地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

鹿児島熊本鉄バス録 (3) 熊本電鉄6000青黄

2015-02-17 00:00:00 | 地方民鉄 (西日本)


 先日の鹿児島出張ついで熊本電鉄訪問において、イキナリやって来たのは孤高の200形でありましたが、フツーは十中八九以上の確率で都営三田線6000系がやって来ます。思うに、熊本電鉄は御代志~菊池間を廃止して以来決して長い路線とは言えず、しかも藤崎宮前はイマイチ市内中心部(辛島町界隈)から離れており、立地面で決して有利でないという状況があり、しかも並行道路が非常に立派な片側2車線路で (ロードサイド型店舗が激しく発達……)、熊本電鉄自身も熊本駅と菊池温泉を直通させるバスを30分間隔で走らせ……どう考えても鉄道存続には微妙な環境であるにもかかわらず、こんな大型車を朝方15分間隔で運行しているというのはある意味驚きであります。残存区間の沿線人口がそれなりに多く、鉄道無しでは道路が今よりも俄然渋滞する……という、えちぜん鉄道の存立理由と同じような事情があるのだろうかと、ヨソ者なりにふと思った次第です。



 そんな都営あらため熊電6000系、お世辞にも従来は決して人気がある車種ではなかったと認識しております。個人的には、鉄道趣味の道に復活した14~15年ほど前のちょうどその前後に、大量廃車となった都営6000系の一部が熊本に引き取られ (編成組成の自由度が抜群に高いのが決め手なのでしょうなぁ~→同じ理由でジャカルタでもこれまで重宝)、東急カエル5000系や静鉄の譲受車が一気に廃車になって行き、まだデジカメを所持していなかった2003年に初めて熊本を訪問したときには支線を除いてこれしか来なかった (当時はカラバリに乏しかったと記憶) のを目撃して、内心激しく「つまんねー!」と叫んだものです。三田線の電車は三田線のトンネル内で轟音を立てていれば良いのであり (6000系非冷房時代の夏期窓全開は好きでした ^^;)、こんなローカル私鉄というガラではないだろう……と。
 しかしその後、秩父、さらにジャカルタ (とゆーか、とくにジャカルタ) にて都営6000系のアツ過ぎる活躍を激写するにつれて、人気薄で不運なギンギラコルゲート電車にも情が移ろうというものです。とりわけ、いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログにて、ジャカルタの都営6000全車離脱!!という衝撃的ニュース (いつかはそういう日が来るだろうと分かっていましたが、205系増殖のペースが余りにも速い分だけ衝撃もデカい……) を目にして以来、嗚呼都営6000……!という思慕が強烈になった今日この頃です (→移り気だなぁ~ ^_^;)。
 というわけで、つい最近まずは熊本でノソノソと併用軌道を走る都営6000に驚喜し、さらにその直後ヨコハマ模型フェスタにて鉄コレ化決定の報せを目撃し……。これは何かの神のお告げのようなものでしょう。さぁ、熊電6000カラバリ、ドンと来いやぁ~! (爆)


鹿児島熊本鉄バス録 (2) 熊本電鉄200形

2015-02-09 00:00:00 | 地方民鉄 (西日本)


 間もなく東急青ガエル残党のうち1両が銀座線01系と入れ替わる熊本電鉄。しかし周知の通りここには、東急ヲタ垂涎の青ガエルが棲息するのみならず、今やジャカルタでも全車運用離脱となってしまった都営6000系、そして3扉化されて独特の存在感を漂わせる南海角ズームも存在しており、個人的には何がやって来ても楽しいところです。しかし世間一般のヲタにおける都営6000系の人気はお世辞にもあるとは言えず、むしろ真夏でもなければ南海角ズーム改め200形は予備にまわってしまい滅多に走らないことを憾む向きが多いのかも知れません。
 ところがどっこい!今回出張先の鹿児島からとんぼ返りで熊本を訪れてみますと……何と!200形が運用に入っているではありませんか! 運が良すぎる……。



