地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

中国昔は良かった (7) 撫順の満鉄ケハ5

2018-01-27 00:00:00 | 中国の鉄道


 日本の鉄ヲタ界の底力は、単なる鉄ヲタ人口の多さやテーマの幅広さによってではなく、あっと驚くような掘り下げた研究が時折現れることによって推し量ることが出来ますが、とりわけ、テーマとしては無限の沃野でありながら様々な理由により探求が進んでいなかった分野においてブレイクスルー的な作品が現れると、思わず尊敬の念とともに唸らざるを得ないことになります。アジア各国の鉄道シーンは概してこのような可能性に満ちていますが、とくに中国の鉄道の場合、表向きの政治体制の問題や種々の歴史的理由により探求上のブラックボックスが生じやすい反面、実際に訪れてみると何でもありのフリーダムなカヲスであったりしますので、余りの百花繚乱ワケワカメぶりに圧倒されやすい反面、その断絶を埋める努力がなされたときの感動はたとえようもないものがあります。



 そのような怪作、いや快作としてご紹介したいのが、岡田健太郎著『撫順電鉄 (撫順砿業集団運輸部)----満鉄ジテとその一族----』です。岡田氏は、かつて中国の鉄道シーンが最も撮りやすいカヲスだった頃に中国駐在でいらっしゃったという貴重な機会を活かされて、中国人も羨む不世出の名著『中国鉄道大全』を世に問われたものですが、最大の得意分野は人知れず存在する専用線や黄昏系鉄道シーン、とりわけ超地味な客車でいらっしゃるということで、その成果はリンク頂いております『不思議な転轍機』の中でも詳細に語られているところです。
 そして、中国の客車シーンの中でも、とりわけ「何なのだこれは……」と圧倒されるのが、遼寧省撫順の鉱山鉄道。ここは満鉄時代に直流電化され、中国では稀有な都市近郊電鉄が一時は隆盛を極めたものの、残念ながら市街の中心部に駅がないために90年代以後バスに客を奪われて廃れてしまい、2000年代を最後に電車は運休となって久しいところです。そんな撫順電鉄は満鉄ジテや中国国鉄の通勤客車YZ31型を改造した電車が走り、2000年代に撫順を訪れた鉄ヲタの誰もが「三池炭鉱鉄道が電車で運行されていればこんな感じだったのかも」と思わせる光景にコーフンを禁じ得なかっただけに、なおさら運休は惜しい……。しかし、末期に運用されていた電車は現存し、復活の可能性を秘めながら放置されているということで、決して過去の存在になりきったわけではありません。
 とはいえ、いくら興味をそそる電車がゴロゴロ走っていたとは言っても、ここは満鉄・満洲国の金城湯地ではなくなって久しく、とりわけ秘密主義的な中共が支配する世界であるのも確かですので、訪れて「スゲー!」と思いつつも、個別の車両の背後にある細かい来歴については、傍目にはさっぱり分からなかったものです。
 そんなブラックボックス的なカヲスの観を呈していた撫順電鉄の車両について、岡田氏のこの薄い本は、満鉄時代の写真や、改革開放がスタートして外国人にも撫順が開かれた1980年代以後の写真を中心に、しらみつぶしに照合を進められ、正確な車番のトレースこそ未だ極めて困難であるものの、少なくとも戦前の形式まで明らかにすることに成功しています。その結果明らかになったのは、戦前の撫順炭鉱電鉄・満鉄をはじめ、中国大陸各地で日本が走らせていた電車やディーゼルカー・ガソリンカーについて、結局中共鉄道部が各地それぞれでの保守をするのではなく、ごっそり撫順に持ってきて電動車化・トレーラー化したという経緯……。そこで、1980〜90年代の撫順電鉄最盛期は、そんな戦前の「日本製・大陸系電車&内燃動車」の一大牙城であったことが分かり、「嗚呼〜!何故この時期に撫順で電車を撮らなかったのか!……90年代にバックパッカーで何度も中国を訪れた自分としては、ネットが現れる前の時代だけに、中国の鉄道は基本的に撮影禁止だと思っており、そんな自分の無知が恨めしい……」と改めて痛感します (汗)。
 何はともあれ、他にも北京地下鉄に先立つ中国初のチョッパ制御の試みや、最末期の編成陣容など、驚きの内容がてんこ盛り (?) の本書、神保町の書泉でしたらまだまだ多数売っていますので、勝手にオススメさせて頂きます。(多忙のため、今日ようやく書泉を久しぶりに訪れ、まだ売っていたのを眼にした瞬間安堵しました……)
 なお、私自身は残念ながらジテ(ハフセ)編成を撮っていませんので、満鉄ケハ5 (ディーゼルカー) 及びロハフ1 (ジテ編成合造車) 崩れの客車がゴロゴロと行くシーンをアップしておきます。先頭2両が、たぶん107編成に組み込まれていた満鉄ケハ5であり、機関車の脇の1両がロハフ1だということが分かったのは大きな収穫でした。

