウォンビ (汪秘) のはずれではナゾのメーターゲージ(後日ネットで、炭鉱と港を結ぶ運炭鉄道であることを確認!)と遭遇するひとこまあり……と、いろいろなものを最前部のヲタシートから楽しめたのですが、問題は……「バイチャイまであと○km」という道路脇の表示が刻々とカウントダウン状態となり、いよいよハロン湾界隈の観光ホテルの看板が増え始めたあたりから……。
 一応、運転手や車掌には「バイチャイまで」と告げていましたので、てっきりハロン駅に近いバイチャイBTで降ろしてもらえるものと思っていたのですが、このバイチャイ地区というのがメチャ広く、市街地・港湾地帯がある一帯(ここで降りたい)と、観光客が来る東南の沿岸部一帯は約5km離れているにもかかわらずどちらもバイチャイ……。そして、モンカイ行のミニバスはBTには入らず、ひたすら国道を直進しますので、どこで降りればよいのか分からない私は完全にタイミングを逃してしまい、気が付いてみれば街外れの工場・港湾地帯を経て、真正面に日本の援助で建設された巨大な吊り橋(バイチャイ橋……ベトナム自慢の橋のようで、全国道路地図帳の表紙を飾っていたりします)が見えてきました。そこで「これは何かヤバくないか……」と思った矢先、運転手氏が「バイチャイに着いたよ」と停めてくれ、目の前には数台のバイクタクシーが。どうやら、運転手氏や車掌氏は私のことをハロン湾観光に行く観光客だと思っていたようです(とゆーか、外国人とみればそれがフツー。^^;)。したがって、彼らはとても親切だったわけですが、「ハロン湾観光など爺さんになってからでも出来る!今はボロ列車だ!」という固い信念でここまで来た私にとっては一大事……。



 そこでとにかくバイクタクシー氏に「ガー・ハロン!(ハロン駅)、ドゥオンサッ! (鉄道)」と告げ、一気にかっ飛ばしてもらおうと思ったものの、バイクは海沿いの如何にも観光地然とした瀟洒な旅行者街に入り、連れて行かれたのはハノイからの列車の切符を扱う旅行代理店……(爆)。「違う、ここじゃない!ガー・ハロン!」と断固主張すると、困ったバイクタクシー氏は旅行代理店の中から英語が分かる若い社員を連れて来て、説明合戦となったのでした。どうやら、彼らはみなハロン駅なるものが何処にあるのかを全く理解していないらしく、その結果、国鉄ハロン線はごく一部の行商人などを除けばハロン・バイチャイの住人にとっても一切無縁な存在であるということが判明……。ついに困り果てた社員氏は何とiPadを持ち出し (今やベトナムにもこんな文明の利器が……!)「バイチャイ市街地図のどの辺かを指さしてくれ」ということですので、私は事前にGoogle Mapで記憶したところに従い「この通りのこの辺に必ずある!」と説明、そこで社員氏はバイクタクシー氏に翻訳してくれ、やっと再出発! このとき既に12時……。
 こりゃぁもう12:08の到着には間に合わない可能性大、と半分諦めた私は「まぁとにかく駅には連れて行ってくれるようなので、列車に乗れればそれで良しだ。折角だしハロン湾の風光を見物するか……」と思いまして、バイクの上からプチ観光 (それだけで済ます外国人観光客は多分私が初めて? ^^;)。ところが、やっとこさハロン駅に到着したところ、天は我に味方せり! 何と列車は遅れ、まだ全然到着していなかったのでした♪ そこで、腕木信号脇のポイントを操作するために手旗を持ってのんびり歩いている駅員氏に挨拶し(鉄道職員は英語が通じる場合が結構あり)、ここまでの薄氷の道程を振り返りつつ、じっくりと露出とピントを確認し、到着シーン及び到着後の機回し大合戦に備え深呼吸したのでした……(笑)。
 その後、15分遅れの12:23に列車が到着してからは、13:23 (この日の実測値につき変動の可能性あり) に発車するまで、とにかく連写を重ねたのですが、6両編成と荷物車1両で計2本の線路が埋まっている中、果たしてどのように機回しするのかチンプンカンプン。いざ実際に始まってみて、うまくやるものだなぁ……と唸ったのでした。その具体的な模様は↓をご覧下さい~。


ハノイ懐旧鉄散歩 (7) ハロン線編成激写!

