時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

カードゲーム・いかさま師物語(10):ギャンブルの視点(6)

2015年04月06日 | いかさま師物語

 

カラヴァッジョ『いかさま師』部分
画面左側には、「バックギャモン」らしき遊び道具が描き込まれている。

これも、当時いかさま、詐欺の手段に多用されていた。


 カラヴァッジョという画家は、西洋絵画史では文字通り衝撃的な革新をもたらした画家なのだが、日本ではその名前を知っていても、作品の実物に接したことのある人はあまり多くない。2001年東京の庭園美術館でのカラヴァッジョ展にも出かけたが、出展場所の選定や出展作品に一工夫あったらと思った。 その割りには訪れた人はかなりあったようだ。この画家に関する書籍は文字通り汗牛充棟、とても読みこなせない数に上っているが、日本語で読める文献は比較的少ない。しかも、キンベル美術館が誇る『いかさま師』にはあまり強い関心が寄せられていない。

知られることの少なかった作品
 カラヴァッジョの作品の中で、『いかさま師』ほど、多くのコピーや類似の作品を生みださせる影響力を持った主題は少ないといわれる。それについては、デル・モンテ枢機卿の所蔵になった後、作品の行方が長らく不明だったこと(1987年にキンベル美術館が購入)もあるようだが、カラヴァッジョの作品自体がきわめて革新的で、それまでに制作されたこの主題の作品と比較しても、図抜けて美しい作品に仕上がっていることにあると思われる。この画家の天才性を最初に世に知らしめる端緒になった作品なのだが、日本では一部の専門家や愛好者を除いては、あまり知られていない。

 この作品は画家の最盛期よりも前に制作されたにもかかわらず、その後も長らく注目を集めてきた。主題は当時の画壇において高い格付けを与えられていた歴史画、宗教画のような精神的深みを求める作品とはほど遠く、かなり怪しげな世俗の世界の一場面にすぎないのだが、それをこれほどの水準にまで高めたのは、ひとえにこの画家の力量にある。

 作品自体が、デル・モンテ枢機卿の目にとまるほど斬新であったばかりでなく、画家の画壇における急速な知名度向上の嚆矢になった。そして、当初はローマ在住の画家たちに世代を超えて、過去の路線を追うばかりではない、画家自らの創造力が重要なことを気づかせた。(前回記した『女占い師』は、『いかさま師』とペンダント(対)の作品ではないかとの推定もあったが、その後作品の寸法などからそれぞれ独立した作品と考えられている)。

 カードプレーを詐欺、騙しの含意をこめて描くこと自体は、現実にヨーロッパ全体に広まっていた。そして、カラヴァッジョと同様なテーマでの作品も先行して存在した。

 カードプレーが単なる遊戯の域を越えて、詐欺という犯罪的行為の場に使われるようになったのは、16世紀初めのようである。しかし、ダイス(dice、さいころ)はそれより以前から、ギャンブル、博打の手段になっていた(play at dice, 博打を打つの意味がある)。 教会などの宗教家の間ではダイスとそれにからむ暴力がしばしば問題になっていた。たとえば、10戒を版画にした印刷物「日曜日の休息」Rest on Sundayで、カードプレーヤーは悪魔の様相で描かれていたが、流行を阻止、減少させる効果があったかは疑わしい。他方、悪疫の流行などの折に市内に掲示される注意書きなどは、かなり効果があったようだ。

犯罪の巣窟:ローマの繁栄の裏側で
 絵画作品としては、ヨーロッパ北方ルネサンス美術に最初現れたようだ。そして16世紀にはカラヴァッジョの故郷ロンバルディアでも画家の関心を引き始めた。そして、カラヴァッジョがローマへ活動の場を移してから、この画家はこの世界の中心ともいわれた大都市のいたるところでみられる犯罪的行為に自ら関わると共に、自らの生業としての画家の視点から、主題として取り上げた。実際、カードゲームやダイス、あるいは占いは当時のローマの街路や旅籠屋、居酒屋など、いたるところで目にする光景だったようだ。1590年代において、ローマはその文化的な華麗さの裏側に、多くの犯罪、暴力などを生みだしていて、社会的な不安の源ともなっていた。時には賭博行為が行われる場所に武装した取り締まり隊が踏み込んで、逮捕するなどの対策がとられていたため、表向きは犯罪として扱われ、ローマの繁栄の裏側で密かに行われていた。


 ローマは、プロテスタント宗教革命に対するカトリック宗教革命の過程で、再生したカトリックの中心としてプロテスタントの脅威に立ち向かっていた。そして1594年には聖ペテロのバジリカ(basilica: 特にイタリアで身廊(nave)、側廊、半円形の後陣、拝廊などを特徴とするキリスト教の教会堂)は、ブロンズで覆われ、遠くからやってきた巡礼の目にも燦然と輝いていた。しかし、この輝かしいドームの下では、驚くはどの犯罪行為が渦巻いていた。ローマは「犯罪の都」とまでいわれた。

 ヨーロッパ世界の中心を誇示していたローマには、各国からの訪問者を含めて、貴族、枢機卿などの聖職者、外交官などが多数集まっていた。しかし、市内の治安は決して安全な状況ではなかったこともあり、彼らの周囲には16世紀の度重なる戦争で常態化した傭兵などが、身辺護衛のためについていたらしい。カラヴァッジョは自らもこうした裏の世界に出没していた。そして喧嘩や刃傷沙汰を繰り返していた。1605年には許可無く武器を携行していたとの理由で逮捕されてもいる。当時の画家としては異例なほど、生涯の有様、時代状況を後世の人たちが知ることができるのは、画家がかかわった犯罪的行為などの取り調べ調書、法廷証言などが残っていることもひとつの背景にある(たとえば、1597年の法廷証言)。

 



カラヴァッジョ『いかさま師』部分
無知な若者をいかさまで騙す若者。
短剣を身につけていることに注意。
原則、武具携行が違法とされていた当時のローマで
あまり目に付かない短剣だけを携行していたのは、いかさまの
犯罪組織の一員であったことを暗示している。ゲームを
めぐっていざこざがあれば、脅しの手段として使った
ことが予想される。 

 
 文化的な栄華と犯罪が共に存在していたローマについては、教会の側からすれば、悩みの種でもあり、カード、ダイス詐欺などを犯罪とし、そうした行為を禁止する警告は度々出されていたようだ。しかし、その絶滅は難しく、画家自身がその世界に身を置いていた。カラヴァッジョの生い立ちや生涯に関する伝記は、数多いが、この希有な画家にはその稀に見る天才性と共に、自分を律しきれないほど激情的な性格を一身にしていたようだ。多くの敵を持ちながらも、反面で数少ないが有力な支援者、友人もいた。人間的にも、彼らを惹きつけるなにかがあったのだろう。作品一点からも,実に多くのことを知ることができるが、人物論としての観点からも大変興味深い。



Reference
Nancy E. Edwards, "The Cardsharps",  Caravaggio & His Followers in Rome, edited by David Franklin and Sebastian Schűtze, New Heaven, Yale University Press, Exhibition Catalogue at the National Gallery of Canada, Ottawa in 2012.

 宮下規久朗『カラヴァッジョ 理性とヴィジョン』(名古屋大学出版会、2004年)は、邦語文献として数少ない労作。入門書としては、同氏の『もっと知りたいカラヴァッジョ:生涯と作品』(東京書籍、2009年)がわかりやすい。

続く

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