中国昔は良かった (6) 緑亀東風4型

2018-01-05 22:49:00 | 中国の鉄道


 むかしむかし、「日本と中国の関係には不幸な時代があったものの、未来はきっと良い関係になる」と信じられていた頃、「国際化」の掛け声に踊ってみたくはなったけれども欧州やアメリカを旅行するほどの金を持っているわけではない多くの貧乏バックパッカーが、大阪・神戸 (たまに横浜) から「鑑真号」に乗って上海の国際客船ターミナルに到着すると、好んで転がり込んでいた「浦江飯店」という宿がありました。ここは1842年の南京条約によって上海が開港された最初期に建設され、世界中の有名人が泊まった由緒正しい「アスターハウス・ホテル」であったのを、毛沢東時代の革命精神とやらで外国船員用の安宿に改めたもので、病院のベッドが並んだドミトリーで寝泊まりしながら、多くのパッカーが中国やアジアの面白い場所について寝ても覚めても面白おかしく語り合うという、一種の梁山泊的世界が広がっていました。



 そんな浦江飯店、何だかんだで上海旧市街の超一等地に建っていますので、経済成長とともに元の豪華ホテルに再改装されて営業を続けていましたが、中国ではクラシックホテルというのは余り流行らないようで、かつての満鉄ヤマトホテルもどちらかと言えば安ホテルにカテゴライズされているようですし、浦江飯店も余りパッとしない存在感に終始していたようです。そしてついに、昨年の末に営業を終了したとか……。今後は、1990年代に社会主義化後最初の証券取引所が浦江飯店の一角で開設された誼もあってか、証券博物館に改装されるのだとか。
 したがって、建物そのものは残るものの、もうここに泊まることが出来ないとは、むかしバリバリのパッカーだったヲッサンにとって何とも哀しい話ではありませんか……。
 まぁ、今や支付宝や微信支付によるスマホ決済を使えない (=中国に口座を持っていない) 外国人は来なくて宜しい、と言わんばかりの国になっちまってますから、別にイイかと言えばそれまでですが……。
 こうしてまた一つ、楽しかった昔の中国の記憶が完全に過去のものになって行くのでありました。
 というわけで、全然記事の文面と一致しない内容で恐縮ですが、阿鼻叫喚の列車旅にもまれてパッカー宿に転がり込む……そんな昔の中国国鉄における最も慕わしい罐のひとつといえば東風4型「緑亀」ですので、何となく貼っておきます。とゆーか、いま現役の緑亀って、どれくらいあるのでしょう?

中国昔は良かった (5) 撫順の大型鉱山EL

2017-10-01 20:44:00 | 中国の鉄道


 去る8月、神田神保町書泉のすぐそばに正真正銘の蘭州ラーメンを出す店がオープンする旨を、中国バックパッカー経験者としてコーフン気味に記したものですが (最早鉄道ブログではない。笑)、この「馬子禄牛肉面 (麺)」は開店以来、単に中国訪問時に蘭州ラーメンの味を知った日本人が訪れているだけではなく、様々なルートで噂が噂を呼んで、ラーメンマニア・神保町界隈リーマン・在日中国人・大行列を見て好奇心を起こした人などなど、凄まじい大盛況を見せています。そんな中、私と言えばなかなか機会がなく未訪問であったところ、先日開催されたインドネシアの宴にて、一足お先に賞味されたKucing様から「実に美味い。大盛りはないけどそこそこ量はある。但し行列は、書泉の前に達するほど凄いこともある」とのお話を伺い、「これは一刻も早く、客が空きそうな2時前後を狙って行くしかない! しかし先日の鉄道雑誌早売り (@書泉) に合わせて店の前を通ったらスープ切れで終了という看板を見かけたので、夕食目当てで行くのはリスクが大きい」と思ったのでした。
 そこで先週金曜日、空腹を抱えつつ午後2時前の神保町へ。すると……ぬをを……こんな時間だというのにまだ10数人が並んでおり、しかも私の前に並んでいた尾根遺産は「一見美人だけど、どう見ても服装のセンスは日本人じゃねぇな……」と思ったら、もうすぐ入れるというところでケータイを取り出して近くにいる友人を中国語で呼び出し、目の前で見事にソフトな挿隊 (横入り) をやらかしてくれました。まぁ私もその後すぐに入れ、しかもカウンターではなくテーブルに案内されたので良いのですが、とにかく在日中国人も押しかけているということで、のっけから中国の特色ある素晴らしい文明礼貌ぶりを見せつけられました (震え声)。



