地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

岩手乗物縦断 (1) 岩手県交通一関営業所

2019-12-04 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 奥州街道徒歩鉄旅・宮城県編は、一ノ関駅での701系仙台色撮影を以てシメとなり、岩手県編へと引き継がれるという腹づもりだったのですが、一ノ関駅に着く手前に岩手県交通の一関営業所があり、道路から丸見えで撮り放題でしたので、一ノ関駅に着く前になし崩し的に岩手県編がスタートしておりました (笑)。
 南北に結構長い岩手県では、総じて盛岡市北郊の滝沢〜松園ニュータウン界隈(ごく僅かに好摩行きもあり)、及び三陸海岸に面した「道の駅やまだ」を北限として、南側が岩手県交通の天下となっており、圧倒的大都会(?)である盛岡で頻繁運転(?)を実施しているほか、各主要都市を拠点として様々な路線を張り巡らせています。



 そんな岩手県交通のバスは、高速・長距離線用の場合国際興業色が長年スタンダードですが、一般の路線バスは水色が印象的で如何にも昭和の路線バス!という感じの独自の塗装を纏い、しかも今から10年ほど前まではボロバスの宝庫という感がありました。しかし、親会社の国際興業で大量に余った二段窓キュービックなど、中古車を積極的に導入してきた結果、今ではほとんどのバスが国際興業色となっており、岩手県交通の旧塗装で走っているのは、旧塗装時代の末期に入れたと思われるごく少数のエルガミオのみ、という印象です。
 というわけで、すっかり岩手県交通のスタンダードになった国際興業色ですが、彩度の低い旧塗装と彩度が高い新塗装に分かれ、低い彩度のままで走る車両は自ずと、導入から長い時間が経ったボロ!を意味しています。今や、岩手県交通のバスを眺める際の最大の楽しみは、低い彩度のボロに当たることであろうと思いますし (^^;)、実際に急速に老朽廃車が推し進められているように見受けられますので、ある意味で今が世代交代の旬であると言えそうです。
 一ノ関駅に着く手前で通りかかった一関営業所はまさに、低い彩度のボロバスを満喫するパラダイスでした♪ 二段窓キュービックがそこかしこに留置され、とりわけ2台並んでいる光景が余りにも素晴らし過ぎる……(*^^*)。予約済みの新幹線の時間には十分余裕があったことから、ひとしきり激写しまくり、江戸の日本橋から歩きつないでついに岩手県に到達した感動に浸ったのでした (笑)。

宮城乗物縦断 (19) グリーン観光バス

2019-11-24 20:58:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 宮城県北端の栗原市の広大な市域をカバーする市民バスのうち、くりこま高原駅を中心とする路線網や、くりはら田園鉄道の代替路線など、市内連携路線において最もメジャーな (?) 存在感を示しているのが、グリーン観光バスです。その車庫は、築館市街の北の外れ、旧街道の宮野宿を過ぎて国道4号線が田園地帯に入って行くところにあり、そのすぐ手前にあるホテルに泊まったのですが、ホテルにチェックインするまではそんな場所に車庫があることなど知る由もなし。チェックインして部屋に入った後はすぐ、テレビに映る退位礼の模様に釘付けになり、その後は事前予約していた夕食の時間となりましたので、部屋の窓から見える車庫の広大さとボロバスの密集度に「うぉっマジか! 明日の朝、撮ったるど〜!」と意気込みつつ、平成の約30年4ヶ月が幕を閉じたのでした。
 そして翌朝、朝食を済ませてチェックアウトした後は、何はさておき撮りバス! 国道4号線から最も撮りやすい位置に、元神奈中の二段窓エアロミディという、小田急江ノ島賎民にとっても最高に懐かしく尊い存在が鎮座しておりましたので、「うぉぉぉぉ〜マジか!」と思わず大フィーバー! (笑)



 その他、改元祝日による運休のため、多くのバスが庫内で休んでいましたが、実に各社各様のボディが集結し、あたかも路線バス車両平成史を物語っているかのようでした。そんな中にあってもエルガミオは次第に増殖しつつあり、これもまた時代の流れか……と痛感したのですが、何はさておきそんな中での神奈中二段窓エアロミディ!ですので、改元後最初の乗物撮影活動としては、ある意味最高にマニアックなひとときではないか、と思ったのでした。

