先日タイ・カンチャナブリーのクウェー川鉄橋を20年ぶりに訪れ (初めて列車で渡り ^^;)、「今でも気力は大学卒業の頃と同じくバリバリに若いつもりなのに、あっという間に時間が過ぎ去りヲッサンになっちまったぜチクショー……」と思ったのですが、そういえばこの20年前のタイ訪問の帰りは、カオサン通りの旅行会社で中華航空の片道チケットを購入し、生まれて初めて台湾を訪れたのを思い出しました(最後は成田ではなく羽田に着きたいなぁ~と思ったため。今でこそ羽田は再国際化でチヤホヤされていますが、当時は中共の嫌がらせに遠慮した日本が中華航空を成田から排除し、ボロボロターミナル時代の羽田に押し込め。しかし、それが神奈川県民には有り難く、華航はいつも大賑わい。笑)。いやその……中国はこのときのタイ訪問に先立つ華中~華南縦断(個人旅行史上最悪の混沌まみれ)も含めて2回訪れ、華南を脱出してタイに向かう際に香港も経由していたのに対し、台湾は未訪問であったことから、同じ漢語を話すところとして果たして台湾はどんなもんよ?という軽い気持ちで2泊3日の台北ストップオーバーをしたのでした。
しかし……台湾は同じ漢語を話すからといって、中国とは全く別世界であることを思い知らされ、脳天をガツーン!とやられた気分になりました。中国の「万人の万人に対する闘争」な雰囲気から、「漢語を話す連中っていうのは所詮こんなもんだろ?」と早合点して、着いたばかりの台北でも戦闘モードの動作・話し方でいたところ、そんな自分は周囲から思いっきり浮いていることに気づくまでさほど時間はかかりませんでした……(^^;)。そして、いざ台北駅から基隆まで列車で往復してみたところ、これまた阿鼻叫喚の中国国鉄とは全く異なる日本国鉄テイストにメロメロ……。当時はJR発足から約7年後で、個人的にも非鉄期でしたが、思わず「懐かしい!ををJNR!」と内心叫びまくり!
そう、台湾は中国ではなく、むしろ日本語を普段使わない日本という感覚でとらえる方が自然なのです。今の日本には台湾に関する書籍や情報があふれていますが、今から20年前は日中友好ムードの影で、台湾については知識を得る術も限られていましたので(ネットがなかったですし、メディアも台湾には冷淡)、なおさら自分の無知を痛感したというヲチでした……(苦笑)。ともあれ、同じ漢語を話すといっても、国が違えばこうも違うのか……ということで、とにかく当時20台前半のワカゾーだった私はいろいろなことを考えさせられたのでした。
以来、台湾とその鉄道は、漢語を第二外国語として大学で勉強し一応話せてしまうことに加え、あくまで日本と近似のノリで物事の展開が予測できてしまうため、どうも個人的には外国という気が余りせず親近感を持ち続けております。いやしかしそれ以上に、いろいろ台湾事情を細かく観察してみますと、一見すると派手でゴチャゴチャした雰囲気の中に、鉄道にしても何にしても日本を含め様々な国から刺激を受けたことによる洗練された合理主義的センスがあり、むしろ日本人としても冷静に学ばなければいかんなぁ~と思わされるところが多々あります。まぁ、こんな感じで日本と台湾を連続してとらえてしまう結果、逆に鉄道趣味面では、日本国内の多くの路線と同じく油断して御無沙汰になってしまうことにもつながり、気が付いたら普通車・復興号・釣掛電車が激減やら何やらと困ったものです (苦笑)。
そんな台湾はいま、非常に大きな歴史の分かれ目にあるようですが、ワカゾーの時点で既に中国と台湾が全く違うことを肌身を以て味わった経験がある私としましては、「そりゃぁ~台湾の多くの人々は、中国の大義に名をとどめたい誰かさんとは違うだろう」と思うものであります。というわけで、何の足しにもならないかも知れませんが、台湾が時局の如何によっても台湾であり続け、台鉄が世代交代の如何によっても台鉄であり続けることを願って、20年前と比べ何一つ変わらない雰囲気で今も力走を続けるキョ光号(キョ=くさかんむり+呂)の未アップ画像をアップしておきたいと思います。
それにしても、さすがにキョ光号にも時代の変化は押し寄せつつあるようで、確か新型電気罐の投入計画があるといわれるほか、手動ドア車の完全消滅は時間の問題でしょう。既に登場からそれなりに久しくなった新型キョ光客車(FP10400/10500形)は、椅子がPP自強と同じチョロいヤツですのでイマイチですが、まぁこの塗装と客車列車としてのアイデンティティを保ってくれるだけでも有り難いか……。問題は、新型罐がどのようなデザインとなることやら……。