 しかも、撮影に至るまでの過程がドラマチック過ぎ♪ 今回の鹿児島出張のついで熊本訪問にあたっては、なるべく熊本滞在時間を確保し、かつ熊本電鉄の朝ラッシュ15分間隔アワーのうちに4運用すべてを黒髪町南側の併用軌道区間で撮りたいと思いまして、鹿児島中央を朝一番に出る「さくら」に乗車したのですが、出張にあたって手配された宿は一種のアーバンリゾート的なところで、桜島をドドーンと望むことが出来たのは良かったものの、中央駅までとにかく遠い……。暗くてメチャ寒い中をトボトボ30分歩いて、鹿児島市内中心部の空間的な広さを初訪問のくせにほぼ体感するほどでありました (タクシー予約しとけよ……笑)。そして○戸岡新幹線についに観念して乗り込み (早朝につきガラガラ)、ようやく冷え切った体を温めつつ駅弁をパクついているうちに熊本到着~。複雑な路線バス網を事前に調べても余り飲み込めていないまま、やって来た熊本電鉄バスに取りあえず「藤崎宮前に行くか?」と訊いたうえで乗車し、途中交通センターの余りの巨大さに仰天しつつ、ようやく藤崎宮前バス停で下車すると、あらら、電車の駅とは結構離れた場所にバス停があるのですなぁ……。というわけで、方向感覚のみを頼りに何とか線路を見つけようとしたところ、突如遠くの方で「キンコキンコ♪」と電鐘式警報機が鳴り出し、踏切を横切って南へ向かって行ったのは200形!! そこで「ぬぉぉ~っ!これは速攻で併用軌道区間にたどり着かなければならない!」と思いまして、裏道を北へ北へとひたすらダッシュ! ようやく目指す併用軌道にたどり着いたところ、御代志行の200形がのっそりと現れ、「をを……このやや小粒でギッシリ感漂う電車が併用軌道を走るシーンを見たかったのだ……。しかも6000系の代走でなければ来ない。そんな電車を一発目で撮ってしまったオレって一体……ラッキー過ぎだろ」という感慨にしばし浸ったのでありました (爆)。
 しかし、さすが予備車的存在ということで、日中運用に入るわけではないらしく、御代志まで一往復して再び藤崎宮前から戻って来ると北熊本行……。乗ることは叶いませんでした (まぁ南海で走ってるから良いか ^^;)。
 こんな感じで今一つマイナーな存在感の200形を激写出来て大満足なのですが、そこでふと思うのは……こんな余り走らない電車すら鉄コレとして発売されたということで、鉄コレというものが如何にマニアックか、ということであります (^^;)。

山陽の国鉄型めぐり (3) 水島臨海のキハ20

2008-07-12 07:17:58 | 地方民鉄 (西日本)


 朝の宇野線での103系撮影を満喫したあとは、岡山8:55発の糸崎行 (1729M) に乗って103系の高速走行を楽しみつつ、用務先の広島へと向かう計画だったのですが、広島での用務は夕方から夜にかけてでしたので、もっとチンタラと寄り道することも可能でありました (浮世離れした酔狂な出張でスミマセン ^^:)。そこで、「どうせ広島では明日を中心にじゅうぶん撮り鉄する時間はある。むしろ折角の機会なので、未訪問な路線を今後の参考も兼ねて少しずつ撮ってみよう」……という浮気心を起こしまして (笑)、1本前の431M (115系6連) に乗って倉敷へ。いやー、湘南色にボックスシートの115系、久しぶりに乗りました……(*^^*)。
 倉敷と申しますと、世間一般的には繊維産業の街にして、昔ながらの水の風景の街。美観地区という如何にもなネーミングがついた一画も、いつかはのんびりと歩いてみたいもの。しかーし! 倉敷初下車の今回はゴリゴリの撮り鉄モードにつき、駅前から真っ直ぐ続く表通りには目もくれず (^^;)、駅右側の少々ごちゃっとした空間へ。するとありました! 水島臨海鉄道の倉敷市駅! たしか平日の朝は9時か10時頃までキハ20の運用があるはずだ……というわけで、究極の行き当たりばったりながら (汗) その勇姿をちょちょっと記録しようという算段です (^^;



