年末を目前に、さまざまなことが頭をよぎる。これまで漫然と見過ごしてきたものが、いつの間にか格段に興味深い対象に変わっている。思考の展開が早くなり、心覚えのメモすら間に合わないほどになってきた。なにがこうした変化をもたらしたかよく分からないが、自分の自由になる時間が急に増えてきたことがひとつの原因だと思う。しばらく前までは、こうした余裕が持てるか、多分に疑問であったために大変嬉しい。
晩秋から年末にかけて、色々と考えさせられる出来事が続いた。そうした中からひとつ記したい。図らずもこのところ年末のブログに連続登場したカナダの友人の話だ。いつものように、今年の家族の出来事にかかわる話である。
カナダ、オンタリオ州に住むこの友人N&WY夫妻は、花の栽培、とりわけ、つつじやしゃくなげの栽培に多大な関心を抱き、アメリカ、ヴァージニア州へつつじの展覧会を見に出かけた。とりわけ夫のNは庭園花壇の研究のために、車いすでひとりロンドンのキュー・ガーデンへ出かけるほどの植物好きだ。その分野では、世界でもかなり著名な研究者でもある。
さて、オンタリオへの帰途、夫妻はワシントンDCで弁護士として働く長女を訪ねた。ところが、街中で夫のNは階段を踏み外し、運悪く背中の肋骨を二本折り、折れた骨が心臓近くに達するほどの重傷を負ってしまった。直ちに救急車でジョージワシントン大学付属病院へ搬送される。カナダ人である夫妻にとっては、初めてアメリカの医療システムを体験することになった。
折しも、アメリカの医療システムは大変革の議論の最中にあり、保険の適用を始め、十分な治療が受けられるか、かなりの不安があったようだ。結果として、この病院の対応は素晴らしく、技術水準も高く丁寧で、カナダの大病院のそれと変わりはなかったという。病院診療の細部にわたる観察は、それ自体大変興味深いのだが、ここに記す時間がない。ただ、多くの批判にもかかわらず、アメリカの医療システムの基幹部分は確固たるものらしい。ちなみに、妻のWは退職しているが、長年にわたりカナダの大病院の看護・管理部長を務めていた。事故後の対応は、お手のものだった。不幸中の幸いといえよう。病院システムの観察も実に的確だった。
3週間ほどを要した応急治療の後、夫妻は車でカナダ、オンタリオの自宅へ戻った。妻のWが行程すべてを運転し、コルセットと緊急時の救命装置などを装着した夫は、後部座席でただ横になっていたという。この時ほど口数少なく、静かな夫を見たことはなかったとのこと(笑)。
ところが、帰宅後、その後の治療を受けるようにと紹介されたマックマスター大学病院心臓外科で、急性の狭心症の疑いありとの診断で、7月にバイパス手術を受ける。手術は成功したが、脊椎などに持病もあって、その後のリハビリ過程は想像を超える厳しいものとなった。元看護部長の妻がそう言うだけに、壮絶なものだったらしい。幸い彼らが誇るオンタリオの病院の医療水準も素晴らしく、期待に十分応えた。しかし、「家は火事場のようだった」と妻のWYが回顧するほど、大変な状況が続いたようだ。なにしろ、病院へ通うといっても、生半可な距離ではない。
この窮状を助けたのが、ワシントン、ロンドンなど遠隔の地に住む娘や息子たちだった。かねて、日本人にはなかなか見られないような強い個性と独立心に感心してきた家族である。彼らは休暇をとったり、週末を利用してオンタリオの自宅に戻り、両親の支援にまわった。これまでの彼らの行動には、安易に愚痴などこぼさない強靱さがある。この家族の愛情ときずなの強さに感動した。依然として先が見えてこない波乱含みの新年に向けて、この一家から年末にまた大きな力をもらった。