さて、何キロあるでしょう?
Hieronymus Bosch, Painter and Draughtsman: Catalogue Raisonne
by the Bosch Research and Conservation Project
Brussels: Mercatorfonds, 607pp., 2016.
重量級カタログ?
なんとなくけだるい感じがする猛暑の日の昼下がり。前回も記したが、展覧会のカタログ・レゾネを眺める。このところ比較的良く見ているのは、画家没後500年を記念し、世界的に話題を集めているヒエロニムス・ボス(c.1450-1516)の特別展カタログだ。このカタログ、並大抵のものではない。ボスの作品の研究・保存プロジェクト (The Bosch Research and Conservation Project) がその成果を、作品篇 Catalogue Raisonne と技術研究篇 Technical Studies の2冊に分けて刊行したものだが、作品篇は607ページ、技術研究篇は463ページの大作である。驚くことのひとつは、その装丁、とりわけカタログ(正確には研究書)の重さである。
前回ブログで、カタログ・レゾネの多く、とりわけ海外の展覧会の場合は、とても片手に持って読めるような代物ではないものが多くなってきたと記したが、試しにこのカタログ(研究書:作品篇)を手元の体重計?で計ってみたら、なんと4.5kgもある。別に重いことがよいカタログの条件ではないのだが、今回のように美術館などが作品の所蔵を誇示したいような場合には、しばしば現作品に忠実な高級印刷を目指し、必要以上に豪華な装丁となってしまうのだろう。美麗で堅牢な箱入りできわめて立派なカタログだが、表紙も硬い厚紙で、両手で持っているだけでも一苦労する。足に落としたら今度は確実に病院行きだ。やはり床に置いて、気楽に眺めるのが安全だ。
どこかでつながる伝承の流れ
前回記したように、ボスの作品は若い頃見た時は、その奇怪で異様な画風などに違和感を覚え、しばらく遠ざかっていたが、50歳代くらいから急速に魅惑され、深く関心を抱くようになった。とはいっても、ジョルジュ・ド・ラトゥールやホントホルストのような17世紀後の画家への関心とは動機や目的がかなり異なったものだ。両者にはほぼ1世紀の年代差があり、作風も大きく異なる。しかし、前回取り上げた『手品師(奇術師)』のようにネーデルランド、ユトレヒトの画家たちとの細く通じる流れを感じる。
ボスの家系は画家が多く、父アントニス・ファン・アーケン Antonisu van Aken、兄のホーセン Goossen および3人の叔父が画家であった。ボスは生涯のほとんどを現在のベルギーに近いス・ヘルトーヘンボス(デン・ボス)で生まれ、この地で過ごした。今年、その没後500年を記念する展覧会が各地で開催されているが、とりわけ、この地とスペインのプラド美術館が大規模な特別展を企画した。生前はスペインのフェリペ2世を始め、各地に熱心な愛好家がいたようだが、作品のほとんどは16世紀の宗教改革の偶像破壊のあおりを受けて、滅失してしまい、現存する作品は30点あまりと数少ない(油彩画の他にペン画が数点ある)。事情は異なるが、ラ・トゥールやフェルメールと同様に、今日に継承されている作品数が少ない。ボスの作品には前回取り上げた世俗画のようなものもあるが、多くはその後のシュルレアリズムを思わせる怪異で幻想的な画風が特徴となっている。同時期の他の初期フランドル派とは一線を画している。この時代によくこれだけ、奇怪で、グロテスクで、不可思議だが、全体として不思議な美しさを秘めた作品を創造しえたのか、やはり天才としか考えられない。
謎多いボスの人生と作品
パトロンには各国の枢機卿、貴族、宮廷人、大商人、などが多数いたようだ。それにもかかわらず、この画家の生涯については、意外に不明な点が多い。作品の多くが滅失したのが惜しい。ボスの作品は人気が高く、贋作、模作なども多く、その来歴 provenanceはまるで小説のように興味深い。
ボスの同時代人で有名画家としてはレオナルド・ダ・ヴィンチが思い浮かぶ。両者ともに人体を描くについても、必ずしも美しい対象とはみなかった。とりわけボスの作品には聖書に基づく寓話がひとつの発想の源と思われるが、どこから思いついたのたのだろうと思うような奇怪で不可思議な動物?、魚、鳥、そして人間がいたるところに描かれている。とにかくその不思議でこの世とは思えない情景には息をのむような感がある。作品を制作するに際しての画家の想像力の豊かさ、広い世界への知識欲にはひたすら驚かされる。この画家について深入りすると、もうひとつ人生が必要に思えるほどだ。
ヒエロニムスの代表作で一般によく知られているのは次のごとき作品だろうか:
『快楽の園』(1480-1500年頃)プラド美術館蔵
