時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

理念なき労働改革の挫折

2007年01月17日 | 労働の新次元

    「ホワイトカラー・エグゼンプション」(ホワイトカラー・労働時間規制除外)制度の通常国会への法案提出は、見送られることになった。労働分野の研究者の一人として、議論の渦の外から見ていて当然だと思う。「成果主義」という言葉が流行し始めて以来、言葉だけが踊り、実像の見えない議論が多くなった。

  「ホワイトカラー・エクゼンプション」は、確かに簡単に言ってしまえば、年収など一定条件を満たしたサラリーマンを残業手当ての適用から除外する制度ではある。しかし、英語名が使われているように、元来主としてアメリカというビジネス社会で、かなりの年月を経て熟成してきた制度である*。アメリカに特有な経営風土の中で形成されてきた働き方の仕組みであり、その部分だけを切り取ってきて移植しようとしても、うまく行くとはかぎらない。ひとつの制度がある風土に受け入れられて根付くには、かなりの時間とさまざまな条件が必要である。「日本版」はそれほど簡単には作れない。

  仕事の効率と報酬を結び付けたいという経営側の考えも理解できないわけではない。効率的に仕事をしている社員には相応に報いたいが、そうでない社員は残業代を抑制したいという意図は、この時代当然生まれる考えだ。

  それとともに、仕事も大事だが、家族などと過ごす生活も大事と思うようになってきた若い社員への対応のひとつという思いも、推進者のどこかにあったのかもしれない。(論点がずれているようだが、)残業代の出ない仕事などさっさと切り上げて、帰宅して家族と過ごしたらということだろうか。

  しかし、決定的に無理なところがあった。当のホワイトカラーの人々にとっても聞き慣れない制度を導入をした場合に、職場の風土を含めて暮らしや働き方のなにが変わるのかという説得力を持った説明がまったくできていない。自動車の部品が壊れたからといって、部品だけを取り替えれば動き出すという話ではない。

  「ホワイトカラー・エクゼンプション」に限ったことではない。「労働バン」とかいう軽薄な風潮に乗って、日本が世界にモデルとなりうるような「労働の未来」について納得できる構図を描く努力をすることなく、拙速に制度の改廃、雇用ルールづくりという次元での議論を進め、「魂なき技術論議」に終始したことが失敗の原因である。



* アメリカでは労働時間について直接の規制はないが、企業が従業員を週40時間を超えて働かせる場合、通常の5割増しの賃金支払い義務を負う。ただし、管理職などのホワイトカラーの場合は、適用が除外され、週40時間を超えて働いても割増賃金を支払う必要はない。

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