宮崎信行の「新・夕刊フジ」

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

2016年、ありがとうございました。

2016年12月31日 15時39分27秒 | その他

[写真]宮崎信行(左)と岡田克也民主党代表(当時、右)、2016年3月、旧民主党本部撮影・提供の下に掲載の写真を、宮崎信行がトリミング。

 とくだんなにもなければ、これが、平成28年2016年最後のエントリー記事になります。

 「18歳19歳に選挙権を与えれば日本は良くなる」という楽観論がはびこりました。第24回参院選。楽観論には根拠が無く、自民党衆参単独過半数時代(1956年から1989年まで)に回帰するという最悪の結果になりました。

 私が唯一絶対にご忠誠をお誓い申し上げる、岡田克也先生が、ネクスト総理・最大野党党首から降りてしまいました。政治は不条理の連続。私も、何事もないかのように受け容れます。

 それに先立つ、3月。民主党が消えました。野党第一党の消滅は、1997年の新進党以来です。前回は野党第一党が入れ替わってしまうという混乱がありました。2016年は、民主党は存続して民進党に改称し引き続き野党第一党。合併のために解党(解散)した維新の党も、その前年に総支部に公平に分割して、本部はすっからかんになって解散しました。新進党の教訓が生かされたもの、と前向きに受け止めたいところです。

 「民主党を解党せず!」それだけでも政権交代可能な二大政党政治の、四半世紀のたたかいの成果があったと自分なりに納得させようと思います。


[画像]民主党解党せずを報じるニュース映像に写りこんだ、左は宮崎信行、右背中は岡田克也民主党代表、国会内、2016年2月23日放送のNHKニュース7を筆者がスクリーンショット、著作権法38条及び同法41条にもとづき掲載。 

 
 上は旧民主党最後の記者会見後の記念撮影で、旧民主党撮影で提供いただいた写真です。

 冒頭の写真は、その中で、岡田克也代表と私の部分をトリミングしたものです。

 私も民主党最後の代表記者会見のラストバッター及び民進党最初の代表記者会見のトップバッターとして意気込みました。政界一寸先は闇。いかんせん、岡田さんは自らネクスト総理を辞めてしまいました。

 怪我の功名となりました。

 私の家族は家業として、(1)工作機械販売事業(2)貸家業(3)貸工場業ーーの3つのセグメント(事業分野)を商っています。このうち、2つのセグメントで、時機によりメーンバンクとの折衝が必要になり私が担いました。建設会社との交渉も経験しました。さらに、税務ご当局様に税務調査をしていただき「更生の必要無し!」とのお墨付きを頂戴しました。今後とも「すべては国家国民のために」「多くなくとも正しく納める」との家訓にもとづき、税務調査に完全にご協力させていただきます。

 9月上旬から今週にいたるまで、こういった仕事に忙殺されました。午前中からお風呂に入り身を清めて判子を取り出すこともしばしばでした。

 家業多忙とはいえ、9月26日から12月17日までの第192回臨時国会は、ほぼパーフェクトにインターネット傍聴することができました。日々スムーズに、ストレスなく、当ブログを更新し続けました。年越し案件が一つありますが春から夏にかけて落ち着きます。

 自民党衆参単独過半数時代は、前回は1956年から1989年までの33年間続きました。今回も33年間続くとすれば、私は75歳、岡田先生は95歳。まだまだ現役でしょう。だから、楽観しています。

 楽観だけで済まない問題もあります。あす付で届くはずの年賀状で、民進党国会議員経験者の自宅に送ったうち3通も「住所不明」で帰ってきました。携帯電話番号を知る人ばかりですから、年明けに連絡します。SNS等で野党である民進党を叩いて溜飲を下げる方は、一人一人にも生活があるという事情も肚に落とした武士の情けをもって、民進党を批判していただきたく。まあそういう輩は有権者の1%に過ぎないことは分かっていますけど。ただ、そういったすべての人のために、私は楽天主義で行こう。

 楽天主義。

 Opptimism とは、「この世界は神が最善のものとして創造したとする説」のことだそうです(小島義郎ら編「英語語義語源辞典」参照)。

 伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)は、日本を絶海の孤島群として創造しました。グローバリゼーションでは、その閉鎖性・排他性は大きな強みです。

 この強みの反動として、生まれた世代による格差が我が国では顕著になるわけです。政権交代可能な二大政党政治の完成が遅れたことで、平成だけで900兆円の国債が発行されましたが、これを解消する荒療治は前進しています。

 絶海の孤島であり、移住がままならない日本における国家の持続可能性。それは言うまでもなく政権交代可能な二大政党政治の完成しかありません。

 27年ぶりに自民党が衆参単独過半数を回復したからこそ、平成28年、2016年は、二大政党元年と言える。それが私の楽天主義。

 来るべき平成29年、2017年。私は厄年を過ぎましたし、家業の全セグメントが元通りの安定体制に戻り、私には経験だけ残るでしょう。

 平成29年、2017年も、岡田克也先生へのご忠誠をお誓い申し上げます


 永田町用語なのでイメージが湧きづらい読者もいるでしょうから、チャートをつくりました。

 

 青線で示したように、仰角が直角90度。このような角度で、私・宮崎信行は岡田克也先生へのご忠誠をお誓い申し上げます。

 すべては政権交代可能な二大政党政治のために!

 今年1年間、ありがとうございました。

 それぞれの場所、それぞれの立場で、どうぞ良いお年をお迎えください!

 平成28年、2016年、大晦日、宮崎信行。 

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