『干草車』(1490-1500年頃)プラド美術館蔵
『聖アントニウスの誘惑』リスボン国立古美術館蔵
『いかさま師』(1475-80年頃)サンジェルマン=レー市立美術館
『放蕩息子(1480年-90年頃)ホイマンス・ヴァン・ブクニンゲン美術館蔵』
『当方三博士の礼拝』(1510年頃)、プラド美術館蔵
『最後の審判』(1510年以降、ウイーン美術アカデミー付属美術館蔵
これらの作品の中でも最も知られているのは『快楽の園』だろう。続いては『干し草車』、『聖アントニウスの誘惑』、『東方三博士の礼拝』などだろうか。真作の確定が難しい画家のようだが、今では研究が進み、たとえば、絵画の支持体として使われているオーク材の伐採時期から乾燥年数まで推定が進み、制作年次の推定が行われている。
ボスの生地であるデン・ボス(正式名称はスヘルトゲンボス)には、聖ヤン聖堂、ヒエロニムス・ボス・アートセンターなど、偉大な画家の業績を記念する場所はあるが、画家自身の作品はこの町になにも残らなかった。しかし、郷土の大画家を賞賛・記念するために、町は画家の没後500年の今年、ノルドブラバント美術館が中心となって、町を挙げての大イベントを立ち上げた。画家の出生地に一点も作品がないのにという批判はあたらない。確かにこの画家の作品は生地に残らなかったが、多くの伝承や教会などが残っている。日本の例を見れば明らかだが、日本人の好きなフェルメールにしても、日本の美術館は一枚も所有していないのだ。それでも、これまでに何度フェルメール展が開催されたろう。
デン・ボスの場合も、ラ・トゥールのヴィック・シュル・セイユの場合も、小さいながらも画家を記念する美術館も出来て、郷土の天才を称える人たちの努力によって、こうした貴重な遺産は継承されてゆく。これまで謎であった工房の仕組みもかなり明らかになった。彼らの手助けもあってボスの膨大で細微にわたった作品も完成することができたことが次第に明らかになってきた。
最後に、暑さを忘れる作品をご紹介しておこう。『次の世のヴィジョン』 the Visions of the Hereafter と題する作品である
From left to right:
Hieronymus Boash The Garden of Eden, The Assent of the Blessed, c.1505-15 、The Fall of the Dammed and The River to Hell oil on oak panel, both 88.8 x 39.6cm(left two panels): 88.5 x 39.8cm and 88.8 x 39.9cm(right two panels
Venice, Museo di Palazzo Grimani, 184
ヒエロニムス・ボス『次の世のヴィジョン』
(パネル:左から右へ)
『エデンの園』、『祝福されて天国へ』、『堕落者の落下』、『地獄の川』
作品は四枚のパネル(板材)に描かれ、大別して「天国への道」と「地獄への道」に2分される。これらの作品は元来は画家の晩年の作とみられる『最後の日』と『最後の審判』に付帯していたものが、後年切り離されて継承されたのではないかとみられている。簡単に説明を付け加えるならば、天国と地獄の世界自体の光景はそれぞれ描かれてはいない(ただし、地獄の一部とみられる言葉を失う光景は描かれている)。描かれているのは、エデンの園から祝福されて天国へ導かれる少数の人たちと、底知れる地獄の暗闇へと落ちる人々(右から2枚目)の明暗分かれる姿である。左上の天国へ通じるであろう道は、白色系の不思議な明るさで隧道のような光景が描かれ、天使が導いている。しかし、その先は描かれていない。天国の本当の光景は知り得ない(下掲図、原画の部分)。
ヒエロニムス・ボス
『祝福されて天国へ上る人たち』
他方、地獄への転落は、まさに底知れぬ暗黒が待ち受ける光景だ。右側の岩山のような上には怖ろしげな火が、底には地獄の業火が燃えているのだろう。不気味な明るさが伝わってくる。左側の枯れ木には鳥とも動物ともつかぬものが枝に止まり、右側の岩山にも猛禽のような鳥が描かれている。そして、地獄ではその救われることのない怖ろしい光景の一端が描かれている(四枚パネル右1枚目下段)。
これらの作品を見ていると、この時代の人々が、いつとはなく心の内に思い描いていた来たるべき世の有様が思い浮かんでくる。多くの人々は「煉獄」という苦難に満ちた長い道を歩んで、このいずれかの分かれ道にたどり着くと考えられたようだ。
現代社会は、不安に充ち、先が見えがたい。 画家ヒエロニムス・ボスの死後、17世紀は「危機の時代」として知られる苦難に満ちた時代になった。そして、画家没後500年を経過した今、現代人にとって、来たるべき時代はどう見えているだろうか。
ヒエロニムス・ボス
『地獄への川』