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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

中国むかしは良かった (2) 撫順の電車

2017-01-22 00:00:00 | 中国の鉄道


 つい最近、某ホテルの部屋に備え付けの雑誌や書籍をめぐる問題が沸騰しているようですが、そもそもこのホテルがこういうことをやっているのは今に始まったことではなく、某国の人が泊まってもパラパラとめくれば漢字を見れば一発で趣旨が分かるはずで、それがとっくの昔にネットで拡散していても良かったはず。それでも何故か某国の海外旅行記サイトで某ホテルの名前をしばしば見かけ、しかも高く評価しているということは、結局のところ某国からの観光客が主義主張をさておいて某ホテルのサービスを好ましいものと認めて来たか、目の前の冊子の中身には全然興味ないということなのでしょう (それこそが、某国文化の底流に流れるサバサバした実用主義でもあります)。
 したがって、一番圧倒的にお間抜けであるのは、ネットで話題になって慌てて大音量で報道を始めた某国国営新×社通信だということになります。貴方方は党の喉舌という立場にふんぞり返って、数年前にこのホテルの会長が主宰する懸賞論文問題が起こったときにも何も調べなかった結果、自国民がみすみすこのホテルに泊まるのを見過ごしてきたわけですから、一刻も早く×華社通信は解散し、某国で最もメディアとしての責任感に燃える南○報業集団や炎○春秋社にその役目を譲れば宜しい。
 あるいは、とにかく某国では現在猛烈な勢いで外貨が減っていますので、外貨流出防止のため海外旅行にもブレーキをかけようとする中で、キャンペーンのネタとして「反省しない小日本鬼子」と宣っているのかも知れません。まぁ某国外交部のツンデレスポークスマンも含めて、言論は自由です。
 それはさておき個人的にはこの某ホテル、ここ数年は全然利用していないのですが、大浴場があってサービスの質も悪くないと思いますので、決してキライではありません (但し、急拡大路線以後の店舗は、部屋&朝食会場激狭ドケチ路線につきノーサンキューです。あと、部屋に入ったら社長の顔の表紙をひっくり返すのがお約束ですが)。そしてこのホテル、どう考えても国鉄遊休地に早くから目を付けていた節があり、急拡大路線の前にそういう土地に建てられた店舗は、そこそこ値段相応で納得の広さ+超特選トレインビューであったりしますので、「またこの街を訪れた際には再利用したいなぁ~」と思ったりします。では、一番オススメのところは何処かって?……大都市ではないのですが、競争率が上がってしまうかも知れませんので、安易にはお教えするわけには行きません (笑)。



 をっと、何の話をしているのやら (以上に関するコメントは御遠慮下さい)……先日関西を訪れたついでに片町線完乗を目指して207系に揺られつつ、スマフォでネットニュース記事を見ていたところ、そんなことをつらつらと思ったということです (^^;)。
 そして徳庵の近畿車輛前を通過する際、非常に分かりやすい位置に、どう考えても香港の東鐵線または西鐵線向けとしか言い様のない新車が留置されているのを目撃したのですが、果たしてその目的は増発なのか、それとも東鐵線釣掛の置き換え用だったりするのでしょうか。
 そこで近車の公式HPを見てみますと、2015年夏から既に6編成が落成しているということで (とりわけ昨年末はまとめて2編成が落成)、これはどうやら釣掛置き換えか……? 気がついてみれば香港も約6年御無沙汰ですので、「また香港にどうぞ♪」というメッセージだったのかも知れません。
 そんな香港の電車、地下鉄用車両は最近中国中車製の車両が続々増えているようですが、もともと英国製や日本(近車)製を長らく使ってきた東鐵・西鐵線用の車両は、改めて近車で作らせているということで、「これほど中国中車の製造実績が増えているのに、香港の九広鉄道系スタッフは《自国》のはずの中車を信用していないのだなぁ~」ということが仄見えてきます。あるいは、一応公開入札にしたところ、最近の中国におけるコスト急増を受けて、意外と日本製車両でも価格競争力が増してきたということなのでしょうか (ドシロートですみません)。あるいは、九広線サイズの5扉大型電車 (23~24m級) は、1980年代初頭に東急車輌から試作車4両だけ輸入した20m4扉車を源流タイプとする (?) 中国中車のスタンダードとは毛色が異なっており、結局近車に作らせるのが技術的にベターということなのでしょうか……?
 否、中国にも20mを超える大型電車の実績はある!ということで、撫順の電車を思い出しました。……とゆーか、これは超ポンコツ通勤客車YZ31に、やっつけマスクと手持ちの電装品をくっつけただけのシロモノで、香港九広線の5扉車とは到底同列に論じ得るものではないですね (^^;
 ただ、本当に遺憾なのは、同じ社会主義計画経済でも、毛沢東中国はソ連や東欧と比べてホントに都市圏の拡大ということに冷淡で、結局この手のオリジナル電車が全国各地の近郊エレクトリーチカとして走りまくる機会が訪れないまま、現実の都市近郊鉄道は地下鉄と一体の存在として今風のデザインで造られているということです。そして撫順の電車は運休が続き……昨年夏の西露天鉱大崩落による車庫流失の危機は何とかなったようですが、まぁ復活することはないのでしょう。
 ちなみに、ネット記事をつらつら見るにつけ、ジテが依然現存しているとのことですが、日本人鉄ヲタ向けに撮影会商売をするよりも、そのうち再整備されて中国鉄道博物館または対外非公開 (愛国主義教育基地としての性格がひときわ強い) の瀋陽鉄道博物館あたりに収蔵されるのかも知れません。でも個人的には、図体ばかりデカいボロ通勤客車・YZ31を電車化したこの車両も、何らかの形で保存されることを願っています。そういえば、ジテと同じく100番台を名乗っている車両は、もしかすると古い編成の下回りを流用してYZ31ボディを載せ、番号は流用したということなのでしょうか? だとしたら、下回りだけは満鉄電車が生きていることになるのかも知れません……。