 とりあえず倉敷市駅で客待ちをしていたのは、水島臨海名物の長~い軽快DC・MRT300形。これに乗って適当なところで当たりをつけて下車し、キハ20を待ち構える……ということでも良かったのですが、とにかく急な思いつきでの初訪問ですので、どの駅の周辺が良さそうか皆目見当もつかず、あたふたして決心がつかない間にキハ20と交換してしまってはまずいわけで……(滝汗)。しかもこの日は梅雨時であるにもかかわらず何故かドピーカンにつき (@o@)、撮影場所の選択も大いに制約されてしまいます。
 そこで「う~ん困った。後で撮りたいスポットとの時間的な兼ね合いを考えれば、水島や三菱自工前まで乗り通すのも得策ではない。手近なところで撮れないものか」と思い、さらに線路沿いをウロウロしてみますと……ををっ、これは何とも絶妙なことに、線路の南側に道路が並行しており、しかも完璧な順光!! 
 というわけで待つことしばし……国鉄色と水島色とのコンビネーションが、う~ん素晴らしいです!! (*^^*) しかも倉敷方に連結されているキハ203は、2002年の赤穂線全通40周年イベントにあたってJRWに貸し出され、キハ58と組んで播州赤穂まで往復したこともあるという名役者でもあります (RP誌・03年1月号による)。盛岡のキハ52が消え、米坂線も風前の灯火となっている今、ひたちなか・大糸北線ともども国鉄色キハ20系列の貴重な生き残りとして今後いっそう注目が集まるのかも知れません (そういえば、ひたちなかのキハ205は水島臨海を経ていましたっけ)。
 なお、水島臨海のキハ200は1運用のみで、普段は国鉄色2両または水臨色2両で編成を組むことが多いようですので、混色になるのは割と珍しいのかも知れません (マジで偶然かも……^o^;)。水臨色もなかなか良い感じですので、今度は水島臨海色をバリバリの順光で撮りたいなぁ……と思っています (^^
 あと、全くどうでも良い妄想ですが……京葉臨海と神奈臨にもこんな旅客列車があればなぁ……と (^^;)。また、水臨を訪れる前に寄り道した大元駅からかつて岡山臨港鉄道が枝分かれしており (高架化と区画整理により全く痕跡はありません)、シブい旧型DCが活躍していたことを想うにつけ、「ああ、もっと早く生まれていれば……」のひとことです (こればっかし。汗)。

さよなら西鉄宮地岳線 (下) 廃止区間を想う

2007-03-31 11:19:45 | 地方民鉄 (西日本)


 福岡都市圏の北部で、往年の西鉄電車の主力たちがのんびりと通勤通学輸送にいそしんできた宮地岳線。部分廃止とともに、宮地岳線という呼び慣れた路線名も今日限りとなってしまいました (T_T)。すでに311Fが胴回りに部分廃止さよならラッピングをまとい、お別れムードを盛り上げているようですが、今日はさぞかし多くの人々が別れを惜しんでいるのでしょうか。もともと本数が多く、輸送力は十分にあること、そして関東や関西からは遠く離れていることから、恐らく大きな混乱もなく無事最終列車(日付が変わったあと、津屋崎から去るための臨時回送として運転される列車を客扱いするとは!)も走ることでしょうが、とにかく有終の美を飾って欲しいものです……。
 というわけで、恐らく部分廃止と運命をともにするであろう300形と、満開の桜の組み合わせ (@古賀) をレタッチしてみました。今年の桜は開花が早いといわれながらも、ここしばらくの寒さで足踏み気味。果たして今ごろこの桜は見事に咲き誇りながら、釣掛式電車の花道を飾っているのでしょうか……?