2012-04-07 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ベトナム国鉄で撮影と乗車を楽しむにあたって、最も信頼すべき情報は国鉄公式HP掲載の時刻表であることは言うまでもありません。しかし今回、ハロン線の標準軌客車を訪ねるにあたって最も泡を吹いたのは……1~2年ほど前まで掲載されていたハロン線客車列車の時刻が消えているという事実です (-_-;)。一応、この列車のハノイ側始発駅は郊外のイェンビエン(安園)であり、しかも始発時刻が早朝4時40分であることから、およそ一般旅行客や観光客の利用を想定していない超ノロノロ行商列車としての運行であることが余りにも明らかであり、国鉄当局としても「面倒だから載せなくても良いだろう」と判断したのかも知れません。とはいえ、他の行商列車臭い列車の時刻は掲載されており、ハロンへの立派な並行道路もあることから、まさかハロン線の旅客列車自体が最近消えてしまったのではなかろうか……という悪い予感がよぎったのでした。そんな疑心暗鬼を解決する唯一の方法は、事前にイェンビエン駅を偵察し、駅掲示の時刻表にハロン線列車の記載があるかどうかを確認することしかありません。そこで、ハノイ到着翌日、ザーラムから一駅だけ鈍行列車に乗ってイェンビエンに向かい(並行道路を行く10番のバスが3,000ドンなのに対し、値上げほやほやの列車運賃は10,000ドンですので、絶対そんなヤツいねぇ……。窓口嬢も、およそベトナム語の発音も出来ない私を変人扱いで睨んでおりました ^^;)、見事毎日運行であることを確認! 往路はイェンビエン4:40発→ハロン12:08着であるという掲示をしげしげと眺め、「よっしゃぁぁあ!」と鬼の首を獲ったような気分になったことは言うまでもありません (笑)。



 そこで、夕方宿に帰ったのち、『地球の歩き方』を片手に作戦会議。まだタクシーが走っていない朝3時台に宿を出てイェンビエン駅に行くことは現実的ではないうえ、ハロン界隈に行くのであればついでに港湾都市ハイフォン (海防)を経由し、ハノイ~ハイフォン間のメーターゲージ急行列車にも乗りたい……と思いましたので、まずは宿から早朝ハノイB駅まで歩いて6時発のハイフォン行きに乗り、ハイフォンからハロンの市街地バイチャイ(拝斎)までバスで移動、12:08に列車が到着するところを出迎えて激写しよう!というプランを立てたのでした。その具体的な成果が1枚目の画像です!!  中国製ながらもベトナム国鉄独自の塗装となった罐が、これまた中国からのもらい物である半鋼製客車をゾロゾロ連ねてやって来るシーンは、もう筆舌に尽くしがたいほどの感動でした……(*^^*)。
 しかし、ここにたどり着くまでが冷や汗タラタラ (@_@)。ハノイから列車でハイフォンに到着後 (この列車につきましては別に記事を立てます)、遅い朝飯として駅前通りにて名物の「バイン・ダー・クア」(蟹ダシの、サトウキビ汁練り込み米粉そば)を楽しみ、中心街をのんびり歩いて約1.5km離れたラックロン・バスターミナルにたどり着いたのは午前9時過ぎ。バイチャイBT行きバスは15分間隔で頻発し、所要は1時間半ということで、あと3時間あれば超余裕だろう……と思っていたのでした。ところが、ハイフォン~バイチャイ間のバスは全て中国国境のモンカイ(茫街)まで行くミニバスに統合されており、そのミニバスは客が埋まるまで客引きのため牛歩でしか進まず、しばらく走っても客が埋まらないと引き返して客引きやり直し……。モータリゼーションが進み、機動的なミニバスが発達すると、逆に所要時間が読めなくなるという、90年代以降の中国でイヤというほど味わってきた状況は、ここベトナムでも無縁ではないという……。
 というわけで、ハロン駅到着までの激闘(?)記は次回につづきます (字数制限キビシ~^^;)。2枚目の画像はハロン駅に到着し機回ししたあとのものです。↓にハロン駅とバイチャイ市街の地図を載せておきます。次回記事と合わせて、もし行かれる奇特な方がおられるとすれば御参考下さい。ハロンから列車に乗りたいと思うならば、ハイフォン経由でこんな綱渡りをするよりも、直接ハノイのザーラムBTからバイチャイBT行きのバスに乗って来る方が確実ですので念のため……。



