地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

名鉄3300系の新旧色離合を撮る

2016-11-14 00:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 先月発売のRP誌掲載・名鉄車両事情をさらに細かく読んでみますと、名鉄は2009年度に5000系を24両用意したのを最後に、2014年度までしばらく瀬戸線4000系の新造に集中していたものの、何といつの間にか瀬戸線が4000系でほぼ統一されてしまい (+当面喜多山駅周辺高架化工事に伴う所要編成増で3300系1編成も)、昨年度からようやく久しぶりに本線系の車両置き換えが再開されたのだとか。何とも極端な話ですが……それだけ瀬戸線がドル箱で、栄直結の住宅街として開発が未だ進行中ということなのでしょう。ともあれ、ようやく昨年度から汎用車の新造を再開したといっても、2008年度までと同じ3150/3300系であり、全くモデルチェンジした新車ではないというのは些かヘンな話ですが、それだけ3150/3300系の完成度が高いのかも知れません。



 そんな3300系、去る7月に某有名撮影地駅にて構えていたところ、何と目の前で離合……。島式ホームの先端が余り広くないため、結構コワいと申しますか、余りにもダイナミックな一瞬であったのですが、本数が決して多いとは言えない3300系の新旧カラーが目の前でブッチギリの離合を繰り広げる光景は、これはこれで記録として余りにも良すぎるものがあります (笑)。
 しかしまぁ、こうして並べてみますと、イメチェン車が如何に名鉄っぽく、登場時姿が如何に味気なく名鉄っぽくないか、激しく痛感せずにはいられません……(^^;)。特急「北アルプス」を除いて全車両が赤く、特急専用編成のみ白帯が入っていた1980年代前半に初めて名鉄を訪れた私にとって、やはり名鉄と言えばスカーレット! 京急の最新1600/1800番台がラッピングで赤白ツートンになったのもそうですが、やはり名鉄とあらばスカーレットで攻めてきて欲しいものです☆ 

名鉄3150系のイメチェン帯車を撮る

2016-11-10 00:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 先月発売されたRP誌の最新号には、最近の名鉄の車両動向が中の方によって詳しく解説されていますが、パノラマカーや瀬戸線の6650・6750系といった釣掛が全廃となって以来名鉄は御無沙汰気味な私にとって、かなり参考になりました。なるほど……7500系の一部の機器を流用した1030・1230・1850系が続々と廃車になっているのは、老朽化ということを考えればやむを得ないものがありますが、そういえば事故で生き残った車両をスカーレット一色に塗って主に本線普通用とされてきた1380系も、7500系更新車グループとしていつの間にか廃車になってしまったのですなぁ……(事情に疎すぎ)。そして、廃車の波は6000系にも及び、瀬戸線や本線で大量に走っているとばかり思っていた6000系5次車タイプの4連から優先的に廃車になっているというのが驚きです……。下回りが5000/5200系の流用品ではるかに古い5300系の残存編成をさておいて6000系が大量廃車になるとは……。



 その代わりに名鉄は、特急用として2200系を約12年にわたり造り続け、汎用車としては2連の3150系、4連の3300系を増備しているわけですが、正直申しまして3150系と3300系はどうも印象が弱くつまらん電車だと思っておりました。ほとんど近似のボディを持ちながら、1000系全車特急車の下回りを流用して分散クーラーを搭載した新5000系については、正面帯も太くてカッコ良い♪と思っていたのですが……。というわけで、個人的に3150/3300系と5000系の評価を分けるポイントになっていたのは、5000系に息づく1000系魂も去ることながら、インパクトに欠ける正面デザインだったのでありました (手前勝手な……^^;)。
 ところが何と、去る7月に久しぶりにちょこっと名鉄で撮り鉄したところ、3150系が名鉄スカーレットを強く押し出したデザインにイメチェンしており、小粒でピリリと辛い2連がなかなか良い!ということで激写してしまったのでした♪ その後しばらく、多忙やらインドネシア遠征やらもあって完全に放置してしまったのですが、先月発売のRP誌名鉄記事をようやく一昨日読みましたので (^^;)、レタッチしてみた次第です。他にもいろいろ撮影し、「久しぶりに名鉄に来てみると、なかなかオモロイではないか……」と思いましたので、続きを追々アップしたく存じます。多分……(^^;

