地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

台湾加油!個人的初訪問20周年記念・キョ光号

2014-03-28 00:00:00 | 台湾の鉄道


 先日タイ・カンチャナブリーのクウェー川鉄橋を20年ぶりに訪れ (初めて列車で渡り ^^;)、「今でも気力は大学卒業の頃と同じくバリバリに若いつもりなのに、あっという間に時間が過ぎ去りヲッサンになっちまったぜチクショー……」と思ったのですが、そういえばこの20年前のタイ訪問の帰りは、カオサン通りの旅行会社で中華航空の片道チケットを購入し、生まれて初めて台湾を訪れたのを思い出しました(最後は成田ではなく羽田に着きたいなぁ~と思ったため。今でこそ羽田は再国際化でチヤホヤされていますが、当時は中共の嫌がらせに遠慮した日本が中華航空を成田から排除し、ボロボロターミナル時代の羽田に押し込め。しかし、それが神奈川県民には有り難く、華航はいつも大賑わい。笑)。いやその……中国はこのときのタイ訪問に先立つ華中~華南縦断(個人旅行史上最悪の混沌まみれ)も含めて2回訪れ、華南を脱出してタイに向かう際に香港も経由していたのに対し、台湾は未訪問であったことから、同じ漢語を話すところとして果たして台湾はどんなもんよ?という軽い気持ちで2泊3日の台北ストップオーバーをしたのでした。
 しかし……台湾は同じ漢語を話すからといって、中国とは全く別世界であることを思い知らされ、脳天をガツーン!とやられた気分になりました。中国の「万人の万人に対する闘争」な雰囲気から、「漢語を話す連中っていうのは所詮こんなもんだろ?」と早合点して、着いたばかりの台北でも戦闘モードの動作・話し方でいたところ、そんな自分は周囲から思いっきり浮いていることに気づくまでさほど時間はかかりませんでした……(^^;)。そして、いざ台北駅から基隆まで列車で往復してみたところ、これまた阿鼻叫喚の中国国鉄とは全く異なる日本国鉄テイストにメロメロ……。当時はJR発足から約7年後で、個人的にも非鉄期でしたが、思わず「懐かしい!ををJNR!」と内心叫びまくり!



 そう、台湾は中国ではなく、むしろ日本語を普段使わない日本という感覚でとらえる方が自然なのです。今の日本には台湾に関する書籍や情報があふれていますが、今から20年前は日中友好ムードの影で、台湾については知識を得る術も限られていましたので(ネットがなかったですし、メディアも台湾には冷淡)、なおさら自分の無知を痛感したというヲチでした……(苦笑)。ともあれ、同じ漢語を話すといっても、国が違えばこうも違うのか……ということで、とにかく当時20台前半のワカゾーだった私はいろいろなことを考えさせられたのでした。
 以来、台湾とその鉄道は、漢語を第二外国語として大学で勉強し一応話せてしまうことに加え、あくまで日本と近似のノリで物事の展開が予測できてしまうため、どうも個人的には外国という気が余りせず親近感を持ち続けております。いやしかしそれ以上に、いろいろ台湾事情を細かく観察してみますと、一見すると派手でゴチャゴチャした雰囲気の中に、鉄道にしても何にしても日本を含め様々な国から刺激を受けたことによる洗練された合理主義的センスがあり、むしろ日本人としても冷静に学ばなければいかんなぁ~と思わされるところが多々あります。まぁ、こんな感じで日本と台湾を連続してとらえてしまう結果、逆に鉄道趣味面では、日本国内の多くの路線と同じく油断して御無沙汰になってしまうことにもつながり、気が付いたら普通車・復興号・釣掛電車が激減やら何やらと困ったものです (苦笑)。
 そんな台湾はいま、非常に大きな歴史の分かれ目にあるようですが、ワカゾーの時点で既に中国と台湾が全く違うことを肌身を以て味わった経験がある私としましては、「そりゃぁ~台湾の多くの人々は、中国の大義に名をとどめたい誰かさんとは違うだろう」と思うものであります。というわけで、何の足しにもならないかも知れませんが、台湾が時局の如何によっても台湾であり続け、台鉄が世代交代の如何によっても台鉄であり続けることを願って、20年前と比べ何一つ変わらない雰囲気で今も力走を続けるキョ光号(キョ=くさかんむり+呂)の未アップ画像をアップしておきたいと思います。
 それにしても、さすがにキョ光号にも時代の変化は押し寄せつつあるようで、確か新型電気罐の投入計画があるといわれるほか、手動ドア車の完全消滅は時間の問題でしょう。既に登場からそれなりに久しくなった新型キョ光客車(FP10400/10500形)は、椅子がPP自強と同じチョロいヤツですのでイマイチですが、まぁこの塗装と客車列車としてのアイデンティティを保ってくれるだけでも有り難いか……。問題は、新型罐がどのようなデザインとなることやら……。