ハノイ懐旧鉄散歩 (6) 満鉄荷物車!

2012-04-03 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 世の中には「楽しみは後にとっておく」という表現がある一方、「鉄は熱いうちに打て」という表現もあります。これらを今回のベトナム鉄道訪問に当てはめたときに最も扱いに迷うのは、出発前から最大のお楽しみとして照準を定めていた標準軌路線・ハロン(下龍)線の満鉄客車に関するレポートであります。果たして、今回の連載最大の見どころとして後回しにすべきか、それとも興奮の熱い鼻息が冷めないうちに文字にしておくのが良いのか……まぁ何のかの言って標準軌つながりということで、先にアップしておきましょう。
 前回の記事でも触れましたが、仏領時代に骨格が固まったベトナムの鉄道は、基本的に大陸部東南アジアのスタンダードとも言えるメーターゲージで敷設されているのに対し、戦後中国との国境の街であるドンダン(同登。中国側は憑祥)から、中国国内と同じ標準軌のレールが「社会主義的友誼」のためにザーラムまで延びています。また、ハノイから真北にあたる鉄鉱石の産地・タイグエン(太原)省で製鉄業が興され、その製品を海までダイレクトに輸送して深水港からスムーズに搬出する目的で(たぶん)、タイグエンから南東に向かいケップ (ハノイ~ドンダン間の中間点。漢字は分からず ^^;) を経て港湾都市ハロン(下龍)に至る標準軌のレールが、恐らく1960年代までに中国の援助で敷設されています。要するに、ケップを結節点として×字状に標準軌が敷かれているとみれば良いでしょう。
 しかし、タイグエンからの鉄製品輸送は、1990年代からの経済発展により道路交通が発展したためか、あるいはベトナムの他の地域に広く持って行くためにはハノイの北・ドンアイン(東英)から真っ直ぐ北上してタイグエンに至る鉄道を利用する方が手っ取り早いためか、タイグエン~ケップ間の標準軌は放置されて久しいらしく……ケップ~ハロン間の路線(日本の鉄道趣味者からはハロン線と通称されている模様)のみ、ハノイ~ドンダン線から直通する列車が細々と走っているのが現状です。具体的には、ハノイの北東・ザーラムの隣駅であるイェンビエン(安園)から毎日1往復の混合列車がケップを経由してハロンまで運行されています。



