少し旧聞になってしまうが、5月8日夕方、都心に大きな虹がかかった。路上で空にケータイをかざして、写真を撮っている人を見かけて、思わずなにを撮っているのだろうと思い、空を見上げた。久しぶりに見た大きな虹だった。虹は全体としてはすでに消えかかっており、下の方の一部分だけだったが、雨上がりの空に映えて実に美しかった。一瞬にして心が洗われる感じだった。ケータイは携帯しないことにしているので、残念ながら写真を撮ることはできなかった。翌日の新聞は競うように虹の写真を掲載していた*。
虹というと、直ちに思い出す詩がある。英国の桂冠詩人ウィリアム・ワーズワース William Wordsworth(1770-1850)の「虹」 The Rainbowだ。多分小学生の頃に読んだ。もしかすると、教科書に採用されていたのかもしれない。その点は記憶が不確かだ。日本語への訳詞について、ネット上に公開されているものも含めて少し調べてみたが、かなりの数の邦訳があるようだ。しかも、少しずつ異なっている。
頭の中に刻まれているのは、「私の心は虹を見るとおどる」 My heart leaps up when I behold/ A rainbow in the sky で始まる訳詞だ。ただ、この訳詞で始まるものも目にしたが、その後が微妙に記憶と異なっている。記憶の底に残るものが、誰の訳詞によるものか定かではない。「子供は大人の父である」 The child is father of the man. という一行。これも大変好きなフレーズで、簡潔きわまりないが、心に響く。大人になることは成長することではない。多くのものを失ってもいるのだ。虹が時々見られるような世界であってほしい。
The Rainbow William Wordsworth | |
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| My heart leaps up when I behold A Rainbow in the sky: So was it when my life began; So is it now I am a man; So be it when I shall grow old, Or let me die! The Child is father of the man; And I wish my days to be Bound each to each by natural piety.
[仮訳]
虹
私の心は、虹を見るとおどる、 子供の時からそうだった、 大人になってもそうである、 歳をとってもそうだろう、 そうでなければ、死んでいたい、 子供は大人の父である、 そして、私の日々が自然な敬う心で 結ばれていますように。
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* 『毎日新聞』2008年5月9日、朝刊 * 『朝日新聞』2008年5月9日、朝刊 |