台北捷運・淡水&新店線の新型車

2014-01-31 00:00:00 | 台湾の鉄道


 本日は農暦の新年=春節ということで、皆様改めましてあけましておめでとうございます。記憶では、一昔前までの日本では誰も春節なんて気にしていなかったように思うのですが、最近はこれだけ華語圏から春節休みの観光客がドッと押し寄せて来るようになりますと、観光閑散期の日本の観光地にとっては美味しい話ということになりますし、いっぽう中国台湾東南アジアでの生産・輸出入もこの時期には滞りますから、多くの業界にとっても毎年ズレる春節の見極めは大事な話題ということになるのでしょう。
 というわけで、春節を迎えた国の車両をアップしてみましょう。台湾の台北捷運 (MRT) で最も早く開通した淡水・新店線を行く、最新型車両・381型です~。



 台北捷運は約20年ちょい前に大型車路線の開業時車両として301型を用意して以来(正式開業は1997年……それ以前の台北の交通はバイク地獄の大戦争状態だったものです。遠い目)、一貫して先頭車の正面には「やや平べったく、貫通扉に窓が無く、横1本の青帯」というデザインを採用してきました。しかし、この381型は、いつもお世話になっております『西船junctionどっと混む』様によりますと、信義線の開業に備えて2010年から増備され、その際に「丸みを帯び、貫通扉に窓があり、金太郎風の正面帯」を採用しています(つーか、こっちのデザインの方が好き♪)。
 昨年6月頭の台北出張では、少々浮いた時間を使って久しぶりに淡水線に乗り、ついでにちょこっと撮り鉄もしてみたのですが、信義線用として新造されたというこの電車が淡水線で結構ジャンジャンやって来まして、思わず浦島太郎状態に浸りまくり (笑)。同時に、そういえば台北捷運も早いもので開業から10数年、破竹の勢いで新線を延ばし車両も増やしているなぁ……と感慨に浸ったものです。信義線用の電車が淡水線で来るというのは、要するに「最新型は最混雑&名門路線の淡水・新店線で使い、古いタマを新規開業の路線に回す」という腹づもりなのでしょうか?
 この電車、川重製(一部は部品輸出で台湾組み立て)ということで、非常に安定した乗り心地が印象的です。但し、先頭車に乗りますと結構ガッカリ。椅子の大部分が最初から設置されず、代わりにラッシュ時の立ち席スペース兼閑散時の自転車積載用スペースが多めにとられているため、横幅が広いこともあって非常にガラ~ンとした印象を受けます (滝汗)。例えて言うならば、JREのE233セミクロス車と思い込んで乗ってみたら、中身はE231の6扉車だったという……そんな感じです (爆)。従来通りの台北捷運のセミクロスな車内アコモを楽しみたい方は、是非中間車にどうぞ……(汗)。
 何はともあれ、今年も台北捷運の路線拡大の動きは続くでしょうし、そろそろ桃園空港アクセスの開業に向けた動きも本格化することでしょう。今年も台湾の鉄道の動きは眼が離せないですね……。

台北蒸し焼き鉄 (7) キョ光号万歳!

