《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールに帰属すると考えられる作品
Saint Sebastian Tended by Irene
Attrobuted to Georges de La Tour
early 1630s
oil on canvas; 104.8 x 139.4cm
Kimbell Art Museum, source: public domain
いつの頃からか、春の花粉シーズンになると白いマスク姿が風物詩のようになっていた日本だが、このたびの新型コロナウイルスの蔓延で、列島はマスクだらけとなった。
かなり見慣れたつもりでも、ここまで来るときわめて異様な感じを受ける。新型コロナウイルスという言葉は瞬く間に世界中に広がったが、WHO(世界保健機構)の定めた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)という名称はあまり見かけない。TVなどのメディアには、にわか専門家としか思えない人々の煽動的な発言もあり、社会に必要以上な不安感が広がっている。
見えないものに怯える世界
現在進行中の新型コロナウイルスへの対応の客観的評価については、その渦中にある今は時期尚早だろう。しかし、ひとつはっきりしていることは、感染症が健康・衛生面にとどまらす、社会、経済、そしておそらく初めてと思われるが、政治の世界を大きく揺るがす力を持つに至っているということではないだろうか。Time誌(2020年2月17日)の表紙には、中国の習近平国家主席がマスクをしている姿が掲げられている。そして、これまでの災害では直接現場まで出かけていた同氏や首相などが視察に赴いたのは、武漢ではなく北京市内の地区や病院だった。国家主席までが感染の脅威にたじろぐような状況だ。2月21日には中国の最高幹部が建国以来の非常事態と発言するまでになった。ウクライナでは中国武漢からの帰還者の入国を阻止しようと暴動が起きるほどの信じがたいパニックさえ起きている。
Time誌、2020年2月17日表紙
街を歩く人々の夥しいマスク姿を見ていると、このブログで取り上げてきた17世紀の疫病、とりわけペストの蔓延時の人々の混迷、不安、恐怖の有様が目に浮かぶ。と言っても今日に残るさまざまなイメージや歴史的記述を通しの世界てのことである。人類は有史以来、多くの疫病に襲われ、悩んできた。とりわけよく知られているのが、 ペスト、黒死病 (plague, Black Death)などに代表される疫病のヨーロッパ、中国などでの流行だ。中世から近世にかけては、ほとんどいずれの世紀も疫病に悩まされてきたが、特に14世紀から17世紀にかけての大流行、パンデミックが知られている。
17世紀「危機の時代」のスナップショット
なかでもペストは何度か大流行しているが、15世紀にはイギリスを中心とするヨーロッパ、アジア、中近東などでは2500万人を越える死者があったとの記録もある。17世紀のフランスでは1628-31年にかけて100万人を越える死者が出たようだ。17世紀は、小氷期によりヨーロッパの気候が寒冷化し、ペストが大流行したことに加え、飢饉が起こり、30年戦争をはじめとする戦乱の多発によって人口が激減したため「危機の時代」と呼ばれた。
このブログの柱のひとつである画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生涯の間にも、何度か疫病に関わる出来事が知られている。例えば、画家が妻の生地であるリュネヴィルへ移り、画業もたけなわであった1636年の2月28日、甥で貴族の息子フランソワ・ナルドワイヤンを徒弟として3年7カ月の契約で住み込み徒弟として受け入れている。ところがこの年、4月リュネヴィルでペストが流行、5月26日ナルドワイヤンが全身紫斑の状態で死亡しているのが発見された。
この時、ラ・トゥールと家族がどこにいたかは不明である。リュネヴィルを離れ、どこかで疫病が下火になるのを待っていたのかもしれない。1640年までにこの画家の子供10人のうち半数は死亡していた。近世初期とはいえ、きわめて過酷な時代であった。
当時は疫病の正体も分からず、領主や貴族たちなどは病気が流行していないと思われる地域などへ逃避していたことが多かった。転地が不可能な農民や商人などは、ひたすら節制し、神に祈り、疫病の嵐が過ぎ去るのを待つばかりだった。魔術や妖術などが流行したのも、人々の不安や恐れが根底にあった。
こうした時代に、なんとか疫病に対応しようとしたのが、世界史の教科書などでもおなじみの「ペスト医者」(plague doctor あるいはイタリア語の medico della peste)として知られるペスト 患者を専門的に治療した 医師であった。 黒死病が蔓延した時代に多くのペスト患者を抱えた都市、例えばイタリアの都市によって特別に雇われた者だった。今日に残る画像を見ると、いかにも奇妙な服装をしているが、例えばマスクは疫病から免れると思われる香料や薬草などが詰め込まれていたらしい。町に溢れるマスク姿の人々を見ると、ついこの異様な医師のイメージが浮かんでしまう。
医師シュナーベル・フォン・ローム(Der Doktor Schnabel von Rom;疫病を避けるために ガスマスクをした ペスト医者)を描いたパウル・フュルストの版画(1656年)。(wikipedia 該当記事から)
心の支えは何処に
ラ・トゥールの作品で極めて人気を集めた《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》(上掲画像、関係記事は表題クリック)は、この時代、一種の護符代わりに多くの人たちが欲しがったものであった。献身的に介護にあたる聖女と召使の姿がきわめて美しく描かれている。この横型の構図の作品だけでも、模写など10を越えるヴァージョンが発見されている。
「神なき時代」に生きる現代人は、コロナウイルスという見えない脅威に何を支えに立ち向かうのだろうか。数百年の時空を超えても、見えない恐怖に恐れおののき、揺れ動く人間の心の仕組みはあまり変わっていないようだ。
必要なことは、人それぞれが心の安定を維持し、いかに身を処するべきかをよく考えることではないか。その間、流言飛語のようなニュースにいたずらに翻弄されたり、怯えることなく、自らが正しいと思うことを信じ、新感染症へのワクチン開発など根本的解決への努力が迅速に進むよう有形無形の支援を送ることだろう。