 この他、ハロン駅の北東には深水港への引き込み線があり、かつて(恐らくタイグエン~ケップ間が生きていた頃)は複数の貨物列車が設定されて入換用の標準軌SLが忙しく走り回っていたそうですが、そんな時代は遠く去り……終点ハロンへの列車は基本的に毎日1往復! (滝汗) 一応、大規模コンテナ港としてのハロン港の整備充実を図り、イェンビエンからコンテナ列車を走らせる計画もあるようですが、目下見かけないのが実情……(そもそもハノイ~ハロン間の直線距離が150km程度しかなく、工業団地もハノイ~ハイフォン周辺に集中しているため、わざわざイェンビエン駅でトレーラーから列車に積み替えるメリットがなさそうな気も)。
 一方、ハロンは「海の桂林」との誉れ高い一大景勝地としての顔を持ち、全世界から膨大な数の観光客を集めつつあります。そこで、ハノイ~ハロン間の幹線道路にはそれこそ豪華観光バスがひしめいていますが、その観光客の一部を列車で輸送して一儲け……と目論んだテーハンミングッ(どどんがどんどん。爆)の観光業者がハングッ政府・ソウルメトロやベトナム国鉄を巻き込んで、ソウルメトロ2号線の4扉車を改造した超バッタもの観光列車を3年前に走らせたものの、誰も乗らずに1ヶ月で運休に追い込まれたという、如何にも思い込みで突進しやすいナムチョソンらしい顛末につきましては、前にも当ブログで触れました通りです(笑)。そこで実際に現地の道路状況を見てみるにつけ、渋滞さえなければホテルtoホテルの豪華貸切バスで3時間半~4時間で着くところを、ザーラム駅及び草深いハロン駅(その片鱗は今回の画像でも十分お楽しみ頂けるでしょう……)での乗降も含めて半日以上の行程にしてしまっては、乗りたいと思うのは奇特な鉄ヲタ観光客ぐらいのものでしょうに……という感想が沸々と (汗)。
 勿論「時間を急ぐよりも豪華な列車でゆったりと」という発想は、本朝の一部豪華列車の人気ぶりにみられるところであり、あるいは打倒イルボンを国体とする異国ですら最近気合いの入った豪華列車「ヘラン」を走らせているところですが、「おくれたベトナムならこの程度の車両でケンチャナヨ」と言わんばかりのバッタものぶりでは、観光客受け容れホストであるベトナムの観光業者も「あちゃー」と顔面蒼白になったに違いありません。現在ベトナムでは、右も左も現代ラッキー金星大宇起亜。そしてノイバイ空港では「ピ」の追っかけギャルに遭遇して面食らったものですが、いずれベトナムの人々も、ハロン・エクスプレスに象徴されるテーハンミングッのケンチャナヨな本質に気づく日も遠くないだろう……と思いたいものです(日本は折角重要なODAインフラで圧倒的にベトナムに貢献しているというのに、その結果好転した経済環境のうまみを相当ナムチョソンに持って行かれている印象があり、不甲斐ない観が……。ヘッポコなパッカー上がりの鉄ヲタながら、アジア市場における同胞ビジネスマンの皆様の奮起を期待したいものです)。
 しまった、本題に入る前に延々とハロン線概論で許容文字数を満たしつつある……(^^;)。というわけで、ハロン駅で最高に貴重な満鉄車両群に出会うまでの激闘の顛末につきましては次回以降に譲ることにしまして、とりあえずヒヤヒヤの連続の末にたどり着いたハロン駅で出迎えてくれた満鉄荷物車に感涙しつつ激写したカットをアップしておきます (^_^;;)。

ハノイ懐旧鉄散歩 (4) 聖地ザーラム駅

2012-03-29 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ロンビエン橋をやっとこさ渡り終え、午前中何本かやって来る列車 (そのうちアップします) を沿線で撮りつつ、ムワッとする蒸し暑さの中チンタラ歩いていますと、いつの間にかハノイ北東の鉄道の要衝・ザーラム (嘉林) 駅にたどり着きました。
 ここザーラム界隈は、旅行者一般にとってはベトナム北部の各地へ向かうバスが発着するザーラム・バスターミナルの存在で知られているところですが、鉄道についてもザーラム始発の列車が少々あり、またロンビエン発着の列車が単線のロンビエン駅を塞がないよう運転上はここザーラムを拠点としている (→留置はザーラムとし、必要に応じてロンビエン駅まで回送、あるいはロンビエン駅から回送)ほか、駅の南東側にはベトナム国鉄の客車製造と車両保守を広く担っているザーラム工場あり、そしてハイフォン (海防) 方面とランソン (諒山)・ラオカイ (老街) 方面への分岐あり……ということで、極めて枢要な地位を占めているところです。



