ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『灯火のあるマグダラのマリア』ルーブル美術館(部分)
なんと、わたしたちは、悲痛の持続に目を据えて
悲しみが終わらないのではないか、と思い込むのだ。だが、むし
ろ、悲痛こそまぎれもなく、
冬を耐えるわたしたちの簇葉(ぞくよう)、濃く意味深い緑の冬蔦(ふゆづた)
ひそやかな心の年の季(とき)のひとつ――いな季にとどまらず――
場所であり、村落、臥床(ふしど)、土地、住処なのだ。
さあれ、ああ、悩みの都市の巷(ちまた)のなんと異(い)なることか。
競いあう騒音が生むいつわりの静寂のなかに、
空虚の型で造られた鋳物が傲然とそびえ立つ、
金メッキの喧噪、破裂音の記念碑(モニュメント)が。
おお、天使ならばこの慰安の市(いち)を跡形なく踏みしだいてしまお
うものを、
(中略)
そしてわたしたち、上昇する幸福を
心に思っているわたしたちは、驚愕にも似た
感動をおぼえることだろう、
幸福が落ちくだりゆくとき。
Und wir, die an steigendes Glück 出所;
denken, empfänden die Rührung,
die uns beinah bestürzt,
wenn ein Glückliches fällt.
R。M.リルケ「ドゥイノの悲歌:第十の悲歌」(檜山哲彦訳)『ドイツ名詩選』(生野孝吉・檜山哲彦選)岩波文庫、
原詩、訳詩は一部分のみ引用。日本語訳のふりがなは( )内に記入。傍点は太字代用。
なお、『ドゥイノの悲歌』の全訳については、手塚富雄訳(岩波文庫、1957、2010改版)に詳細な註解と解説が付されている。
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この国が再び確固として立ち上がれるか、私には分からない。
いずれにせよ、果てしなく長い苦難の道が待っている。
幸い、わたくしはその行く末を見ることはない。
再びこの国に光が射すならば、きっと世界に
誇れる素晴らしい国となっているだろう。
大きな苦しみを堪え忍び、心の痛みを癒しつつ
分け隔てなく人を愛することができる国に。