時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「永遠と一日」に戻る

2020年07月21日 | 午後のティールーム
 

ギリシアの名映画監督テオ・アングロブロスの作品『永遠と一日』は、何度も観たくなる名画中の名画だ。日本ではフランスでの公開の翌年1999年に公開された。すでに20年近い年月が経過している。どれだけこの作品を観た人がいるだろうか。実はブログ筆者がブログなるものに関心を持つようになった一因にこの映画があった。詩人アレクサンドロスの最後の一日とアルバニアから密入国してきた難民の少年との出会いで「人生の旅の一日」の中で、現在と過去と未来を行き交う姿を描いている。



歌人で情報科学者の坂井修一氏が「苦痛と欲望のはざまで」と題して、エッセイ欄「うたごころは科学する」『日本経済新聞」(2020年7月14日)に寄稿されている。そこに引用されている詩人アレクサンドロスの言葉が再び重く響く。「なぜ我々は希望もなく腐ってゆくのかーー苦痛と欲望に引き裂かれて。なぜ私は一生よそ者なのか。ここが我が家と思えるのは、まれに自分の言葉が話せたときだけ」
すでに功なり遂げた詩人の言葉であるだけに、重く響く。

うたごころや詩のこころとは程遠い人生を送り、まさに最後の一日を生きているにすぎない私には、この詩人の言葉をどれだけ理解しているか甚だ心もとない。専門家という言葉はあまり好きではないが、ふと巡り合わせた経済学を職業生活の柱としてきた。しかし、振り返ると、別の道を歩んでいたかもしれない。そうした岐路はいくつかあった。欲望と苦痛に苛まれる日々もあった。

最後の一日になって、もしかすると歩んでいたかもしれない世界を少しでも覗き込んでみたいという思いがつのってきた。そこで生まれたのが、このなんともつかないブログというIT上の代物である。

激動の日々を過ごしたことも、リアリストとしてのくびきから逃れられないものとしたのかもしれない。別の道を選んでも、付いて回ったことだろう。年々厳しくなる世界の姿を見るにつけ、次の世代の人たちに未来は明るいと手放しに告げることはできない。唯一考えられるのは、視野を広げ多くのことを見ることで、人生での免疫力を強めることかもしれない。「できるだけ多くの人生を生きる」、これは若い頃に強い影響を受け、ご自身、「駛けゆく」人生を送られた恩師の言葉でもあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする