時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

顔は知っているが、はて

2009年12月15日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは改めていうまでもなく、多くの謎を秘めた画家だ。日本での知名度は著しく低い(それでも幸いファンは着実に増えている)。17世紀前半には、フランス王ルイ13世の王室画家になるほど、著名であった。しかし、その後急速に忘れ去られてしまった。記録の断絶なども加わって画家をめぐる謎はさらに深まった。

 
解明されていない問題のひとつに、この画家は肖像画を制作したかという謎がある。肖像画というジャンルは、記すときりがないが、簡単に言えばその時代に生きた個人の容貌や姿をモデルとしてではなく、個人の記録や記念のために描いたものだ。横向き、正面、半身、個人、集団など、肖像画の様式も時代の流行を反映し変化してきた。

 ラ・トゥールと同時代の画家たちの中には、ブログでも取り上げているニコラ・プッサンやレンブラントなどのように、自画像を残している画家もいる。一般に、肖像画はパトロンなどの依頼によることも多く、収入が不確かな画家にとっては安定した収入源となることもあってかなりの画家が試みている。ところが、現存する数少ない作品から推定するかぎり、ラ・トゥールは肖像画ばかりでなく歴史画や風景画などのジャンルにもほとんど手を染めなかったようだ。あるいは描いたとしても数少なく、逸失したりで残っていない可能性もある。

 この画家が肖像画を描く力量を備えていなかったわけではない。それどころか、今日に残る作品にみるかぎり、日常の市井の人々をモデルに描いたと思われる聖人像などは強いリアリティで満ち溢れている。描かれた人物はそれぞれ強い迫真性を持って、後世のわれわれにも迫ってくる。
 
 ロレーヌやパリの貴族社会を舞台に活躍したこの画家には、恐らく肖像画の依頼は数多くあったものと思われる。自負するくらい著名な画家であった。しかし、ラ・トゥールが進んで肖像画の制作を引き受けた痕跡は少ない。この画家は、自分の描きたいテーマを限定し、それをさまざまに描き分けることに意欲を燃やしていたようだ。パン屋の息子から身を起こし、名実共に富裕な画家となったラ・トゥールには、自ら肖像画を依頼する顧客を開拓する必要はなかったのだろう。多くの人が作品を欲しがる人気画家であり、『たばこを吸う若者』、『熾火を吹く子ども』のような小さな風俗画でも、かなりの高値がついた。

 しかし、それでも疑問は払拭されない。たとえば、ポートレートを主題とした美術書の表紙に、ラ・トゥールの描いた風俗画中の人物の一人が使われている。この『女占い師』の中心人物の容貌はあまりにもユニークで、一度見たら忘れられない顔だ。同様に知られているカードゲームの女性とともに、単に画家の想像で描かれた非実在の人物とは考えがたい。少なくとも当時の画家の生活範囲にこの容貌に近い女性が存在したか、多くの人が知っている市井のうわさ話や伝承などがあったに違いない。美術書などの表紙にお目見えした女性の代表的存在ではないか。顔は知っているが、画家の名前は知らないという人が多い。ラ・トゥールの謎は未だ解明されていない。


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Norbert Schneider. The Art Of The Portrait, Rome: Taschen, 2002, pp.180

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