2014年はさまざまな意味で多難な年であった。とりわけ日本にとっては、3.11の苦難が未だいたる所に感じられる過程で、悲惨な土砂災害、火山噴火などの自然災害が相次いで発生した。世界的にも、異常気象、大気汚染、戦争、テロリズム、財政破綻など、枚挙にいとまがないほど多くの問題が発生し、それらはほとんど未解決のままである。
21世紀はまだ始まったばかりである。20世紀の後半の50年と比較しても、その異常さは注目される。世紀の区分は歴史上の人為的な設定に過ぎないといっても、世紀の始まりには、人々は将来への希望や期待の広がりを感じるし、世紀の終わりには、「世紀末」的といわれる厭世的、末期的あるいは退廃的とみられる現象も生まれる。
このブログでは、美術との関連で、しばしば17世紀に立ち戻っていた。30年戦争に代表される戦争、異常気象による飢饉、疫病、魔女裁判など、複数の危機が重層的に発生する事態が、当時の世界には見られた。しかし、17世紀は、ヨーロッパだけを見ても、バロック美術の栄光を誇ったローマ、ルイ14世のフランス、市民社会が発達したオランダ、フェリペ4世のスペインの繁栄など、 輝きの感じられる場面が同時に存在した。
人類は進歩したのだろうか。21世紀の行方には明るさや光はあまり感じられない。 そればかりか、人口、地球温暖化問題を始めとして、地球の危機を予感させるような不安材料に充ちている。「イスラム国」問題に見られるように、宗教的対立は、狂信的な様相を呈し、宗教の問題は近世初期のように急速に人々の関心事に浮上している。
これからの時代は、単に経済的危機の次元ばかりにとらわれていては理解できない。経済学は急速にその古典的正統である政治経済学の方向へと傾斜している。政治家、そして政治家を支える人たちは、これまで以上に広い視野を持つ必要に迫られるだろう。政治家ばかりの問題ではない。この地球に住む者は誰もがそれぞれに問題を真摯にかんがえることから避けがたい。その広がりは遠く深く、新たな道につながっている。マララさんの言葉を借りるまでもなく、その基盤となる教育のはたすべき課題も、これまでになく大きな転機にさしかかっている。
新しい年が平穏であることを祈りながら。