時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

桜の季節:3人の恩師プラス?

2018年03月28日 | 午後のティールーム

野川の桜(YK) 


これがこの国の最高議決機関なのかと思うと情けなくなる案件で、国会が紛糾している。近隣諸国の間には対応を誤れば破滅的戦争になりかねない危機的状況も生まれている。この国の近未来のあり方についての議論は少なく、行方はほとんど見えていない。現政権への国民感情は急速に冷めてきているが、野党も決め手に欠け、出口が見出せずにいる。

それでも、自然の摂理は正しく働いており、季節がめぐると桜は次々と開花し、つかの間の癒しの時を与えてくれる。とりわけ、4月は多くの若者が学業や就職で新しいステージの入り口に立つ。入学式を9月に移すという議論も最近はあまり聞かれない。桜の花はこの国を律するに欠かせない舞台装置なのだと思う。

この時期、不思議とこれまでの人生に大きな影響を与えてくれた恩師のことが脳裏に浮かぶ。自分の人生でさまざまな力を与えてくれた人々の数は限りないが、真に恩師と思う先生が、少なくも3人はいる。それらの人々の出会いと薫陶を受けることなくして今の自分はなかったと思うと、感謝の念と感慨は一段と深まる。

大学の時の恩師2人、アメリでカの大学院時代の指導教授1人が脳裏に浮かぶ。教養課程当時のNY先生、ドイツ語、文学がご専門だった。学生とあまり年の差がなく、教室外での喫茶店、ビアホールなどでの生き生きとした話題が脳細胞に今でも残る。「できるかぎり多くの経験をする人生を送りたい。自分もファウスト的衝動で生きたい」とおっしゃっていた。ブログ筆者が17世紀、30年戦争をテーマとした小説などに関心を抱いたのは、先生のご専門からの影響以外の何ものでもない。その後、先生ご自身は縦横にご活躍になったが、疾く生き、逝かれた。出来うるかぎり多くの経験をする人生を送りたいという思いは、筆者のその後いくつかの転機に大きな支えとなった。

専門課程時代のFK先生からは、その後の筆者の方向に決定的な影響を受けた。マルクス経済学一辺倒だった労働研究の分野で、ご自身新しい専門領域を切り開かれた一方、今では想像できない激しい労働争議が相次いだ時期に大きな役割を果たされた。もはや「(資本と労働の)戦争」とまでいわれた大争議の最前線で事態の解決に当たられていた。しかし、授業を休講にされたことは一度もなかった。傍目にも大変な激務の日々で、いつも短い会話の積み重ねだったが、相談に行けば適切なアドヴァイスをいただいた。

卒業後の職業選択に迷っていた筆者に、あまりこだわらない方がいい、柔軟に考えなさいと示唆していただいた。結局、直ちに研究生活に入ることにためらいを感じていた筆者は、現実の経済活動を体験したいと考え、企業へ就職することを選択した。しかし、先生は筆者が新しい仕事にようやく慣れ始めた頃、過労が重圧となられたのか、病に侵され間もなく世を去られた。

就職後1年くらいした折だったか、先生ご自身が筆者の使用者であった役員のもとへ立ち寄られ、勤務の様子を尋ねられ、よろしく指導してやってほしいと言われていたことを知り、大変驚くとともにそこまでかつての学生のことを考えていただいていたのかと、感謝の念に圧倒された。後年、学生の指導の任に当たることになった筆者には、教育・社会環境も大きく変わっていたが、このことが頭に浮かぶたびに、多くのことを考えさせられた。

その後間もなく、筆者は日本の置かれた状況に閉塞感が強まり、アメリカへ渡る。そこでも多くの人々の善意にも支えられたが、指導教授としてMFN教授に出会う。当初、日米の比較研究を想定していた筆者に、教授はせっかくアメリカに来たのだから、アメリカに専念して研究テーマを決定したらどうかとのアドヴァイスを受けた。なるほどと思い、ニューイングランドから南部への産業と労働者の地理的移動の問題に焦点を定めた。J.F. ケネディ大統領が不慮の死を遂げる前、大きな関心を抱いていた問題でもあった。近年、アメリカで大きな問題となってきた産業の盛衰と労働者の雇用のあり方に繋がってもいる。教授は筆者の選んだ過大な目標の達成のために、多くの示唆、そのために会うべき人々などを紹介する労をとってくださった。このテーマは今日に至るまで「人の移動」のメカニズムという形をとって、筆者の研究課題の柱のひとつになってきた。一人しかいなかった日本人の院生のために、公私にわたり心のこもった配慮もいただいた。帰国後10年以上にわたり、筆者の新しい職場での論文まで目を通してくださっていたMFN教授も世を去られている。

その後筆者の人生経路はかなり変転し、海外と日本を行き来することも著しく増え、結果としてみると、今日では通常の光景となった複数の異業種転職の先駆けのようになった。こうした人生を過ごして来たことは結果であり、最初から目指したことではないが、日本に有り勝ちな”しがらみ”のような束縛からはきわめて自由であり、大きな充足感があった。近年はほとんど話題となることがなくなった「日本的(終身)雇用」論に筆者が疑問を呈していたのは、こうした自らの体験もひとつの背景にあった。

人生は人それぞれに意義と重みを持つものだが、そのあり方は日々出会う人々との精神的交流に大きく関わっていることを感じる。桜の季節、新しいステージを迎える人たちに、多くの「一期一会」の機会を大切に実りある人生を祈りたい。

 

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