中国むかしは良かった (1) 撫順の上游

2017-01-07 12:00:00 | 中国の鉄道


 新年がいよいよ本格化していろいろなニュースが入って来る昨今ですが、まぁいろいろな面で相変わらずお騒がせな国のNo.1は中国ということになるのでしょうか。既に相当経済の屋台骨が揺らぎ、そこらへんを高速鉄道や地下鉄などの公共投資で何とか自転車操業しているわけですが、例えば人民元の価値を何とか維持するために猛烈な勢いで外貨を溶かしてしまったため、外資の資本持ち出しに制限をかけている云々という話はしばしば側聞するところです。そしてここに来て、個人の零細な銀行口座から海外への送金についても著しい制限をかけ始めたとか何とか……。
 要するにこれは、改革開放が終わるということであり、そのうち外貨管理をいっそう厳しくするため、1993年に廃止の方向性が決まった外貨兌換券 (※) が復活することもあり得るのではないかという想像がフッと脳裏をよぎりました (これはさすがにないか ^^;)。怪社で中国人若手社員に外貨兌換券の実物を見せてやると、初めて見る珍奇な紙幣に喫驚するものですが (笑)、キミたちが生まれた頃の中国はとても貧しかったのだよ……ということで。また、外貨流出を厳しく警戒するということは、海外旅行客の爆買いどころか爆旅行にも制限をかけて、訪日ブームそのものも陰って行くのかも知れません。
 ※……外貨兌換券は95年廃止とのことですが、その前の94年の段階で既にほとんど流通していなかったはず。



 まぁ何はともあれ、昔の中国は確かに今と比べると何事もボロくて貧しく、何をするにも「没有」地獄、列車に乗るにも切符を買うときから下車するときまで全てが「万人の万人に対する闘争」でしたが、逆に身内や少しでもお近づきになった者どうしで助け合うという中国本来の美風は今よりも強く、しかも中共も今と比べて全然カネを持っていないので言論弾圧も程度が知れており、いわゆる愛国主義教育も1995年に始まったばかりで、何処へ行っても日本人は純粋に大歓迎された……ということで、本当に良い時代だったと思います。昨年末、既にオッサンになっている中国人とお会いしたところ、今の中国では「貧しくとも共産党が今ほどウザくなく、改革開放の今後に対する夢があり、それなりに言論も開けていたという点で、80年代が中国の黄金時代だった」という評価が水面下で広まっているとのことで、さもありなんという感じです。

