Garden of Earthly Delights, centre panel,
220x195cm
Museo del Prado, Madrid
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』
センター・パネル(両翼扉は省略)
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ヒエロニムス・ボスは、かなり好き嫌いが多い画家に入るようだ。女性の中には気持ちが悪いといわれた方もおられた。比較的、絵画が好きな友人でプラド美術館まで行ったのだが「あれは苦手」でよく見なかったといわれた方もいる(もったいない!)。その代表的な作品は、どうもボスの最高傑作の1枚『快楽の園』のようだ。プラドへ行ってもボスの前は素通りという。
確かに最初プラドでこの作品に対面したときは、かなり驚いた。エル・グレコのような静謐で心が洗われるような絵を見なれていると、ボスの絵には驚愕させられる。作品によっては、胸の中がざわめくような衝撃を受けるものもある。今回の没後500年記念のカタログ・レゾネ*は、この画家の最高傑作と思われる『快楽の園』を、"BIZARRE IMAGES" 「奇妙な絵」と形容している。一見、これが宗教画と思うほど、雑然、奇怪、猥雑、倒錯といった形容詞が次々と浮かぶ。構図もあっと驚くが、細部にわたりよく見ると、奇々怪々な裸体の男女、動物、生物、実在するか分からないような奇妙な想像上の怪物、建物のようなもので、画面が埋め尽くされている。ここは「失楽園」なのか。しかし、今改めて見直してみると、なにか中世のディズニーランドのようなイメージもしないでもない。
*余談だが、今回の「ヒエロニムス・ボス没後500年:記念プロジェクト」の一環として造られたカタログ・レゾネ、技術編ともに重量級の重さであることは前回記したが、文字のフォントもきわめて小さく、provenance 来歴など、視力の弱くなった筆者にはルーペなしにはとても読めない。またタイプ・ミスをしないようにと、床に腹ばいになって読む始末だ。
ボスはこの奇怪な作品をなんのために制作したのか。改めてカタログなどを繰ってみる。ハプスブルグ家に仕えたネーデルラントの貴族ナッソー・ブレダ伯ヘンドリック3世(1483-1538下掲)*の婚礼を契機に制作されたという説明に出会う。一瞬なるほど、婚礼のお祝いなら明るいテーマかとも思う。しかし、実際は三連式の祭壇画*(ここでは両翼は省略)と上掲のセンター・パネルと併せてみると、かなり厳しい教訓を含んだ作品だ。その制作を支えた基底には、この時代までに西欧社会に深く根を下ろしたキリスト教(カトリック)思想の蓄積があるとはいえ、画家としての独創性、構想力、そしてこの時代としては突出した、時に奇々怪々、あふれんばかりの知識と表現力の豊かさに驚かされる。
*現存するボスの真作のうち、7点はこの三連式祭壇画方式で制作されている。当時のネーデルラントでは一般的な様式だった。
左右の扉を閉めた状態では前回も掲載した、下掲のような円形の世界に光が射し込んでいるような不思議な光景があり、左上隅に神の姿が描かれている。そして、扉を開くと、左側には「楽園(エデンの園)」、中央に 「想像の楽園(快楽の園)」、右側に「地獄」のそれぞれが描かれている。
原罪を背負った人間が楽園から追放され、現世界で放埒で不道徳な生活(「快楽の園」earthly delights)を過ごしていると、次に待ち受ける世界は想像を超える怖ろしい地獄という一連の教訓で貫かれていると見てよいのか。中心パネルに描かれた光景は、想像上のこの世の悦楽(earthly delights)なのだが。宗教改革が目前に迫る時代に描かれた作品であり、諸国間の戦争、教会、世俗のそれぞれの世界の堕落は、世界の終末が近いことをさまざまに思わせるものだった。世の中には世紀末感が色濃く漂い、不安感が漂っていた。時代の先の見えない不安と恐怖は、今の時代につながる。500年前、画家は制作に際してなにを思っていたのか。夏の夜を過ごすには重すぎる課題を含む一枚である。
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』祭壇画表扉
Jan Gossaert,called MABUSE
Portrait of Hendrik III
Count of Nassau-Breda, c.1516-1517
57.2x45.8cm
Acquired in 1979
Kimbell Art Museum, Fort Worth
*ヘンドリックIII世、ナッソー・ブレダ伯爵
このナッソー・ブレダ伯は大変熱心な絵画収集家で、フィリップI世に仕え、ローマを訪れたこともあった。この肖像画はその当時描かれたようだ。1517年あるイタリア人がブラッセルの侯爵宮殿を訪れた時、多数の絵画の中に、ボスの『快楽の園』 が誇らしげに飾られていたことを記している(Kimbell Art Museum collection catalogue)。なお、この肖像画を制作したマビュースは、イタリアの肖像画スタイルを初めてネーデルラントへ移植した画家のひとりといわれる。それにしても、キンベルは選択眼が良いと以前から思ってきた。
ナッソー・ブレダ伯が仕えたフィリップ(フェリペ)I世(1478-1506: 通称フィリップ美男公、Philip I of Castile, Philip The Handsome, or the Fair)は、美形であったこともあり、こうした通称で知られたが、女性関係も多かったようだ。ネーデルラントを統括し、画家ボスの活動拠点ス・ヘルトーヘンボスにも1504年から翌年まで滞在したことがある。その時、彼はボスに『最後の審判』(ウイーン美術アカデミー付属美術館蔵)の制作を依頼している。この王は1506年、ブルゴスで生水にあたり、突然死去したと伝えられる。『最後の審判』という画題で依頼したのは、なにか心にかかることがあったのだろうか。世界の終末をどこかで思ったのだろうか。この作品も画家の死後500年を経過した今、決して進歩しているとは思えない世界を前に、なにかと考えさせる問題を含んでいる。
ファン・デ・フランデス画『フェリペ一世(カスティーリャ王』
ウイーン美術史美術館蔵
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