名鉄三河線のキハ30 (2004年撮影)

2014-03-11 18:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 本日は東日本大震災三周年。記憶の風化が云々される昨今ですが、あの日帰宅難民となって都心から延々30km以上歩いた私の脳裏では未だ生々しい出来事であり、決して風化しておりません。より大きな被害に遭われた皆様には、改めて御冥福をお祈り申し上げ、御見舞い申し上げますとともに、引き続き長い眼で復興の曲折を見届けて行きたいと思っております。

 さて現在、約1年ぶりのヤンゴン・バンコク訪問を敢行中ですが、記事を作成するのはまだまだこれからですので、出発前に予め仕込んでおいたネタを自動更新で少々……名鉄キハ30です!
 ヤンゴン界隈で現在活躍する日本中古レールバス・軽快DCは、ミャンマー国内他地域に配属された車両との入れ替わりが結構激しいため (?)、日本から渡った最初期の車両の象徴である名鉄の車両を拝むことは昨年叶わず、今年もムリか……(当記事作成時の予想 ^^;;)。そこで名鉄については、今はなき三河線キハ30の画像を貼ってお茶を濁そうという次第です (笑)。



 今回の画像は、デジタル一眼を購入してまださほど時間が経っていない2004年早春の撮影ですが、未だこのブログを始めていない時点でもありますので、ブログ内キーワード検索をしても全くひっかかるはずもなく、長らくその存在を忘れてしまっておりました (滝汗)。ひょんなことで思い出すこともあるわけでして……(笑)。
 しかしまぁ、八百津線に限らず三河線でもこうして、末端閑散区間用としてレールバス・軽快気動車が運用されていた時代があったのですなぁ……(遠い目)。そんな三河線の気動車運用は、海線 (碧南~吉良吉田)・山線 (猿投~西中金) ともども猿投が担当していましたが、とくに海線運用の車両入れ替えのため、毎日架線下を単行の営業運転で走る列車が設定されていたのも懐かしいですね。というわけで、1枚目の知立行はそのまま列車番号と行先幕を変えて猿投行に。私もこれに乗り込んで三河線を北上したのですが、普段割と空いている日中の三河線といえども、さすがに軽快DCの単行では結構混み混みになったのを思い出します。そして、鶴舞線から来た名古屋市交3000系を横目に見ながら、企業城下町の一大景観が展開する豊田市前後の高架線を単行で走ることの激しいミスマッチといったら……(滝汗)。
 猿投に到着後は、廃止まであと1ヶ月と迫っていた西中金までの末端区間にて最初で最後の往復を味わったのですが、今さっき走ってきた都会の高架線は一体何だったのか……としか思えないほどの、枯れ果てた山里を深く分け入って行く超ローカル線ぶりに激しく驚愕……。足助への延長を果たせず、西中金などという如何にも中途半端な地点で途切れているレールにて客待ちをしているキハ30の姿に、名鉄では余りにも短命に終わるという悲哀を感じずにはいられないのでした (-_-)。

濃尾三州鉄遊覧 (20) 名鉄広見線末端

2013-04-07 06:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 いろいろ新ネタを撮り貯めている中、放っておくと約半年前とか約1年前の記録となってしまいかねない画像も結構あるのですが、私自身の備忘録として一通りアップを完結させたい……ということで、1年前の4月下旬に周遊した中京圏での見聞録の続きです (滝汗)。
 さて、全国各地には単一の路線であっても起点と終点では何もかも雰囲気が異なる路線がありますが、名鉄広見線はその中の代表的なものの一つでしょう。ベッドタウンの足として4両編成が15分間隔で走るかと思えば、途中の新可児でスイッチバックした後の末端区間は青息吐息のローカル線、しかも近年は新可児駅構内に中間改札まで出現し、完全に独立したワンマン運転系統として封じ込められているという……。勿論、そんな路線の存在は、ここ10数年来クルマ社会に抗えず末端ローカル線の整理を進めて来た名鉄にとって頭が痛いところでしょう。