 そんなザーラム駅の基本的なあらましは、リンク頂いている「中国鉄道倶楽部」管理人でおられるボーゲン様のレポート (付属掲示板にあり)、及びGoogleマップ等で出発前に大体分かっていたのですが、いざ実際にたどり着いてみますと、時間が止まった「古き良き停車場」という風情に圧倒されます……。仏領時代からのものかどうかは分かりませんが瀟洒な駅舎には、金星紅旗 (ベトナム国旗) と鎌&ハンマー印のベトナム共産党旗が翻り、低いホームの片隅には荷物が積まれ、あらゆるポイントは全て非自動! しかも駅舎付属操作室からの集中管理ではなく、転轍機ごとにレバーを操作する必要があるという、日本であればレア側線や臨海鉄道等でしか見られない超アナログな設備となっています……。というわけで、自動閉塞などはまるで遠い世界の話。タブレット閉塞であることは言うまでもありません。
 そして、数本ある副本線や留置線には、ダークグリーンのボロ客車がゴロゴロ……(*^^*)。勿論、留置されている客車の数及び種類・塗装のバラエティは、統一鉄道 (ハノイ~サイゴン[注]) の優等列車や、山間の避暑地サパ (沙[土+覇]) に向かう外国人観光客が利用するラオカイ線の豪華夜行列車が日中数本ゴロゴロしているハノイ駅に及ぶべくもありません。それでも、今回の旅においてダークグリーンのボロ客車を追っかけることを最重点としていた私にとっては、ザーラム駅の光景の方がはるかにグッと来るものがあります♪ というわけで、ザーラム駅にどっぷりハマったばかりに、ハノイ中央駅を日中訪れるのを忘れてしまったほどです。実は……ザーラム駅のみならずハノイ中央駅も円借款による都市鉄道化大改造の対象となっていますので、ハノイ中央駅も外すべきではなかったのですが (^^;)。

 ※注:都市名はベトナム戦争による南北統一後ホーチミン市(城舗胡志明)に改称されたものの、駅名はサイゴン(柴棍または西貢)のまま。

ハノイ懐旧鉄散歩 (3) 恐怖!ロンビエン橋

2012-03-26 22:29:00 | ベトナムの鉄道


 昨日は小田急海老名イベントから一旦帰宅したのち、夕刻から横浜西口に繰り出しまして、かねてから大いにお世話になっております「ぱれっと」様と約1年ぶりのミニオフ会を開催しました。沖縄料理店にて定番のオリオンビールやシークワーサーのサワーを傾け、美味い料理や沖縄そば、そしてシメにこれまた定番のブルーシール・アイスを賞味しつつ、延々と積もった話を続けること約4時間少々 (爆)、いやはや、舌も鉄ネタも超濃厚なひとときを過ごさせて頂きました。貴重なお土産を含め、ぱれっと様には改めて心より御礼申し上げます! m(^^)m
 そんな小宴における話題の中心は、ぱれっと様が昨年敢行された東欧の旅、そして私が先日敢行したベトナムの旅についてであり、さらには国内のローカル線や台湾etc...と縦横無尽に展開していったのですが、最大公約数的な結論としましては、日本国内において濃いぃ路線や車両が消えて行き、ヲタが加速度的に特定の路線・車両に集中して雰囲気が悪化する中、のんびり・まったりと鉄旅や撮り鉄を楽しむのであれば今後ますます海外をブラブラする方が満足感が大きいのではないか、ということ。そして同時に確認したのは、海外の車両と言っても最新型のヨーロッパ・韓国製の車両ではどうにもこうにも萎えるわけで、いっぽうで旧社会主義圏の車両は、その体制には全く共感できないにせよ、計画経済的なそっけなさをビンビンに残した質実剛健なボロさが逆にサイコー!ということ (笑)。というわけで、ポーランドやハンガリーのボロ車両、そしてベトナムのボロ車両の魅力を互いに語り尽くすという、常人は勿論フツーの鉄ヲタであっても到底ついて行けない奇っ怪な議論百出となったのでありました (笑)。