 その後、田園地帯をトボトボ歩き、すっかり寂れてただの住宅街になってしまった沢辺の宿場町=商店街を過ぎますと、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道の沢辺駅跡に到着します。くりはら田園鉄道は廃止後も多くの区間で線路が現存しており、沢辺駅界隈では踏切の部分こそ埋められ、駅舎も解体されているものの (駅前広場は病院の駐車場として活用され、人と車の出入りが頻繁にあるほか、如何にも田舎の駅前食堂という風情の店も健在)、いざ線路に降り立てば、ここを去来した電車や軽快DCのことを思わずにはいられないほどです。
 と申しますか……個人的には栗原電鉄もくりはら田園鉄道も未訪問で (→お前それでも本当に鉄ヲタかよ、という批判は甘受します。^^;)、こうして廃線跡に立ってはじめて後悔するという体たらく。今回は、とにかく一ノ関まで歩いて、夕方までに着くという制約がありましたので、若柳の保存車両を訪ねるのは省略しましたが、いずれ改めて、保存運転が大々的に行われる日を狙って、この地を再訪したいものです (特に名鉄キハ10を拝みたい)。


 石越方を望む。今にも列車が来そうな休止線という雰囲気?



 細倉方を望む。駅のホームと線路には駅前広場から簡単に入ることが出来るのですが、哀しい哉、奥州街道の踏切には白いガードレールが設置され、最早列車の往来は望むべくもありません。
 その気になれば、こっそりと廃線跡の線路を歩くことも出来るのかも知れませんが、用水路の鉄橋に渡された踏み板の類が腐っている感じですので、全くお薦め致しません。

宮城乗物縦断 (18) ミヤコーバス築館

2019-11-18 12:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 主力として活躍するメトロ窓エアロミディ。



 公道からでもなかなか濃いぃ光景を楽しめます。



 エルガミオはさておき、両端が素晴らしい!



 沢辺の南西にて、一ノ関駅から築館へ向かうエアロミディ。

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 奥州街道を歩いて、栗原市の中心地である築館に着きますと、市役所の左にある鍵の手の坂を登って下ったのち、今や寂れた商店街にある築館町バス停に着きます。その前に、ちょこっと市役所から右に入り、かつての仙北鉄道・築館線の終点にあたる築館駅の跡地と、その一部を流用しているミヤコーバス(宮城交通の地域子会社をミヤコーバスに統合)の築館営業所を訪れてみました。
 仙北交通築館線がキティ台風による路盤流失で廃止されて以来、既に約70年の時が過ぎ去り、ここに終着駅があったことを偲ばせるものは立派な農業倉庫くらいしかありませんが(↓の画像)、バス営業所の結構広々とした敷地を眺めるにつけ、往時はさぞかし瀬峰で国鉄の貨車に積み替えられる貨物も含めて賑わったのだろう……という感慨に浸らずにはいられません。時を隔てて、いまは築館から数㎞東にくりこま高原駅が出来、事実上栗原市を代表する駅になっているわけですが、時刻表の地図において栗原市を代表するのは未だに築館町バス停になっているのは興味深いところです。
 そんな築館駅跡地に佇むミヤコーバスの車両は、良く言えば平成の路線バス車両史を凝縮したような多士済々揃い、悪く言えばボロの巣窟……(*^^*)。日常的には栗原市民バスの広域路線である古川線(築館〜古川駅)、一関線(栗駒〜一ノ関駅)、築館・一関線(築館〜沢辺〜金成〜一ノ関駅)、そして市内連携路線の尾松沢辺線(栗駒〜金成支所[沢辺駅すぐそば])を担当しているほか、栗駒山の登山シーズン週末にはくりこま高原駅発着の臨時バスを運行しています。路線数と運行回数の少なさの割には、やけに多くのバスが昼寝をしていたのは、休日であることに加えて、栗駒山臨時バスのオフシーズンであったためかも知れません。
 とまぁこんな感じで、個人的には築館という街にて平成最後の乗物撮影活動を終えたのでした。これもまた変わった趣向ということで、結構心に残っています。


 こんな風景から往時の鉄道の繁華を偲ぶのもまた、廃線跡系・懐古系鉄活動の侘び寂び的な味わいなのでしょう……。

宮城乗物縦断 (17) 栗原観光タクシー

2019-11-16 20:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 古川駅界隈から奥州街道を北上すると、基本的に東北本線とは交わらず、アップダウンを繰り返しながら、やがて宮城県北の自治体を大合併して誕生した栗原市に入ります。その最初に現れる高清水の街は、かつて国鉄バスの駅も置かれるなど交通の要衝として賑わったようですが、それも今は昔。駅の跡地には何も残っておらず、宿場町そのものも寂れ果てています。
 高清水から奥州街道を歩く場合には国道4号線からしばらく離れて人煙まれな牧草地や森の中を進み、再び国道4号線と出会ったあとは、次第に栗原市の中心・築館へと進んで行きます。すると、築館の街では立て続けに、栗原市民バスの運行を委託された3社の路線バスの車庫に遭遇し、意外と濃いぃ撮りバスタイムを楽しむことが出来ます。