 とはいえ、単に遠来のファンの視点から見ますと、昭和の名鉄の雰囲気がそっくりそのまま残された駅・線路と、いつの間にか最古参車両となってしまった6000系初期車(パノ7000系近似窓♪)が総合的に醸し出す侘び寂びな雰囲気ゆえ、まさに昭和50~60年代の名鉄へとタイムマシンに乗って旅をしているかのような気分になります (*^^*)。うーむ、かつて半鋼製AL車を思慕し続けた1980年代、6000系が(ある意味当然のように)現れようものなら「○ソ6000要らねぇ!」と内心悪態をついたものですが (ガラが悪過ぎる地域で育ったもので失礼 ^^;)、今やそんな6000系の、不思議と重厚さと甲高さが入り交じった直流モーター音を愛でながら、ガラ空きの車内や窓外の田園風景を眺めているだけで心安らぐとは……我ながらつくづくヲッサンになってしまったものです。
 そして、こんな従来当たり前過ぎた光景も、実は名鉄の辛うじての経営判断によって成り立っていることを思うにつけ、何度も通ってやりたいものだと思うのですが、遠来の一個人の努力でどうなるわけでも無し。かつては大名古屋ステーションからもSR車の直通列車が到達した御嵩駅が、実は本当に零細な1面1線の終着駅に過ぎないことを目の当たりにするにつけ、広見線末端区間の今後に改めて一抹の不安を感じつつ、新可児へと戻ったのでした……。

名鉄瀬戸線6600系と昔の喜多山

2013-03-04 00:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 昨年春の中京圏周遊記がまだまだ終わらないところですが、少々東濃エリアから名古屋のど真ん中に視線を移しまして、久しぶりに名鉄瀬戸線の話題を。名鉄瀬戸線といえば、名鉄の他の路線とは完全に隔絶され、とくに1978年の1500V昇圧及び栄町乗り入れ以後は、本線系からの転属組に加えて瀬戸線に特化した車両が投入されていますが、そんな瀬戸線1500V時代オリジナル車両の元祖である6600系が、昨日のさよなら運転を以て完全に引退しました……(T_T)。新時代の瀬戸線標準車両である4000系は、瀬戸線線用としては勿体ないほどの外観と内装で悪くない車両だと思いますが、既に引退した釣掛6750系ともども、瀬戸線らしい個性 (ってどんなだ?) を放ち続けて来た6600系が消え、さらに本線からの転属組である6000系 (5次車~) も行く行くは消えるというのは寂しいことですね……。



 とくに個人的に6600系といえば……正面こそフツーに6000系であるもの、やけにデカいスカートが暑苦しく、側面も小振りな2段窓にドア窓というあたりが特にダサく、とにかくもっさりと垢抜けない印象であるが故に、逆に芋っぽくてカワイイ奴……という印象を抱いて参りました (爆)。しかもそんなダサい電車に、パノ7000系の忘れ形見であるゴツいクーラーが載っかっているというのですから、釣掛6750と並んで「来れば超ウレシイ電車」であったことは言うまでもありません (*^^*)。しかし、そんな6600系も新造から35年ということであれば、廃車も致し方ないのかも知れません。そして6000系すら、今や来れば「うをっ!シブい!」と思うようになったとは……。時の流れは知らず知らずのうちであり、余りにも無情……。
 というわけで、喜多山車庫に憩う6600系と6000系を9年前に撮っておいたのも、今や限りなく貴重すぎるひとこまです。このときは「6000系ではなく釣掛6750が留置されていれば良かったのに」と思ったものですが (汗)。何はともあれ、6600系の長年の活躍どうもお疲れさまでした……。