 あ、肝心のお店のサービスですが、フロアの尾根遺産も含めてスタッフは日本人ですので、不愉快なことは一切なく……実に美味い!! 牛肉でしっかり出汁をとったスープに細かく刻んだ香菜 (パクチー) と辣油がたっぷり注がれ、かといって四川料理のような口から火が出そうな感覚ではなく、あくまでまろやかなコクとスパイシーさが絶妙に調和……。そう、このような、中国清真 (イスラーム) 料理の感覚を東京で手軽に楽しめる日を長く待っていたのです……。
 既に池袋には蘭州ラーメンを出すと称する店がありましたが、これは豚肉を出す漢人の店が片手間で蘭州ラーメン味の何かを出しているに過ぎないわけで、本来蘭州ラーメンとは蘭州のムスリムが創った美食である以上、ハラール認定を受けたこの店こそまさに真打ち、その期待を裏切らない美味さだ!!と痛感したのでした♪ これで、出来れば麺大盛りが出来ればなぁ……。
 と思った矢先、何と西川口にもムスリム経営による正宗蘭州清真料理店が出来、蘭州ラーメンや焼きそばを出すとな?! 最近どんどん増えている大陸出身者の店は、どうも四川に傾いた、日本人にはイマイチ過ぎる辛さとこってりさの店が多く、同じスパイシーでも回族の清真料理がもっともっと増えて欲しいと思っておりましたので、このような流れがもっと拡充し、気軽に日本の至るところでも蘭州ラーメンや西北風味を味わうことが出来る日を熱く期待したいものです。

 そんなことを、いちおう中華人民共和国国慶節につらつら思いつつ (別に「友好人士」でも何でもありませんが w)、久しぶりに未アップ画像をほじくり返してみました。イスラームのシンボルカラー=緑にちなみ、緑亀東風4型をアップするのも良いかも知れませんが、ここに来てちらほらと、長年放置されていた撫順のジテが中国中車の長春工場に入って整備中らしいというウワサが流れていることに狂喜しつつ、緑色一色がまさに労働者の国家 (今や乖離し過ぎて「笑」) の罐として似つかわしい撫順の大型鉱山電機をレタッチしてみました。

中国昔は良かった (4) 緑罐と紅皮の風景

2017-08-09 00:00:00 | 中国の鉄道


 本の街・神田神保町。しかし残念ながら、所謂紙の本離れの影響で古書店が減り、その代わりに増えたメシ屋も入れ替わりが激しいようです。そんな中、三省堂と書泉の間にあるラーメン屋が店じまいし、次は果たしてどうなるのやらと思っていたところ、昨日2~3週間ぶりに歩いて超びっくり! 何と……ちゃんとハラール対応の蘭州牛肉拉麺の店になるとは! 詳細はググると出て来ますが、オーナーは中国の漢語を話すムスリム (回族) ではなく日本人で、中国留学中に蘭州ラーメンの美味さにハマり、蘭州の老舗に弟子入りしたとか……。
 中国を貧乏旅行や長期出張・駐在で訪れたことがある方でしたら知っているはずの蘭州ラーメンは、読んで字の如し、中国西北の蘭州に住むムスリムによって創始され中国全土に広まったものです。ただ、いくら製麺時にバンバン叩いて引っ張る(拉)とはいえ、その本質は小麦を使ったうどんであり、実は日本のラーメンとは似て非なるものです。
 したがって、かつてNHKの『シルクロード』『大黄河』といった中国万歳番組を食い入るように視聴し、いつか必ずラーメンの聖地を訪ねなければならないと思った青少年の私は、その後初めての海外旅行で蘭州を訪ね、神聖不可侵なる日本のラーメンとは余りにも異なる風貌に落胆を隠しきれなかったものです (笑)。しかも、西北イスラーム風味ですので、肉系の出汁のスープの中にとにかくドバドバとラー油を注ぎ込まれた結果、余りの辛さにのたうち回り、以後必ず注文時に「辣的少一点! (辛いの少なめ!)」と付け加えるのを忘れないようにした次第。



