[写真]東大生を描いた夏目漱石の小説「三四郎」のラストに登場する「田端の小川の縁」の現在の様子、宮崎信行撮影。
西日本新聞、毎日新聞などはきょう(2022年2月5日)までに、北橋健治・北九州市長(68)が、来年2023年3月の市長選に立候補せず、4期16年で勇退することを明言したと報じました。
北橋さんは市長退任を持って、衆議院には戻らずに政界から引退することもなきにしもあらずだと思います。
兵庫県出身で東大法学部在学中から、ドイツの社会民主党(SPD)党首から首相になった「ビリー・ブラント」を目標にして、民社党本部職員から北九州に落下傘で飛び込み衆議院議員に当選。岡田克也さんとしては東大法学部同級生で、実父が元代議士でブランクありで立候補した村上誠一郎さんに続き、親が政治家でない北橋さんも衆議院議員になったことに触発され、竹下登元首相からの「お宅の次男は通産官僚をしているのか」との問い合わせをきっかけにした自らの意思で、1990年の総選挙に立候補し当選することにつながりました。この選挙では北橋さんは落選しましたが、1993年からはともに当選2回生として細川・羽田内閣を支えました。その後、菅直人代表から「小沢一郎氏率いる自由党」との「民由合併」の特命事項を与えられるかっこうで、4回生ながら岡田幹事長が誕生した際には、北橋さんが幹事長代理、岡田代表の下では役員室長をつとめました。
しかし、その後、北橋さんは衆議院に議席がありながら北九州市長選に転出を表明。岡田さんは「なぜだ」と衝撃を受けつつ、極めて異例の1000万円以上の政治献金をしたり、本庄知史政策担当秘書(現・衆議院議員)を頻繁に北九州に派遣したりして応援しました。その後、岡田さんは与党議員として、外相、副総理、幹事長のほか、2度目の野党代表をつとめました。
北橋さんの前の市長は、悪名高き「生活保護北九州方式・水際作戦」と称して、福祉事務所ごとに窓口から追い返すノルマを設定。麻生太郎元首相は、選挙区は別ですが、北九州経済界に強い影響力を持ち国土交通省局長を対抗馬に引っ張り出されたこともありますが、「博多一極集中」「工藤会」に耐え、4期16年市長の座を維持しました。経済界からは「北九州市も福岡市並みに補助金を出してほしい」との声もあったようです。
前世期からの北九州市政の一大課題「官営八幡製鉄所の縮小跡地」ですが、「スペースワールド」を経て、再来月から「イオン」の関係上場会社「イオンモール」が商業施設を設けることを今週発表したようです。土地は新日鉄住金が持ち続けるようですが、このプロジェクトの関係で、記者団の市長本人への直接取材回数が今週は増えていたのかもしれません。
もちろん、1000万円献金以降は、「政権交代ある政治をともに目指していたのに、途中から自民党の推薦をもらった」(派遣経験のある元秘書)との同床異夢もあったようですが、民社党本部があった無名の雑居ビル「森ビル」も今や大企業ですし、八幡製鉄所がイオンモールになったのは、「北橋・岡田の同級生の縁だ」と地元の方々が勝手に思っている分には一々訂正の必要もないでしょうから、それなりによくやったというところでしょう。
岡田幹事長・北橋幹事長代理の当時4回生コンビは、民主党の全国会議員から「民由合併」の意向調査をし、賛否拮抗でした。これだけは、今から振り返ると違う答えがあったのかもしれません。
西日本新聞、毎日新聞などはきょう(2022年2月5日)までに、北橋健治・北九州市長(68)が、来年2023年3月の市長選に立候補せず、4期16年で勇退することを明言したと報じました。
北橋さんは市長退任を持って、衆議院には戻らずに政界から引退することもなきにしもあらずだと思います。
兵庫県出身で東大法学部在学中から、ドイツの社会民主党(SPD)党首から首相になった「ビリー・ブラント」を目標にして、民社党本部職員から北九州に落下傘で飛び込み衆議院議員に当選。岡田克也さんとしては東大法学部同級生で、実父が元代議士でブランクありで立候補した村上誠一郎さんに続き、親が政治家でない北橋さんも衆議院議員になったことに触発され、竹下登元首相からの「お宅の次男は通産官僚をしているのか」との問い合わせをきっかけにした自らの意思で、1990年の総選挙に立候補し当選することにつながりました。この選挙では北橋さんは落選しましたが、1993年からはともに当選2回生として細川・羽田内閣を支えました。その後、菅直人代表から「小沢一郎氏率いる自由党」との「民由合併」の特命事項を与えられるかっこうで、4回生ながら岡田幹事長が誕生した際には、北橋さんが幹事長代理、岡田代表の下では役員室長をつとめました。
しかし、その後、北橋さんは衆議院に議席がありながら北九州市長選に転出を表明。岡田さんは「なぜだ」と衝撃を受けつつ、極めて異例の1000万円以上の政治献金をしたり、本庄知史政策担当秘書(現・衆議院議員)を頻繁に北九州に派遣したりして応援しました。その後、岡田さんは与党議員として、外相、副総理、幹事長のほか、2度目の野党代表をつとめました。
北橋さんの前の市長は、悪名高き「生活保護北九州方式・水際作戦」と称して、福祉事務所ごとに窓口から追い返すノルマを設定。麻生太郎元首相は、選挙区は別ですが、北九州経済界に強い影響力を持ち国土交通省局長を対抗馬に引っ張り出されたこともありますが、「博多一極集中」「工藤会」に耐え、4期16年市長の座を維持しました。経済界からは「北九州市も福岡市並みに補助金を出してほしい」との声もあったようです。
前世期からの北九州市政の一大課題「官営八幡製鉄所の縮小跡地」ですが、「スペースワールド」を経て、再来月から「イオン」の関係上場会社「イオンモール」が商業施設を設けることを今週発表したようです。土地は新日鉄住金が持ち続けるようですが、このプロジェクトの関係で、記者団の市長本人への直接取材回数が今週は増えていたのかもしれません。
もちろん、1000万円献金以降は、「政権交代ある政治をともに目指していたのに、途中から自民党の推薦をもらった」(派遣経験のある元秘書)との同床異夢もあったようですが、民社党本部があった無名の雑居ビル「森ビル」も今や大企業ですし、八幡製鉄所がイオンモールになったのは、「北橋・岡田の同級生の縁だ」と地元の方々が勝手に思っている分には一々訂正の必要もないでしょうから、それなりによくやったというところでしょう。
岡田幹事長・北橋幹事長代理の当時4回生コンビは、民主党の全国会議員から「民由合併」の意向調査をし、賛否拮抗でした。これだけは、今から振り返ると違う答えがあったのかもしれません。