2013-10-10 00:00:00 | 台湾の鉄道


 本日は台湾の目出度い(?)双十国慶節というわけで、早いもので4ヶ月少々前の台湾出張鉄ネタのつづき……キョ光[くさかんむり+呂、ウェード式ローマ字でChukuang]号です!!
 そもそも1895年から1945年まで日本統治下にあった台湾にとって、双十国慶節などどうでも良い(とりわけ独立派にとっては)ものかも知れません。「満洲人を追い払い、清を倒すぞ!」と気勢を上げた中国人が1905年、今や鉄ヲタのむさ苦しい人いきれが鉄道雑誌正式販売日2日前になると渦巻く(笑)神田神保町を拠点に革命地下活動に乗りだし、1911年10月に武昌(現在の湖北省武漢市)で鉄砲玉の如く武装反乱を計画していたところ、計画がうっかりバレてしまい、慌てて10日、ヤケっぱちで挙兵……。ところが中国全土であら不思議、各地の将軍が呼応してクーデタ宣言をしてしまい、憐れ幼子の宣統帝(俗にいうラスト・エンペラー)は退位し、約20年後には日本の使い走りになるという運命をたどることに……。双十節=辛亥革命記念日とはそういう日ですので、台湾とは本来関係ないのです、はい。
 しかし、1945年に日本が敗戦し、清の領土を継いだ中華民国に台湾の統治権が移り、さらに蒋介石が毛沢東に敗れて台湾に引っ越してきたばっかりに、台湾は台湾人のための台湾ではなく、中国大陸を取り返すための台湾に……。まぁそれを言い始めたら、1945年までの台湾も日本人のための台湾だったわけですが、それでも今日台湾の人々が日本に対して極めて好意的であるのは、蒋介石が台湾のために大したことをしていない(むしろ酷い目に遭った)のに対し、日本は少なくとも今日の台湾の土台を作ったと思って下さっているからであります。有り難いことです。