 それでも、中国でとにかく早く安く美味くメシを済ませようとする場合、蘭州ラーメン屋は誠に使い勝手が良く、慣れれば数日に一度は必ず食いたくなるシロモノであることは間違いありません。また、蘭州ラーメンにもバリエーションがあり、たとえば太麺の上に甘辛とろみ煮をぶっかけた皿うどん「干盤」は、辛すぎるのが苦手な人間にとっても実にマイルドで美味かったりします。
 そんな蘭州ラーメン、既に池袋にもこれを出す店があるようですが、池袋は昼間行く機会がなく、しかもちゃんとムスリムに弟子入りしたハラール対応の「正宗」であるかどうか極めて疑わしいものがあります。ネット上にメニュー画像が転がっていますが、をいをい、豚角煮ラーメンを出しちゃダメだろって……(苦笑)。要するに、蘭州ラーメン味も出す漢人の店ということでしょうな。
 というわけで、神保町に今度出来る店は、きちんと蘭州のムスリム老舗店に弟子入りしたという点で、日本初の由緒正しい蘭州ラーメン店であると言えましょう。オープンしたら是非早めに食べに行ってみたいところです。
 この話題は新華社・人民日報社の報道によって中国国内でも知られているようで、たとえば「中国のラーメンがついに日本に逆襲」という見出しがつくなど、一方的にヒートアップしている気配があります。「中国で食う蘭州拉麺にはこんなに肉載ってないぞ!」「蘭州では牛肉麺と呼ぶのだ」「いや、この日本人が弟子入りした老舗よりも、あそこのあの店の方がもっと美味い」などといったコメントが記事にくっついているのは実に面白い……。いやその……何でも日本にお株を奪われた悔しさが中国民族主義の原動力で、だから「逆襲」と言ってみたくなるのは分かりますが、そもそも蘭州ラーメンに熱く期待する日本人がいるとしたら、中国に長居したことのある食いしん坊なヤローだけであり、全然日本のラーメンと蘭州ラーメンは別の食べ物だと思ってますから……。
 ともあれ本当に、蘭州など中国西北の街で、アザーンを聴きながらすすった「あの味」と同じかどうか、期待したいところです。神保町という場所柄、美味い味でありさえすれば、中国を思い出す客がちゃんとつくと思うのですが……。

 というわけで、全く鉄ネタではありませんが、とにかく中国貧乏旅行体験者としては嬉しい話題ですので、昔懐かしな画像を添えつつ記してみました。「緑亀」東風4や、シブい入換機である東方紅5が北京でもウロウロしていた時代は遠くに去り、紅皮車も絶滅寸前でしょうか。「赤いきつね」と「緑のたぬき」=うどん・そば、なんつって……(^^;)。いやいや、緑と赤は、蘭州ラーメンの彩り (どっさりパクチーと牛肉・ラー油) そのものだったりします。

中国むかしは良かった (3) 空調YZ22佇む

2017-06-26 02:15:00 | 中国の鉄道


 インドネシアの高速鉄道をめぐって物議を醸した中国高速鉄道は、何だかんだで膨大に生産余力を抱えた国有企業を救済するためもあって約数年間で凄まじく距離を伸ばし、今や世界他国の高速鉄道の総距離を超える路線網を一国で擁するに至ったと豪語するだけではなく (このたび宝鶏~蘭州間が開通のはこびとなり、かつて3泊4日を要するのが当たり前だった北京~ウルムチ間があっという間に)、まさに次の超大国としての誇りをかきたてる国威発揚の道具にもなっているものです。そんな中国高速鉄道、温州での大事故(否、その後の生き埋めの方がもっと大事件と思われ)を最後に目立った事故はなく、全く当てにならない国内航空(これに噴飯しない人は神か仏か)に愛想を尽かせた多くの客を引き寄せて安定的に運営されているのは客観的にみて評価に値するでしょう。



