未だ記憶の生々しいニューヨーク、ハドソン川への航空機着水、全員救助についてのドキュメンタリー番組*を見た。この出来事については事故直後、このブログでも機長の沈着・冷静な判断、着水後の事故機周辺の人々の果敢な救援活動などについて記したことがあった。後世に語り継がれる出来事になるだろうと書いたが、その通りになった。
改めてドキュメンタリーを見ると、サリンバーガー機長の驚くべき冷静さ、責任感の強さに、もう一度深く感動した。機長はハドソン川着水後、沈み行く機体の中で、率先乗客を誘導し、乗客が全員無事脱出したか否かの確認のために、自ら機内を2度も往復したとのこと。機体がまもなく水没することを最も良く知っていたのは、おそらく機長だけだったのだろうが。そして、救命ボート上で寒さに震える乗客に、自分のシャツを脱いで渡すことまでしている。
事故当日、US Airways 1549便は、総重量66トン、155人の乗員乗客が乗っていて満席だった。ラガーディア空港離陸直後、高度980メートルで両エンジンに多数の鳥が飛び込み(バード・ストライク)、航行不能に陥ってしまう。墜落、大惨事が当然予想される状況だった。近くの空港までは飛行できず、ハドソン川へ着水するという決断を機長は6分間で行った。
高度、対機速度、機長判断の3つが、乗客乗員の運命を定める要因だった。時速240キロより速度が早いと機体は着水時に大破、爆発の可能性があり、遅すぎると、失速墜落という事態になるようだ。まさにぎりぎりの判断だった。
ハドソン川には河口のthe Narrows と呼ばれる川幅の狭い地点から上流のオルバニーまでに11の大きな橋がある。厳しい状況の中で、目前に聳え立つ184メートルの巨大なジョージ・ワシントン橋を、エンジンが止まり、グライダーのようになった機体を巧みに操縦して交わし、救援が最も期待できる地点を選択した。文字通り、行き詰まる数分だった。この橋自体、マンハッタンとニュージャージー側フォート・リーを結ぶ全米でも交通量が5指の中に入るものであり、万一衝突でもしようものなら大惨事必至であった。川の両側はビル、住宅が密集する地域である。
個人的経験だが、10数年前、この航空機が予定していた空路ニューヨーク・シャーロット間を一度往復したことがあったことも手伝って、画面に引き寄せられた。鳥がエンジンに飛び込むというひとつのアクシデントが、人生にいかに大きな違いを生むか。その時に人間の真価も問われる。ドキュメンタリーで乗客の何人かが語っていたが、彼らの人生観はこの出来事を境に大きく変わったようだ。
航空機が着水したあたりは、かつてハドソン川を遡行する旅をした時のスタート地点に近く、記憶が鮮明に残る地域だ。ジョージ・ワシントン橋は大変美しい。マンハッタン側の下流から見ると、この橋の右側たもとに"Little Red Lighthouse"と呼ばれる小さな船舶航行用の燈台がある。そして、ニュージャージー側の左岸には、パリセードと呼ばれる大絶壁が続いている。ここから切り出された石材は、ニューヨーク市の建造物や路面の舗装に使われたが、1900年にパリセード保全の委員会が生まれ、採掘が禁止された。そのおかげで、春や秋には13.5マイルにわたる壮大な絶景を楽しむことができる。ハドソン川流域には、さまざまな史跡名勝が多いが、この出来事でもうひとつ歴史に残る地点を付け加えた。
*「ハドソン川 奇跡の着水」 2009年5月10日 BS1
Miracle of Hudson River Place