 そんな蒋介石の時代の末期、1971年に登場したキョ光号は、まさに「中国大陸を取り返すための台湾」を最も象徴するネーミングであると言えます。「光」は字の意味そのものであるとして、ではキョとは何ぞや? 春秋戦国時代、周りを敵に囲まれたキョの国を指しており、実際この頃から台湾は中共に日和った米国や日本との国交が断絶してしまいましたので、「毛匪を追い払い中国全体に光を取り戻すぞ!」と念願していた蒋介石にとっては一層「台湾はキョである……」と思ったに違いありません。キョという固有名詞にはそんな、「毋忘在キョ」(キョに在るを忘る毋[なか]れ→台湾は孤立無援だが大陸を回復するために頑張れ!)という怨念がこもっており、ますます台湾そのものとは関係ありません。「自強」「復興」の方がまだ台湾と関係があり(とくに前者は、「もう大陸なんて取り返せないので、台湾を育ててここで生きて行くしかない」と割り切った息子・蒋経国の時代と大いに関係があるでしょう)、さらに台湾原住民族の固有名詞から名を採った「タロコ(太魯閣)」「プユマ(普悠瑪)」に至っては、ゴリゴリの大中国主義の権化ともいうべき「キョ光」とは真逆の文脈にあるわけです。
 しかし、そんな台湾にとってどうでも良いネーミングの列車であっても、出現してみれば何と!日本国鉄新性能特急・急行電車のグリーン車と比べても何ら遜色ない豪華絢爛なアコモデーションに加え、台北と高雄の間を5時間で走破するという革命的な存在……。当初こそ「アジア四小龍」として大いに経済発展し始めた頃だけに、運賃を負担できるのはごく一部の国民党幹部や富裕層に限られ、一般庶民は黙って見ているだけであったようですが、「是非乗りたい!」という人気は凄まじいものであったようで、まさに「オレもキョ光号に乗れるようになろう」という強い願望が台湾社会の発展を促したのかも知れません(さすがにこれは極論か ^^;)。
 そして個人的にみるところ、未だにキョ光号を超える総合アコモデーションを誇る列車は台鉄には現れていないように思います(キョ光号にたまに連結される、1+2列シートの豪華観光客車[ツアー会社が販売し、自強号運賃]はさておいて)。もちろん、タロコやプユマの椅子も見てくれはデラックスかも知れませんが、イマイチ構造的にチープさを禁じ得ないという……。シートピッチもさほど広くないですし、何と言っても日本グリーン車に比肩する大きさのフットレストがありません。そしてキョ光号のもう一つの売りは……車体構造やブレーキなど、基本的には日本の旧型客車そのままであること♪ 高い天井、蒲鉾切妻、手動ドア、「シャーッ!」という音が絶妙なブレーキ音……それに加えて巨大横長窓や豪華椅子が組み合わさっているのですから、もしも日本のスロ54など特ロ客車が電車や気動車に押されず正統進化を続けていれば、多分キョ光号のような感じになっているに違いない……と信じます。台鉄といえば藍色普通車(特に日本製・スハ44風の対号快車用客車)や東急車輌製の非冷房DCであるDR2700、そして最新のプユマやタロコに関心がややもすると二極分化しているように感じられますが、実はキョ光号こそあらゆる意味において最も濃厚で奥が深い……と思うのは私だけでしょうか(否、それを言い始めたら、キョ光人気を受けて登場したスペックダウン列車・復興号の方がもっと奥が深いかも。現在僅かに残っている車両は新造車グループかも知れませんが、激減前は旧型客車の下回りを流用したため乗り心地がかなり悪い車両も多数あったようですので……)。
 そんな、台鉄の中でも最も優雅で風格あるはずのキョ光号も、その後高速な列車がどんどん登場し、とりわけ高鉄の開業によって長距離列車削減→復興号の西部幹線からの撤退や、東部幹線における長距離平快車の消滅の結果、今や鈍足列車となったキョ光号は停車駅が大いに追加され、ますます鈍足に……。ガイドブック等では単なる「急行列車」と紹介されているのを眼にするたび「違う!キョ光号は単に鈍足で古いだけの豪華特急なんだぁぁぁっ!」と思うのは私だけでしょうか。
 それでも何のかの言って、キョ光号は相変わらず長距離列車として、のんびり旅行したい客と通勤通学客をともに乗せて、今日もまったりと台湾全島を漫遊しています。独裁時代の超豪華最速特急から、自由で豊かな時代のシブい急行列車へ……その性格は「中華民国」の国家としてのありようと全く同じく変わってしまいましたが、それでも基本的なアコモデーションは何一つ変わらないあたり、キョ光号約40年のプライドを表しているのでしょう。そんな、ある意味で如何にも「守旧派」な列車をも未だに台湾の人々が愛用しているあたり、台湾という国のユルくて何でもありな雰囲気も感じられるものです。
 ……をっと、キョ光号への愛を激しく綴っていたらすっかり長文になってしまいました (^^;)。なお、今回の出張鉄でキョ光号に乗ったのは、七堵を出庫して高雄に向かう列車を激写した後、そのまま台北まで約20分間乗ったのみ……(滝汗)。まぁ究極のキョ光号気分をガラ空きな車内で満喫して御満悦でしたが (^o^)、やはり欲求不満が残りますなぁ~。やはりいずれ久しぶりに、台北~台東間を乗り通すとかしなければ……。
 なおキョ光号のうち、時刻表に車椅子マークが付いた列車には乗ってはいけません。PP自強と同じショボ目なアコモの横開き自動ドア客車・FP10400系列ですので……。一方、車椅子マークが無い手動ドア客車はまだまだ健在ですが、転落死亡事故が度々起こっているため、台鉄はドア閉めに非常にナーバスになっています。ホームにも、黄色いベストを着たドア閉め要員がいるほどです。したがって、そう遠くない将来に台鉄は手動ドアのキョ光を廃止したいともいわれており、都市間高速輸送も念頭に置いて通勤車としては異例の流線型マスクを持つEMU800が今後どれほど増えるかが一つの鍵となることでしょう……。

台北蒸し焼き鉄 (6) 釣掛EMU400万歳!