 というわけで、そんなことがつらつらと脳裏をよぎる中、むかし撮影したきりアップせずお蔵入りになっていたカットを追加レタッチしてみたい気分になりました。とりわけ、早いもので10年前になってしまった瀋陽・撫順・北京訪問は良かったなぁ……ということで、撫順の製鉄所で活躍していた上游を貼っておきます。
 ネット上で側聞するところによると、中国の現役SLも間もなく終焉ということで……。一方、中国型HOの珠玉の逸品として、バックマンから人民型1043号機「青年号」が出るようで……。かつて『中国鉄道の旅』(美乃美)『エアリアガイド・中国鉄道の旅』(昭文社)を舐めるように読み返す中で、中国の数ある装飾罐の革命的な美しさに卒倒し、「そのナゾなスローガンの意味を知りたい」という浅はかな理由 (←ウソ) で大学の第二外国語として中国語を選択した私としても、一瞬「欲しい……」と思ったのですが、2,600元超えか……。飾り物として安いとみるべきか、高いとみるべきか……。最近ネタとしてちょっとそそられている、キヤノンEFマウント用の中国・中一光学製レンズを2本買うのと似たようなもんか (←そう考えるとヤバい誘惑 ^^;)。

撫順電鉄の放置中電車に差し迫る危機

2016-08-21 00:00:00 | 中国の鉄道


 今や多くの大都市で猛烈な勢いで地下鉄(及びその先に延びる事実上の近郊電鉄)の建設が進む中国ですが、路面電車ではない都市の電鉄という点で最も早くから運営されてきたのは遼寧省の撫順電鉄ということになります。撫順は大満鉄の富の源泉である巨大な石炭露天掘りの地であり、撫順電鉄も満鉄が直営する炭鉱労働者&石炭輸送鉄道として機能して来ましたが、とりわけ日本の敗戦・満洲国の崩壊、そして中華人民共和国成立と立て続いた歴史の中で、中共はとにかく日本人が残した工業・産業基盤をフルに活用して使い潰すという政策をとってきましたので、撫順電鉄には所謂「日本帝国主義の象徴」という意味以上に「新中国建設の礎」という意味が長い時間をかけて付与されてきたようです。
 そんな撫順電鉄、1990年代初頭までは膨大な通勤輸送量を誇ったものの、その後は凄まじく進むモータリゼーションの中でバスの方が通勤に便利になったこと、そして何よりも存在形態が典型的な炭鉱鉄道で、石炭そのものの枯渇や繁華街には通じていないこともあり(撫順煤礦本社がある礦務局駅から繁華街まで徒歩20分ほど)、2008~9年頃を最後に旅客営業は休止……。満鉄ジテ改造車を含む電車は、全て車庫にて放置されて来たようです。当時依然として凄まじい経済発展が続き、くず鉄価格も高騰していた中、すぐに潰されたわけではなかったのは、撫順電鉄として運休は苦渋の選択で、機会があればいずれ復活させたいという思いの表れだったのかも知れません。



 とはいえ最近では、経済発展に伴うある程度の社会的成熟もあるためか、近代産業観光という観点から撫順炭礦の遺産にも注目が集まり、西露天礦を望む展望台は連日大賑わい。国鉄と撫順電鉄が接する大官屯駅を拠点とした観光電車を運行する計画(勿論、ジテ改造車も復活の目玉商品として熱く議論……中国人はウリナラと異なり、何でもかんでも「日帝残滓」として消し去ろうとするのではなく、日本の遺物にも新たな意味を盛り込んで活用することに長けています)や、市街中心部へ延伸する新路線の計画も少しずつ盛り上がっていたのだとか……。撫順は他にも、宣統帝溥儀をはじめとする満洲国関係者が投獄されていた刑務所や、「無神論の国家における神」たる雷鋒(1960年代前半に超模範的な若き共産主義戦士として大々的に持ち上げられ [毛主席最高指示……雷鋒同志に学べ]、撫順市人民代表大会議員と軍人を兼務していたものの、運転していたトラックに倒木が当たって死亡)の巨大な記念館もありますので、マニアックな観光をする分にはとても楽しいところではあります (笑)。
 しかしそんな矢先、この夏の中国を襲っている度重なる豪雨の結果、西露天礦周辺の地盤が超大規模崩落を起こし、礦務局駅~車庫駅間の電鉄本線は完全に流失、他にもあちこちで電鉄の路盤崩壊や冠水が起きて不通が続いているだけでなく、大崩落の危機は車庫そのものにも迫っているのだとか……。ネットに出回っている崩落現場の空撮を見ますと、その規模は半端なものではなく、既に資源が枯渇した西露天礦のために今さら本線を再建しようとは誰も思わないほどのものです……。というわけで、車庫に眠る電車については、陸送による緊急移動の措置がとられない限り、今後いつでも土砂に飲み込まれてしまう運命にあるようです。
 うーむ、満鉄と満洲国は71年前に歴史の中へと去り、今や日中関係そのものも中共御乱心で破綻しつつある中、日中関係史の遺産として引き継がれて来た撫順電鉄の電車も永遠に過去のものになる可能性が高いとは……諸行無常というものですな。私はといえば、訪問時にジテ改造車が運用に入っていなかったことを嘆きつつ、自分でシコシコとでっち上げた撫順風電車N模型(ジテ風YZ31風)を机上で眺め回すことで、今から10年前に撫順電鉄を楽しんだ思い出に浸りたいと思います。(撫順ジテ電車そのものを正確に再現した金属キットが銘わぁくすから出たそうですが、半田鏝の使い方知らない……^_^;)。
 なお、大崩落が起こる直前、地元の鉄ヲタが礦務局駅から線路内を歩いて車庫に向かい、旧ジテである101・104編成を含む放置中の車両と戯れたというbilibili動画 (中国のニコ動みたいなもの) がありました。状態は、辛うじて復活できるか朽ち果てるかの瀬戸際でしょうか……。