 いっぽうこちらは313形@津屋崎です。日中のただでさえ空いている列車は、福間・宮地岳で少しずつ客を降ろし、津屋崎に着く頃には2両で5人程度しか乗っていないという有様……。そんな電車がすべり込んだ津屋崎も、海に近いことはそれほど感じられない平々凡々な終着駅で、客がそれぞれに散ったあとは、午後の日だまりの中で駅舎と電車が手持ちぶさたにまどろんでいた……そんな印象があります。
 一応、訪れた04年春の時点では廃止反対の看板もあり、たしかに昼間の鶴見線末端部のような客の入りでは大丈夫かなぁ……という気もしたのですが、貝塚口では客も多く、津屋崎まで頻繁運転で頑張っているのだから、まあ大丈夫だろう……地下鉄直通に動き出せばきっと生気を吹き返すに違いない、と思いつつ津屋崎を後にしたのでした。しかし、やはり客が少ない区間は生き残ることが出来ず、津屋崎のこざっぱりとし過ぎた終着駅の風情も永遠に見られなくなるとは……(-_-)。
 何はともあれ、結局個人的な宮地岳線との付き合いは福岡出張の際の楽しみというだけに過ぎませんでしたが、電車が2or3両でゴトゴトと走る光景は、小学生の頃から一貫してローカル線の電車を中心に趣味活動をしてきた私にとっては忘れられないものです。戦後60年近く走り続けた古豪たちをねぎらい、そして役目を終えて消え行く路線の無念を思いつつ……長年にわたりご苦労さまでした。

さよなら西鉄宮地岳線 (上) 香椎花園前

2007-03-28 00:03:50 | 地方民鉄 (西日本)


 さよならに関する話題が何かと多いのが鉄道趣味界の3月ですが、西鉄宮地岳線の西鉄新宮〜津屋崎間も残すところ今日を含めてあと4日になってしまいました (T_T)。そこで、ささやかながら以前撮った画像をレタッチすることで惜別の意を表してみたいと思います。あくまで部分廃止ですので、全線廃止を思わせるようなタイトルはいささか難ありかも知れませんが、部分廃止とともに「宮地岳線」という名称や一部の車両・設備も消える……ということでご了承ください。
 明らかにJR鹿児島線と並行してしまい、福岡の中心部へのアクセス面で勝ち目がない廃止区間と比べ、西鉄新宮以南の存続区間は住宅の密集度が高く、しかもJR鹿児島線からやや離れた住宅街を走りますので、貝塚線と名前を改めたのちは当面安泰なのだろうと思います。でもその陰で、釣掛300形とともに消え行く存在が……。それが、交換駅としての香椎花園前駅です。



 香椎花園前駅は地元に密着した駅ですので、駅そのものが廃止になるわけではありません (^^;)。ですが、貝塚線発足・新ダイヤに関連したプレスリリースでは、運転間隔の変更によりこの駅の交換設備を廃止するという記述が目を引きました。住宅街の中に静かにたたずむ相対式ホームは、狭い用地で場所を確保したためか、上下ホームの位置が構内踏切を挟んでズレた位置にあり、そんな特徴ある光景がお気に入りだっただけでなく、駅撮りをするにも好都合だったのですが……。
 ただ、交換設備廃止も恐らく、存続区間の他の駅で着々と進められている6両化対応予備工事の一環なのでしょう。この駅は交換設備を維持したまま工事をするスペースがないことと、香椎の高架・島式交換駅化が完成して代替できるようになったことが、その大きな要因なのかも知れません (隣の唐の原あたりは用地に余裕がありそうですので、6両化対応工事もそれほど難なくできるのでしょう。では和白は?? ^^;)。
 何はともあれ、新しい都市型鉄道へと脱皮する過程で、古き良き光景も失われてゆくのは致し方ないことなのでしょう。でもやはりどこか寂しさがありますね……。取りあえずは、何も知らずに訪れたときにこうして記録にとどめておいたことを喜ぶべきなのでしょうか。