2013-09-13 00:00:00 | 台湾の鉄道


 鶯歌で遭遇した車扱貨物列車を撮影したという本シリーズ前回の記事では、「移動にあたり極めてスペシャルな区間車の旅を楽しんだ」と記しましたが、具体的には何と……鶯歌から乗った基隆行が釣掛EMU400でやって来たのです♪♪ この南アフリカ製車両、1994年に初めて台湾を訪問した際には、パンタグラフを装備した車両に乗ったところ異様に静かで、「何だよこのつまんねぇ電車……。こんなのではなくボロい旧客に乗りたいんだよなぁ……」と文句タラタラだったのですが、世の中無知であることほど、恐ろしく恥ずかしく勿体ないことはありません (滝汗)。この車両、パンタグラフ付きの車両には「EP」と標記されていますが、これは単に電力を供給する「Power」を意味するに過ぎず、モーターは付いていませんので、「EMC」と標記された先頭電動車に乗らなければ何の意味もないのです。しかも当時は非鉄につき、この電車が釣掛式であるとは全く想像すらつきません (^^;)。というわけで、10年少々前に鉄活動に復帰してからというもの、EMU400については乗ったり撮ったりする度に内心懺悔しまくりです (笑)。



 したがって、突然やって来たEMU400に乗るにあたっては、反省の意味を込めて立席乗車をするかというと……そんな殊勝な心がけであるわけありません。そもそも休日日中の台北に向かう区間車は混んでおり、途中駅から座るなどということは不可能です。むしろ、最初から立つつもりで、扉が開くやいなや問答無用で8連のちょうど中間・編成どうしの連結部分に向かったのでありました (笑)。貫通扉つきの運転台どうしが向き合った際、ケチな会社は貫通路を封鎖したままですが (例えば小田急顔が一般的であった頃の小田急)、親切な会社は幌を装備しているわけで、そのために超ゴツい幌付き顔も存在するという点で、ファンにとってはフレンドリーであります。台鉄は後者! そして、目論み通りに中間封じ込め運転台の位置に立ち、正面扉を少し開くと……をををっ♪発車と同時に盛大な釣掛サウンドが響き渡って参りました……v(^O^)v しかも、駅間がそれなりに長い台鉄では結構飛ばしますので、かなり長時間ノッチを入れっぱなし♪♪ そして極めつけは……板橋近辺から突入する長大な地下区間♪♪♪ まさに昔の銀座線的なノリを20m級の大型釣掛車で味わえてしまうという……! 極めつけは、客が大量下車した後の台北~松山~南港間! 駅間が非常に長いため、あたかも山岳トンネルを釣掛でブッ飛ばすかのような激しい快感を味わうことが出来るのです……(*^O^*)。
 嗚呼……これだから台鉄趣味はやめられません♪
 しかしながら、楽園は何時までも続かないのも世の習い。南アフリカ製のこの電車は元々数が余り多くなく、部品供給面で難があるためか、いつもお世話になっておりますKucing様によりますと既に稼働車両の比率はかなり下がっており、所属区である新竹では雨ざらしの車両も少なくないことから、この車両に当たるのは相当ラッキーな部類に入るとのこと……。朝から台北近郊の沿線でずっと乗り撮り鉄していた私の目算でも、基隆~新竹のあいだで運用に入っていたのは、私が乗った列車も含めて8連2~3本といったところでしょうか。そして、このたび「スネ夫」EMU700以上にマスクがとんがった最新型の通勤電車EMU800が落成し、日本から輸出されたとのことですので (量産車は台湾車両での製造となることでしょう)、2扉・釣掛・8連の場合中間に運転台あり……と、台北近郊の通勤輸送に不適合となったかの感が強いEMU400の先行きは間違いなく長くはないでしょう……。この夢のような釣掛通勤電車の宴を、日本の隣国で味わうのは、まさに思い立ったが吉日なのかも知れません。


 正面ドアに取り付けられた南アフリカ製の銘板。台湾と南アフリカがともに国際的に孤立していた時代の名残でしょうか……。



 運転席。結構スゴい位置にマスコンとブレーキハンドルがあるような。



 「車両故障でSOSの場合にはこちらに電話してね♪symbol4
 こんなところにもいわゆる「萌えキャラ」!……台鉄恐るべし! (^^;


台北蒸し焼き鉄 (5) 車扱貨物列車参上!

