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人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

絵の裏が面白いラ・トゥール(6):「バロック」の流れに抗した「ゴシック」画家

2019年03月07日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

George de La Tour - Dice players -   c.1651, oil on canvas
92.5 x 130.5 cm
Preston Hall Museum, Stockton-on-Tees, Cleveland, UK
bequeathed by Annie Elizabeth Clephan, ca.1630

ジョルジュ・ド・ラトゥール《ダイス・プレーヤー》ca. 1651、油彩・カンヴァス、プレストン美術館(ストックトン)

 

この作品、見覚えのある方がおられるだろうか。本ブログを訪れてくださる方は、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール (1593-1652)の最晩年の作といわれる《聖ペテロの否認》にきわめて似ていることに気づかれるだろう。そうであれば慧眼の方である。

聖ペテロの否認》の場合は、画面左側にペテロと女性の姿が描かれている。他方、この作品には、ほとんど宗教的含意や暗喩は見出されない。胴衣のようなものを身につけた若者が蝋燭の光の下で、ダイスプレー(サイコロ遊び)をしており、それを右側の若い女性が覗き込んでいる。左側のやや年上の男はタバコを吸いながら、視線はとりたてて盤上の帰趨を見ているというわけでもない。どうも右端の女性に向けられているようだ。

しかし、上半身だけが画面に現れるこの女性の表情は、なんとなくこの場にそぐわない。もしかすると《いかさま師》に描かれている悪事に加担するジプシーの美女の一人なのか。若者たちの服装は戦塵に汚れた着衣というわけではなく、当時の流行の衣装のように見える。貴族の子弟たちが、宮殿などの一室でダイス・プレーを楽しんでいる光景を描いたかのようだ。彼らの胴着や容貌もなんとなくラ・トゥールの独断場であったリアリズムとは距離を置いた類型化が感じられる。現代のゲームの一場面と置き換えてもおかしくない。しかし、《いかさま師》のようなごまかしや教訓が込められた作品とは異なり、ダイス・ゲーム自体が主題であるようだ。しかし、別の読み方があるかもしれない。ここがこの画家の興味ふかい点でもある。


この作品がラ・トゥールに帰属すとるとなると、なんとなく全体の印象が、他の作品とは異なったモダーンな感を受ける。光の当たった部分と影の部分が絶妙な光のコントラストを示す。

ちなみにジョルジュ・ド・ラトゥールの現在まで残る50点余の数少ない作品で、イギリスの美術館あるいは個人の所蔵として残るものはきわめて少ない。強いて数えれば、この《ダイス・プレーヤー》の他、《聖歌隊の少年》、《乞食》などにすぎない。そしていずれもラ・トゥールに関連するとしても、ただちに真作とは評価されず、画家の工房作あるいはジョルジュの息子エティエンヌ作などの評価がついていることが多い。近年、《聖歌隊の少年》などは真作との評価がほぼ定まったようだ。ちなみに、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品で、署名あるいは年記があるものはきわめて少ない。

こうしたことも反映してか、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品は真贋論争の対象になることが多かった。その中でこの作品はやや異質な感を受ける。批評家によっては、ラ・トゥールの作品かもしれないが、晩年の作品であり、しかも画風に「退行現象」が見られると評するものもいる。要するにこの画家に期待されている高い水準に達していないのではないかという指摘である。

確かに最晩年の作品とされる《聖ペテロの否認》についても、その点が指摘されており、ラ・トゥールの作品であるにしても、後期の工房作ではないかとの評もある。その理由としてあげられるのは、主題の評価において迫力が不足している、描かれた対象に一体感、緊迫感が足りないなどの諸点である。

この点の評価は難しい。いかに優れた芸術家といえども、その全作品が優れた出来栄えであるとはいえない。見る人によって凡作に類する作品も当然ある。さらにラ・トゥールがこの主題で制作活動を行なった時期は、もしかすると画家が新たなイメージによる画風の活性化を図った試作の一枚とも考えられる。当時の顧客の嗜好に合わせた作品を模索していた可能性もある。この作品を見られた方は、いかなる評価をされるだろうか。

 さらに、画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、美術史上の流れでは「バロック」の画家として位置づけられることが多い。しかし、ブログ筆者はこの画家と作品に魅せられてから、そうした評価に強い違和感を覚えてきた。ロレーヌの地を巡って見た多数のゴシックの教会などを見て、その感を強くした。この点については、時が許せば記してみたいこともある。日本におけるラ・トゥール研究の先駆者田中英道氏もフランス・ゴシックの源流として、同様な指摘をされている

16世紀末まで、フランスのルネサンスは文学、思想、芸術、建築などの諸分野で新たな次元への展開を見せるともに、ルネサンスは終末を迎えつつあった。ルネサンスと同様にフランスにおける新たな次元は、当初イタリアにおける文化的開花に即発されたものだった。イタリアでは先駆的な芸術家たちはハイ・ルネサンス美術の自然主義の流れから、最初はマネリズムとして知られる様式へと移行していた。

そして、16世紀末から、次の世紀にかけてバロック・スタイルとして知られる溢れるような古典主義へと移って行った。バロックはルネサンス古典主義からの断絶ではなかった。むしろ発展であった。バロックは新しい古典主義の一つの段階だった。

他方、ゴシックは「野蛮なゴート人の美術」という悪口に由来し、13-14世紀の西欧中世の美術様式であった。フランスやドるイツでは16世紀初頭も残存していた。15世紀のネーデルラント美術は、北方ルネサンス美術に分類されるが、実態は後期ゴシックとも言える。ラ・トゥールはバロックの圧倒的な流れの中で、それに抗しながら生きたゴシック画家だった。

 

田中英道「30年戦争の時代に闇を描いたラ・トゥール」『美術の窓』2005年3月

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