祝『中国鉄道時刻表』島秀雄賞受賞

2016-08-09 00:11:00 | 中国の鉄道


 余りにも混沌を極めた記載になってしまった中国国鉄の時刻表を日本式に明快化した『中国鉄道時刻表』、当ブログでも第一号発刊から注目してきましたが、このたび鉄道友の会の「島秀雄記念優秀著作賞・特別部門賞」を受賞したとか。私自身はいろいろ何だかんだで中国はご無沙汰となって久しいですが、ネットがなかった時代に中国で散々バックパッカー乗り鉄をして以来 (※)、中国国鉄そのものには興味を抱き続けている者として、陰ながら今回のご受賞をお祝いし、今後の継続を祈念したく存じます。
(※……非空調緑皮硬座上等! 押しくらまんじゅう無座どんと来い! 泣く子も黙る合い言葉は「没有!(ねーよボケェェェ!)」「排隊!(並べやゴルアァァァッ!)」「不要擠!(押すんじゃねぇぇ!)」 @_@; ……昔は若かった)


中国国鉄2016年6月時刻表を眺める

2016-07-28 12:00:00 | 中国の鉄道


 中国国鉄では去る5月、だいたい年に一度のダイヤ大改正が実施され、その全貌を収めた時刻表 (中国鉄道出版社刊) が去る6月に発行されました。しかし最近の私はすっかり中国とはご無沙汰で、先月ハノイで4年ぶりにCNR客車を眺めた (しかも前回もハノイ ^^;) という体たらくですので、この時刻表をようやく今週に入って神保町の中国書専門店にてゲットした次第です。
 そこで早速、帰宅時の半蔵門~田都車内でパラパラめくってみたところ、とにかく高速鉄道網で傾きかけた経済を何が何でももたせてやる!という政策のもと、高速列車 (G字頭)・城際動車 (C字頭)・動車 (D字頭) がさらに激増しており、もうさっぱりワケが分かりません (笑)。北朝鮮国境の丹東や延辺にも高速鉄道網が延びており、需要あるのかよ……とも思いますが、採算がとれるかどうかはさておき (北京~上海間の京滬高速鉄道が黒字化したのは、所謂超ゴールデンルートである以上当然でしょう)、それなりに客はいるのは確かなのでしょう。そもそも高速鉄道にしても他の物価と比べて安いですし (※)、中国の場合は僅かでも雨が降ればヒコーキが超ガタガタになり、空港で8~9時間待ちなどという終わってる事態もザラですので、最初から10~12時間かかっても比較的正確なCNRが選択されるという傾向があるように思われます。というわけで、パクリ問題やら何やらいろいろありますが、もうしばらくは高速鉄道網が爆増するという珍現象が続くことでしょう。
 (※……中国はもとよりアジア諸国から日本に来た人々が一律にビビッて参ってしまうのは、日本では他の物価と比べて公共交通運賃がクソ高い点です。そういえば、最近の日本の若者が他国と比べて余り旅行しないといわれるのも、周遊券の消滅や18きっぷの使えなさ度合いの著しい上昇、すなわち乗換ばっかりだったり、ムーンライト指定券をゲット出来なかったりといった要因による安い移動手段の喪失という問題が大きいでしょう。若者が旅行しない理由を「イマドキの若い者はヤル気がない」と切って捨てる爺婆がいるとしたら、そいつらが「失われた20年」の間に若者を搾取して無策なままイイ思いをしてきた張本人であると断言します)。