2013-09-01 12:33:00 | 台湾の鉄道


 先日大手旅行業各社が発表したところによりますと、今年度上半期における中国へのツアー客が壊滅的に減少し、近ツーに至っては99%減という……。C共の御乱心ぶりが相変わらず続いているのに加え、PM2.5などというものの凄まじさを見てしまえば……観光旅行に行きたいと思うのは余程の中国文化マニアくらいとなるのは致し方のないところでしょう
 そこで、本場の中国料理・文化を楽しもうと思った人々が台湾に行くのかというと、どうもそういうわけでもないようで……台湾へのツアーも社によっては激減しているのだとか (@_@)。うーむ、思うに……台湾ツアーが行く場所は大体決まっており、既に行き尽くされていたところ、最近の馬政権による大陸観光客への門戸開放政策により、主要観光スポットが押すな押すなの大混雑となっていることが、日本人観光客の足を遠ざける一因となっているような気もします。
 まぁそもそも台湾というところは、漢字さえ書ければ筆談で平穏無事に事が運ぶ文明世界ですから (私は第2外国語が中国語だったもので、筆談ってやったことないです ^^; 中国語圏のメシ屋で食べたいものをピタッと見定めて注文できるって良いもんですぜ旦那…)、ツアーで行くよりも個人旅行でいろいろマイナー気味なスポットを訪ね歩きまったりする方が圧倒的に面白いわけで、とりわけ近年は日本人も「台湾慣れ」した結果、リピーターを中心に個人旅行の比率の方が高まっているのではないかという気がします。ツアーについても、中正紀念堂に故宮博物院といったお決まりの超定番コースなどではなく、生活感あふれる古い街並み・ド派手さとシブさが絶妙に混ざり合う廟・日本が残した近代建築・美味い田舎メシ・手つかずの大自然・観光地としても楽しめる鉄ヲタスポット (保存鉄道や古い駅舎)……などなどテーマ別に特化して売り込んだ方が、既に一通りの主要スポットに行った老人客層に絶対にウケるような気がするのですが……どんなもんでしょうかねぇ~。



 というわけで、観光業にかかわっているわけではない人間の超戯れ言、大変失礼しました。少々間が開いてしまいましたが、丁度3ヶ月前の台北出張鉄の続きを……(ここまでの駄文と画像が全然関係なくて恐れ入ります ^^;)。
 鶯歌にて、スイッチャーの出番終了に肩透かしを食らわされながらも工事用宿営車を撮影して大喜びし、「さて台北に戻るか……でもそろそろ高雄行のキョ光もやって来る頃合いだな」ということで、順行 (台湾を時計回りに走る列車のこと。鶯歌でしたら台北方面行になります)ホームの先端で待ち構えていたところ、突如3番線の高雄方からヘッドライトの光が……。何と!貨物列車が待避モードで入線して参りました♪ しかも何と!事務室から反射ベストを着用した操車氏が出て来て、貨車とE300型ELが切り離されますと、ELはそのまま台北方に移動して機回し♪♪ 幸福水泥公司のセメントホキと連結したではありませんか……! 要するに、斗六行の釣掛自強から眺めたスイッチャー入換は、セメントホキをこの貨物列車に連結する前の準備だったようです。 
 というわけで、この貨物列車は東部幹線のセメント積み出し駅(蘇澳~花蓮間のどこか)に向かうに違いない!と思いまして、先にやってきた区間車(要は冷房付き普通列車)に乗って、再び台北の東側へ! 当初の目論見では、鶯歌からは素直に台北に戻り、台北駅周辺で昼食をとりつつ、誠品書店あたりでじっくりと鉄道書を物色し、出来れば模型もゲット……というつもりであったのですが、来そうでなかなか来ない車扱貨物が必ず来ると分かれば、どうしても撮り鉄活動に集中せざるを得ないという……。久しぶりの台湾訪問ということで、どちらも完璧にこなしたいものですが、日本に帰る飛行機の時間が既に決まっており動かせない以上、二兎を追うことは出来ません (汗)。
 そんなことを考えつつ、極めてスペシャルな区間車の旅 (謎……このシリーズの次回をお楽しみに♪) を楽しむこと約1時間、朝方撮り鉄した駅に再び戻って来たところ、予想通りに車扱貨物列車が登場!! しかも、セメントホキに加えて有蓋車・無蓋車を合わせて合計20車以上という超豪華編成!! 嗚呼……日本ではもう遠い昔の存在になってしまった編成が、今もこうして台湾では力強い生命力を保っていることからして、思わず「台湾万歳!」と叫んでしまいたくなります (笑)。