 そんな中国高速鉄道にあって最大の弱みは、「完全に自主的な知的財産権を擁する国産」とアピールして愛国心に訴えれば訴えるほど、日独仏等の車両メーカーから設計思想や部品を供与されたことが明らかになり、「パクリ」の誹り合戦によって誰もが嫌な思いをするところにあったわけです。最初から普通に二国間・多国籍企業協力で実現したと宣伝すれば、パクリの誹りは全くなく、むしろグローバリズムの担い手としての中国の好印象を国内外にアピールし、日中関係の改善強化も出来たはず。そうならなかったのは、中共の心の中に潜む悪い病気のためであるとしか思えませんな。(外交部長の王毅氏が事あるごとに日本に向かって「お宅の心の病を自ら治せ」と言っているわけですが、その病気を一番患っているのは中共自身 w)。

 そこで、中国鉄路総公司と中国中車にとっての引き続く課題は、「完全な知的財産権」とやらの中におけるパクリ要素を減らしつづけ、見果てぬ「中華之星」の理想を実現することにあるわけですが、このたび「一定のブレイクスルー」があったようです。具体的には、改めて「完全に知的財産権を擁する、新世代の高速鉄道車両」として、「H」を付けない「CR400AF」「CR400BF」が登場し、総称して「和諧号」ではなく「復興号」というネーミングになるようです (CR400AFについては、形態からして「藍海豚号 (青いイルカ)」という愛称もあるとか)。「H」は「High Speed」だけでなく「和諧 Hexie ほぉぇーしえ」のHも兼ねているでしょうから、これを外して「復興 Fuxing ふーしん (「ふ」は上の歯を下唇につけながら)」と「Fast」のFを付けるということでしょうか?
 (※今のところ車体には「復興号」のロゴは貼られていないようですが、「和諧」と比べて「復興」の簡体字は簡略化甚だしく相当ダサいため、何も貼られない可能性もあります。あるいは中共にとっての禁じ手で正体字にするか? →17時補足:やっぱり簡体字。ダサダサ!)

 ちなみに「復興号」と書きますと、普通の愛台湾な日本人鉄ヲタであれば、客レの復興号を思い出すのは、誰しも異論のないところでしょう。
 しかしそれでは、中国からは怒られてしまいます w。
 「それは所詮、偉大な党と国家の歴史と現在を理解しようとせず、祖国統一の趨勢を読めずして、分裂主義台湾のことばかりもてはやす島国小日本の偏狭な見方アル! 「復興」とは則ち、《中華民族の偉大な復興》という、20世紀以来全ての中国人民の渇望、そして習近平同志が力強く掲げる《中国夢》の目指す方向アル! いっぽう、「和諧」は胡錦濤時代のスローガンゆえ、もう古いアル。習近平同志が間もなく9月の党大会で領導核心として再選されるという盛世の趨勢を、「必ずや名を正さんか!」の精神でいっそう適切に車両の名称にも反映させ、「与時倶進 (時代とともに進む)」の精神で大国鉄道の風格を明らかにするためも、「復興号」にするのが望ましいアル!」
 (※台湾で国民党独裁時代に「復興号」というネーミングが出来たのも、まぁ大体こういう意味なのですが[蒋介石は中共を打倒して大陸を取り戻し、中国を世界に冠たる国家にする気満々]、いつの間にか台湾ではキョ光も復興も本来の意味を失って、単なる列車名になってしまったのでした)

 もっとも、画像をよく見ると、AF・BFそれぞれに、やはり日本とドイツの亡霊が漂っているように思えるのは、私が愛中華度ゼロの小日本鬼子だからでしょうか? まぁ技術面での細かい真相はいずれ明らかになるでしょう。
 ともあれ、そんな中国の技術的動向や「一帯一路」の方向性を無視して、日本の対外鉄道協力を論じ得ない御時世であるわけですが、私の脳味噌の中の中国国鉄は緑皮車で止まっています (笑)。そこで、今はなき大台線 (京門線) ローカル列車で使用されていた、1980年代末~90年代初頭の北京=上海直達特快のなれの果てである空調YZ22の未アップ画像を貼っておくことにします (勿論、空調は壊れています。2006年8月撮影)。