 というわけで、ベトナム・ハノイ撮り鉄日記の本番へといよいよ突入致しましょう。まずは、4日間の鉄活動&観光の皮切りとして、ハノイを代表する景観のひとつであり、ベトナム戦争の激戦ぶりを今に伝える古蹟でもある鉄道&道路兼用橋・ロンビエン (龍辺) 橋を訪ねた記録です。
 旧市街にある宿からまずチンタラ歩いて着いたのはロンビエン (龍編) 駅。漢字に起こすと、ロンビエン橋は龍辺、ロンビエン駅は龍編(どちらも由緒ある地名。龍辺は紅河北東側の龍辺郡を指し,龍編は西湖東側の繁華の地を指す)ということでヤヤコシイですが、今やそんなことを気にするのは漢字を使っているヤツだけということで、フランス人宣教師が考えたローマ字 (クォックグー=国語) に乗り換えたベトナム人にとってはどうでも良いことなのかも知れません (^^;)。
 それはさておき、旧市街のカオスの真っ直中に佇むロンビエン駅は、折返し駅であるというのに何と単線の停留所! 要は、ロンビエン橋~ハノイ駅間の中心街で長時間踏切を閉めるのを避けるため、紅河の北東側からやって来る日中のほとんどの列車は市内バスのターミナルがあるロンビエン界隈で折り返しているという次第。そんなロンビエン駅に朝8時40分過ぎに到着するハイフォン (海防) 発の列車を、由緒あるロンビエン橋のど真ん中で撮影することに。
 怒濤のバイクや車をかわして大通りを渡り、何とか橋を渡り始めますと、今度は……歩行者用スペースの余りの狭さとベコベコぶり、そして欄干の低さにメッチャ恐怖! ジャンジャン行き交うバイクのため、老朽化極まりない橋の上は常にビミョーに揺れていますし、仏領時代の建設によるのではなくベトナム戦争時に応急復旧された橋の中央部はとくに不安定なうえ眼下には紅河の濁流が渦巻いていますので、こういう場所が苦手な方には断じてオススメできません (^^;)。そして……かっ飛ばすバイクをかわしつつ待つことしばし……約10分遅れでやって来た列車を激写!! をを~バイク行き交うロンビエン橋と中国製罐、そしてボロ客車……ハノイの現在をある意味で最も象徴する光景と言えましょう。
 そんなこんなでやっとこさ約2kmの橋を渡りきり、今度はロンビエン橋を渡り終えてハイフォンに向かう列車を激写! ともあれ、時速10~15kmの最徐行で鉄橋上を列車が渡る光景はある意味で牧歌的ではありますが、いずれ円借款で建設されるという都市鉄道の新複線橋に置き換えられるのもやむを得ないかな?というわけで、その工事が本格化する前にこうして自分で歩き記録出来たことをラッキーに思う次第です。


宿を出て旧市街を歩いていると、ちょうど回送列車が来てラッキー!



そしてロンビエン駅に到着。これでも首都中央駅の隣駅です (^^;



ホームに勝手に入ってロンビエン橋を望む。ボ、ボロい……。



ハノイ市街へ入る歩道兼自転車道は、怒濤のバイクに占拠されコワ過ぎ。



では渡りますか……滝のような車・バイクをかわして橋の歩道に入るのが一苦労。



ベトナム戦争で何度でも橋を破壊され仮橋を造り直した生々しい爪痕。



ようやく対岸のザーラム側に到着。バンザーイ!!