 しかし、中国に関する頭の中のイメージが20世紀の社会主義計画経済臭い世界で止まっている私にとって、動車がどうしたという話は割とどうでも良いですね……。むしろ減る一方の鈍行列車や非空調列車がどの程度踏みとどまっているのかという点が最大の関心事ですし、あるいはどのようにマニアックな区間を走る列車が設定されているかという点にも興味があります。
 この点、最も脳内がクラクラしたのは、まさに「この世の果て」への帰らざる旅に出るかのような列車の出現です♪ 北京南~上海虹橋間の「G1」(差し詰め「のぞみ1号」のような列車)を皮切りに、110頁にわたって全ての列車の一覧表が延々と続く中、その末尾に来る7583レがそれ! 青海省の西寧から、青海省西部の馬海まで、青蔵線(青海チベット線)と敦格線(敦煌ゴルムド線)部分開業区間を走るこの列車は、現時点では毎週1本のみの慣らし運転兼駅員交替用列車として運転されているようですが (上りの西寧行きが載っていませんが、運転されていることは間違いないはず)、そもそも敦煌~ゴルムドというルート自体、所謂シルクロードとチベットを結んで旅行しようという物好きなバックパッカーを除けば殆ど知られていないルートであり、途中駅の大柴旦(大ツァイダム)や魚卡(ユィカー)といったところは、本当に寂れ果てた西部劇の街のようなところです……。え?何でそんなことを知っているのかって?……いや~昔、非鉄な大学生だった頃、二度も貧乏パッカーとして敦煌~ゴルムド間のバス (約520kmを20時間くらいかけて走る) に乗ったので、このあたりの岩石砂漠尽くしな景色は良く覚えているのです (乗っていたバスが砂嵐に巻かれて死にかけ、遺書を書き始めたら辛うじて嵐が止んだという経験も……笑)。
 こんな最高に荒涼としたところに鉄道を敷こうということは、新疆とチベットを結ぶという軍事目的以外の何物でもなく、およそ採算などは度外視なのでしょう。そういえばこのへん (海西モンゴル族自治州) は、日本にも照準を合わせているであろう中・長距離弾道ミサイルの基地がいっぱいあるはずで、以前青蔵線の主要駅である徳令哈 (デリンハ) が近づくと,列車員のネーチャンがしつこくカーテンを閉めに来て「早く寝ろ」と急かされたのを覚えています (笑)。というわけで、そしてそのうち、あくまで軍事第一で、馬海~敦煌間と、馬海~ホータン間が開通するに違いありません……。まぁ当時も、軍事基地が直接見えないところを通る道路を、外国人が旅行証申請のうえ (切符を買う窓口で見せろといわれるだけでしたので、バスターミナルから出て来たバスをつかまえれば許可証なしでもOKでした。笑) 路線バスに乗って移動することは出来ましたので、今かりにパッカー外国人の乗車を認めるとしたら、それこそシルクロード周遊に便利な列車・区間になるでしょうが、2008・2009年以降の政情不安により、もうこの一帯は外国人がのんびりと旅行できる場所ではなくなったように思います (要するに公安がやかましくなった)。
 というわけで、馬海行きを運行する青蔵鉄路公司つながりで、今から10年前、開業直後のラサ駅にて撮影した東風8BとNJ2形の3重連の未アップ画像を……。NJ2はダークグリーンになって久しいですし、東風8Bなんて未だに青蔵線の標高5000m区間を走ってるのか?と思うにつけ、何でも貴重な記録になって行くという典型例でしょうか。今やこの駅も独立運動対策などで安易に撮り鉄できないでしょうし。

 それはさておき、時刻表をパラパラめくっていて見つけた、「こんな新設列車、誰が全区間乗るんねん……」という列車をピックアップ (笑)。
 (1) 佳木斯(ジャムス)~成都 K545~548。
 (2) 海拉爾(ハイラル)~成都 K995~998。
 (3) 斉斉哈爾(チチハル)~ウルムチ南 K1081~K1084。
 ……何故か東北がらみで濃いぃ列車が増えつつあるような気が。特に (3) などは67時間半以上を要し、CNR最長所要時間列車となりましたし、歴史にもしもがあり得るとすれば、満洲国~中華民国~東トルキスタン共和国間の三国国際列車ではないですか。(→元々長春~ウルムチ南間の特快もあるものの、もっと距離が延びた新列車出現。……こんなこと書くと「糞青(=憤怒青年)」からの猛烈なハッカー攻撃が来て、このブログがモロに消滅するかも w)