時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

1688年の世界

2009年12月03日 | 書棚の片隅から

 瞬く間に時が過ぎ、また年末が近づいてきた。例の如く、仕事場に積み重なった書籍や書類の整理を試みる。といって、とりたてて身辺の風景が変わるわけでもない。一種の気休めにすぎない。しかし、以前にも記したことがあるが、少しばかり楽しみでもある。これまでの人生で、読みたいと思った本に出会った時は、できるだけ即座に入手するようにしてきた。そのため、ほとんど供給が需要?を上回っている状態が続いてきた。読書が主たる楽しみ、娯楽であった時代から続く職業病?だが、いまさら改めるつもりもない。

 いつの間にか書棚から流れ出て、床に山積みになっている書籍の中から、忘却の底深く沈んでしまったものを再発見することがある。いつか暇が出来たらと思っていたタイトルが見つかることが多い。今回もいくつか「掘り出し物」があった。

  そのひとつジョン・E・ウイルズ『1688: バロックの世界史像』という一冊を手にする。今から遠くさかのぼる1688年という年に、世界ではなにが起きていたか。いわば同時展開の歴史ドラマである。舞台は5大陸の各地にわたっている。17世紀という時代に格別な関心を持っていたので、いつか読もうと思って発行された年に入手はしていた。描かれているひとつひとつの出来事は、掘り下げ方が浅い感じは否めないが、こうしたアプローチでは仕方がない。直ちに引き込まれて読みふける。

 ひとつの興味深い出来事が記されている。第6章「島の世界」で取り上げられている実際にあった話である。「島の世界」とは、当時のオランダ東インド会社のアジアでの拠点であったジャワ、現在のインドネシアのことである。登場するのはコルネリア・ファン・ネイエンローデ Cornelia van Nijenroodeという名の58歳の女性である。彼女は、1630年に日本の平戸でオランダ人商人と芸者であった日本人女性との間に生まれた。そして、今、1688年に、生まれて初めてオランダを訪れている。目的は、東インド会社の上級社員であった最初の夫で亡くなったピーテル・クノルから相続した財産をすべて持ち去ろうとしている第二の夫ヨハン・ビターの企みに対して訴訟を起こすためだ。バタヴィアの上流社会に起きた事件の一齣である。当時は東インド会社でも、かなりの噂になったらしい。

 実はこの事件、その詳細は以前に読んだ別の本**ですでに知っていた。主人公の女性コルネリアは、幼い頃から「おてんば」(懐かしい響き!)として知られていた。最初の結婚は夫の事業も成功し、膨大な遺産を継承した。残念ながら夫の死後、彼女が再婚の相手に選んだオランダ人の売れない弁護士は、彼女より9歳年下ながら性格も良くなく、相性が悪かったらしい。彼女は前夫から相続した膨大な遺産を奪われそうになる。

 強欲で法律的手管にたけた夫との間に起きた相続事件は、その後15年近くを要する複雑な展開となる。オランダ高等裁判所は最終的に1691年7月にようやく判決を下し、コルネリアに夫と平和に暮らすように命じ、彼女の財産から得られる収入の半分の権利を夫に認める。8月の休廷の後でさらに審議が行われるはずであったが実現せず、コルネリアはその年に世を去ったらしい。他方、ビターはオランダで裕福に暮らし、1714年に死んだ。 

 1688年というと、このブログがしばしば取り上げているフランスやネーデルラントの画家たちが活動した時代にほど近い。ラ・トゥールの息子エティエンヌの晩年に当たる。そして、あのレンブラントの娘夫妻がバタヴィアへ移住した頃だ。交通。通信手段が発達した現代と比較すると、なににつけても不便な時代であった。コルネリアは律儀にも長年にわたり、バタヴィアから平戸にいた母親の親戚に定期的に手紙を書いていた。無事配達されるまでにはどれだけの時間がかかったのだろうか。

 17世紀は、経済のグローバル化がようやく進み出した世界で、人々がお互いの存在を手探りで確かめているような時代だった。厳しい環境風土のなかで、くじけることなく各地で展開されていた人生の営みに感動する。このウイルズの時間軸と地域の広がりの両軸を基準とする見方は、実は美術史などでも最近試みられているのだが、今日はこれでおしまいに。

 
 ジョン・E. ウイルズ、Jr.1688バロックの世界史像』別宮貞徳監訳、原書房、2004John E. Wills, Jr. 1688 A Global History, W.W. Norton

** Leonard Blusse (Diane Webb, Translator), Bitter Bonds: A Colonial Divorce Drama of the 17th Century,

白石広子『バタヴィアの貴婦人』新典社、2008
 本書には江戸時代、バテレン追放令で国外へ追われた人々が、異郷ジャカルタで過ごした人生のいくつかが描かれている。コルネリアについても、記されている

コメント
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