 町村大合併で出現した広大な栗原市の市域に一体感を醸成し、また栗原市と外部の主要都市とをつなぐ公共交通を確保するため、栗原市は多種多様なバス路線を市民バス網として再編し、財政による補填を通じて、相当な距離を乗っても200円ポッキリという破格の運賃を実現していますが、その路線網は大きく分けて、大崎(古川)と一関に出る「広域路線」、市内の主な街や集落を結ぶ「市内連携路線」、そしてオンデマンドタクシーに分かれています。そこで、広域路線と市内連携路線、ならびにスクールバスが計3社に委託されており、奥州街道を北上すると築館の手前で現れるのが栗原観光タクシーの車庫です。
 栗原観光タクシーは、他の2社と比べるとマイナーな路線を担当しており、唯一担当する広域路線の「大崎市民病院線」は、築館から南下して大崎市との境界までは小まめに停まるものの、大崎市に入るとノンストップになるという、通院者に特化した路線です。また、担当する市内連携路線3ルートも、改めてご紹介するグリーン観光の路線と比べれば、本数も少なくマイナーなルートとなっています。というわけで、ほとんどバス趣味界でも俎上に登らない会社かも知れませんが、車庫で出番を待つバスの状態は良く、徹底的に地元密着、という印象を得たのでした。公道から撮りやすい位置で昼寝していたのはスクールバスで、路線バス車は奥まった位置にいたのが少々残念……。
 というわけで、この車庫を過ぎてさらにしばらくアップダウンを繰り返し、最後の切通しを過ぎると、突然栗原市役所の巨大な (?) 建物が現れて、鉄ヲタには忘れ去られた街・築館に進んで行きます。

香港・九龍半島の山越えバス

2019-11-12 13:59:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 香港をめぐる情勢は、北京の方針がより強硬になり、警察がためらわずに銃器を使うようになったことで、ますます混迷の度を深めているところですが、とりわけ今週に入ってからは平日の朝から各地で衝突が相次いでいます。例えば、金融とビジネスの中心である中環で昼休みのエリート会社員が突如デモを始めるかと思えば、港鉄が朝から麻痺状態になってバスが頼りとなる中、出勤中の会社員がバスから降りてきて道路上の障害物を退けようとして若者と小競り合いが起こるなど、最早いつどこで衝突が起こるか全く分からない状態。今までは「党鉄」や中国寄り企業(元気寿司とか吉野屋とか)に近づかなければ概ね安全だったと思われますが(とりわけ平日は)……。市街戦同然の風景が広がる旺角の街に、動けなくなって大量に放置された二階建てバスが連なる光景は、香港という街の前途の暗澹さを暗示しているように思われました……。



 そんな香港に安心安全な場所はないのか……? 総じて路線バスと路面電車は「党の輸送機関」と見なされていないため、長時間の足止めを食らわされても破壊の対象には全くなっていないようですが(メチャクチャな街並みの中にあってバスは無傷という不思議な光景)、他にも例えば商業地域やベッドタウンから離れたところ=鄙びた山の中や静かな漁港は至って平穏で、土日ともなると麻痺した街から脱出した在住外国人のお気に入りスポットとなっているようです。
 そして路線バスについても、そんな山野に分け入る非二階建て車運用路線であれば、デモをなるべく避けつつ、結構デンジャラスな登り下りもある香港の山道を楽しむことが出来るでしょう。以前「ぱれっと」様に教えて頂いて乗ってみた九龍バスの51系統(荃湾〜錦上路)は、両端の港鉄駅を除けば、ほとんど山の中のクネクネ道をダイナミックに飛ばし、山間の集落を結ぶもので、結構オススメです (荃湾界隈は衝突が最も激しい場所のひとつであり、現状では迂回とか遅延とか多いのかも知れませんが……)。ちなみに、この画像は8年前の撮影で、既にこの世代の車両は引退済みかと思われます……(^^;)。

【11.13付記】昨12日はどうも重大な転換点だったようで、とりわけ中文大学の攻防は、香港と外部のネット接続にも関わる深刻な事態だった模様。港鉄とバスも多くの区間で運休しているほか、警察は香港全土で手当たり次第に催涙弾使用……。さらに中国は、香港にいる大陸人を続々と避難させていますが、これは六四天安門事件の再来の予兆……。願栄光帰香港!!