時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

幸福が落ちくだりゆくとき

2011年04月01日 | 特別記事


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『灯火のあるマグダラのマリア』ルーブル美術館(部分)




なんと、わたしたちは、悲痛の持続に目を据えて

悲しみが終わらないのではないか、と思い込むのだ。だが、むし

                       ろ、悲痛こそまぎれもなく、

冬を耐えるわたしたちの簇葉(ぞくよう)、濃く意味深い緑の冬蔦(ふゆづた)

ひそやかな心の年の季(とき)のひとつ――いな季にとどまらず――

場所であり、村落、臥床(ふしど)、土地、住処なのだ。

 

さあれ、ああ、悩みの都市の巷(ちまた)のなんと異(い)なることか。

競いあう騒音が生むいつわりの静寂のなかに、

空虚の型で造られた鋳物が傲然とそびえ立つ、

金メッキの喧噪、破裂音の記念碑(モニュメント)が。

おお、天使ならばこの慰安の市(いち)を跡形なく踏みしだいてしまお

                                  うものを、

(中略)

そしてわたしたち、上昇する幸福を

心に思っているわたしたちは、驚愕にも似た

感動をおぼえることだろう、

幸福が落ちくだりゆくとき。  

 

Und wir, die an steigendes Glück
denken, empfänden die Rührung,
die uns beinah bestürzt,
wenn ein Glückliches fällt.

出所;
R。M.リルケ「ドゥイノの悲歌:第十の悲歌」(檜山哲彦訳)『ドイツ名詩選』(生野孝吉・檜山哲彦選)岩波文庫、

19932009年。
原詩、訳詩は一部分のみ引用。日本語訳のふりがなは( )内に記入。傍点は太字代用。
なお、『ドゥイノの悲歌』の全訳については、手塚富雄訳(岩波文庫、1957、2010改版)に詳細な註解と解説が付されている。

 

 

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 この国が再び確固として立ち上がれるか、私には分からない。

いずれにせよ、果てしなく長い苦難の道が待っている。

幸い、わたくしはその行く末を見ることはない。

再びこの国に光が射すならば、きっと世界に

誇れる素晴らしい国となっているだろう。

大きな苦しみを堪え忍び、心の痛みを癒しつつ

分け隔てなく人を愛することができる国に。

 

コメント
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